第20話 エーラーン・シャフル

 エーラーン・シャフル。エーラーン・シャフル。神に愛された世界の中心、美しき火の帝国。しかしその輝かしい景色は記憶に残っていない。ただその栄光ある名前と、狂おしいまでの怒りだけが情報として刻まれている。あの輝き。アイツだ。あれが現われさえしなければ、永遠に栄華も続いたものを。許さない。アイツだけは絶対に許さない。


 ガソリンスタンドの店員が手に伝票を持って駆け寄ってくる。ガソリンは満タンになった、もう用はない。白いライトバンの運転席で、黄色いジャージの体育教師は黒いトカレフの引き金に指をかけた。


「ありがとうございます、四千……」


 窓からのぞき込む顔の真ん中を撃ち抜くと同時にライトバンは発進、夜の街へと走り去って行く。今度こそ、今度こそアイツを殺すのだと咆哮を上げながら。




 世界史の用語なら「サーサーン朝ペルシア」、三世紀から七世紀にかけてイラン高原を中心に支配した大王朝のことを、中世ペルシア語でこう呼ぶ。「エーラーン・シャフル」と。


 俗に拝火教と呼ばれるザラスシュトラ教、すなわちゾロアスター教を国教として保護するこの国で、三世紀中盤、同時代に広まっていたキリスト教やユダヤ教を凌駕し、ゾロアスター教すら圧倒するほどに爆発的に広まった宗教があった。後代、西はローマ帝国、東は中国にまで拡大した「ミフル神」を信奉するこの宗教を、マーニー教と呼ぶ。


 ちなみにこのミフルは元々イラン高原では「ミスラ」と呼ばれたゾロアスター教より古い太陽神で、サンスクリット語ではミトラになり、これが仏教に取り入れられた際には弥勒菩薩と呼ばれている。


 三世紀の中頃、時の最高権力者シャーブフル一世に気に入られ、エーラーン・シャフルでの布教許可を得たマーニー教の教祖マーニー・ハイイェーは、現代的な宗教教団の原型を為す組織を作り上げ、聖典を整備し、先進的な教団運営を行なった。これらは後にキリスト教やイスラム教、そしてライバルであったゾロアスター教にまで影響を与えたとする説がある。


 たとえばマーニー教教会が各地に設置した「マーニスターン(中世ペルシャ語で「留まる場所」)」は、やがてキリスト教修道院の原型になったと考えられているし、マーニー教の整然とした位階制度をゾロアスター教が取り入れたのではという話もある。


 そもそもマーニー教が聖典を整備していた頃、ゾロアスター教には聖典らしい聖典がなかったのだ。高名なゾロアスター教の聖典「アヴェスター」は紀元前十世紀くらいから歴史が始まってはいるが、書物として書き表されたのは六世紀頃になる。それまでは口伝の教えであった。もしマーニー教がなければ、アヴェスターはいまでも口伝だったかも知れない。


 なお、ゾロアスター教は善悪の対立という二元論を唱え、後にキリスト教などに大きな影響を与えることになるが、マーニー・ハイイェーがいた三世紀頃のエーラーン・シャフルにおけるゾロアスター教はズルヴァーン主義が主流であった。これは創造神ズルヴァーンを奉じる一元論的宗派である。対するマーニー教は光と闇の二元論を当初から主張していた。


 エーラーン・シャフル以前の原ゾロアスター教は二元論であった可能性が高い――マーニー教の教義は、原ゾロアスター教を換骨奪胎したものと考えられる――が、ゾロアスター教において明確に二元論が中心になるのは六世紀頃とも言われ、ここにマーニー教の影響を見る研究者もある。


 また、マーニー教では教祖マーニー・ハイイェーの死後に彼を讃える「ベーマ大祭」が行なわれるようになるのだが、この祭の実施前、信者により二十六日間の断食が行なわれる。断食と言っても昼間の飲食を控え、日没後に食事を摂るスタイルであり、これがイスラム教に取り入れられ「ラマダン」の原型になった可能性に言及されることも多い。


 そんな先進的で、急速にペルシア人に浸透したマーニー教に対し、エーラーン・シャフルの国教であるゾロアスター教側は強い警戒感を示した。中でも皇帝がシャーブフル一世からオフルマズド・アルダフシール一世、そしてヴァフラーム一世へと短期間で移り変わる中で祭司長へと上り詰めた神官キルデールは強い敵意を持ち、マーニー教を激しく攻撃したという。


 オフルマズド・アルダフシール一世の崩御後、元よりゾロアスター教に近しかった新皇帝ヴァフラーム一世によって首都ベート・ラーパートを追放されてしまった教祖マーニー・ハイイェーは、失った寵愛を取り戻すべくヴァフラーム一世に近付こうと画策するも失敗、逮捕・投獄されてしまった。この一連の動きに祭司長キルデールの暗躍があったのではとの説もある。


 マーニー・ハイイェーは獄中でも教えを説いたものの、西暦二七七年二月二六日に獄死する。死後、その体はバラバラにされ晒し者となったが、やがて弟子に引き取られ、土に埋められたと言われる。ただし、墓はない。何故ならマーニー教徒に墓は必要ないからだ。


 マーニー教において人間とは光と闇の混成物である。故に、人間が生きることそれ自体が光と闇との戦いであり、すなわち死は戦いからの解放を意味する。自殺を教義で禁じているマーニー教――それは闇への敗北だ――だが、死そのものは忌むべき出来事ではなく、祝福をもって送り出されるものだ。だから墓を築いて悲しみを後世に伝える意味がないのである。

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