第19話 余計なこと
夕食後、就寝前の「勉強会」までの自由時間に、四人は縞緒有希恵の部屋に集まった。
「まず最初に言っておきますが、この部屋には盗聴器もカメラも仕掛けられてはいません」
凜とした佇まいで正座する縞緒に、胡座をかいた釜鳴佐平が眉を寄せる。
「そいつを信用して自由闊達に議論しやしょうってんですかい。こりゃ怖えな」
「信用いただけないのでしたら、それは別にそれで」
平然と見つめる縞緒の隣で、“りこりん”が手を挙げる。
「はいはーい! “りこりん”信用しまーす」
真っ白いマルチーズは飼い主の周囲を嬉しそうに駆け回っていた。こうなると自動的に視線は小丸久志に集まる。いささかプレッシャーを感じながら、少しばかり引きつった困ったような笑顔で久志はうなずいた。
「ここで疑っても仕方ないんじゃないですかね」
釜鳴は「こりゃダメだ」と言わんばかりに顔を押さえる。
「アンタって人はもうねえ」
しかしそれを遮るように、“りこりん”は胸の前でパチンと手を合わせた。
「はぁい多数決ぅ、話を進めましょう」
「決を取ったつもりはないですが、そうですね、急いだ方が賢明かと」
縞緒の言葉に釜鳴は口をつぐむ。
一瞬静まり返った部屋で、微笑んだ縞緒は話を始めた。
「釜鳴さんは銃の流れを追いたい。そうですよね」
釜鳴の眉がピクリと動く。
「まあ、そうでやすね」
「私は麻薬の入手ルートが知りたいのです」
「あんた……マトリですかい」
「私が麻薬取締官かという質問でしたら、違います。ただし私の依頼者が厚生労働省と何らかの関係がないとは限りません。可能性の話ですが」
そして縞緒の顔は久志に向いた。
「小丸さんは、この散場大黒奉賛会が裏で手を染めている仕事の証拠が欲しい。ならば、我々三人は基本的に同じ方向を目指しています。この点、認識を共有しておくべきでしょう」
これに久志は意外そうな顔で、“りこりん”を見つめた。
「彼女の目的は違うのですか」
「違いまぁす」
“りこりん”は嬉しそうに解説を始める。
「“りこりん”の目的はぁ、トカレフの回収でぇす。小丸さんを殺そうとしたあの女が持っていたトカレフ、それをどうしても回収して欲しいって依頼があったのでぇ」
久志はあのときのことを思いだし、全身に鳥肌を立てた。
「あれ、ですか。結局あれは誰だったんでしょう。まったく心当たりがなくて」
「心当たりなんて探しても無駄ですよぉ。あの女だって小丸さんのこと知らないんですからぁ」
「へ? だけど」
「あのトカレフは特殊なんですぅ。ちょっと訳ありでぇ」
それを聞いて釜鳴がニッと笑う。
「その訳ってのは教えちゃくれねえんでやすね」
“りこりん”もニッコリ笑った。
「教えてもいいですけどぉ、絶対に信じられないですよぉ。聞かない方がマシなくらいでぇ。ただぁ」
“りこりん”は改めて久志を見つめる。
「あのトカレフは必ずもう一度ぉ、小丸さんの前に現われるはずなんですぅ。だからそれまで“りこりん”はぁ、皆さんのお手伝いをさせていただきまぁす」
キラキラ光る瞳で告げられたそれは予言なのか、それとも単なる確定事項なのか。何にせよ久志にとっては迷惑な話でしかなかった。
県警本部に戻った鮫村の車にライトが当てられ、脇に報道陣が押し寄せた。スマホでニュースを確認すれば、ムスリムの大量殺人事件が大きく報じられている。顔を上げれば鮫村の見知った記者や、テレビの全国ネットに出て来るニュースキャスターの姿も見えた。制服警官に抑えられるマスコミ関係者たちを尻目に、車は地下駐車場へと入って行く。
「えらい騒ぎになりましたね」
運転する部下のつぶやきに、後部座席の鮫村は言う。
「たぶん、本部側のリークだよ」
「えっ、そうなんですか」
天下の治安維持機関たる県警の課長がこんなことを考えるのは不謹慎極まりないのだが、現在の状況は日本政府や警察機構にとっては不幸中の幸いと言える。殺されたのがムスリムだけならとんでもない問題になっただろう。しかし謎の銃による殺人事件の被害者は日本人にも及んでいる。
犯人が狂人なのかテロリストなのか、まだ判然としないものの、とにかくこの大量連続殺人事件が民族的・宗教的な差別意識に基づいて実行された可能性はこれで低くなる。ならばそれを積極的にリークすることにより、国際的な批判を和らげることも可能になるだろう。もっとも、これで犯人を取り逃がせば、すべての苦労は水の泡と消える訳だが。
駐車場に到着すると、留守番に残しておいた若い刑事が待っていた。車から降りた鮫村に、深刻な顔でこう告げる。
「ついさっき、捜査一課長から伝言がありました。ネットカフェの事件の容疑者と思われる男の死体が見つかったと」
「どこで」
「隣県の高速のサービスエリアです。長距離トラックの屋根に乗っていたそうで」
「死因は。射殺?」
「いえ、胸を刃物で刺されていたとのことで」
何だ。何かが起こっているのは間違いない。だが、それが何なのか皆目見当がつかない。鮫村はしばし駐車場に立ち尽くしていたが、やがて顔を上げて歩き出した。まずは課長室に戻ろう。いまはとにかく情報を整理すること。必ず見落としている事実があるはずなのだから。
薬物銃器対策課の刑事部屋、鮫村は事案報告書のコピーをホワイトボードにマグネットで貼り付け、隣にボードマーカーで簡単な説明を書いて行く。
・ムスリム大量殺人→容疑者不明
・ネットカフェ店員殺人→中東系の男(死亡確認)
・国道複数殺人→ライダースーツの女(死亡確認)
・ショッピングモール銃撃戦→作業服の男(死亡確認)、坊主頭の男(九ミリパラ?)
とりあえず現状トカレフが関わっていると思われる事件はこの四つ。だが報告書はもう一枚あった。
「これは?」
鮫村の問いに、報告書をコピーしてきた若い刑事が頭を掻きながら答える。
「ああ、すみません。場所的にも時系列的にも近い事件だったんで、一応と思ったんですが」
古株の先輩刑事がジロリとにらみつけた。
「余計なことするな」
「いや、余計なことじゃないかも知れないよ」
コピーから目を離さず鮫村は言う。
「派出所巡査の撲殺。いまこのタイミングじゃなきゃ大ニュースになってたね、これ。早朝、路上で。拳銃は携帯せずロッカーに置いたまま。何でこんな時間にこんな場所にいたのか、同日当直勤務の同僚も知らない。へえ、こんな事件があったんだ」
それをマグネットでホワイトボードに貼り付け、鮫村は確認するようにつぶやいた。
「ショッピングモールの現場にいたのは、作業服の男、緑色のライダースーツの女、坊主頭の男。そのうち作業服の男とライダースーツの女の死体は発見されてる。この二人はトカレフを手にした可能性が高い。つまり坊主頭は九ミリパラの拳銃を持っている」
鮫村はしばし腕を組んで頭を捻る。
「……もし仮に。仮に巡査を撲殺したのがトカレフを持ったヤツだったとしたら。有り得ないね。そんなはずはない。トカレフを持っていたなら射殺していたはず。いや、弾を撃ち尽くしていたなら。その後で弾を手に入れた可能性も無きにしも非ず、か」
そして鮫村は顔を上げる。
「だがもし、巡査を殺したのが坊主頭だったら。これは話の筋が通る。銃弾を消費したくなかったんだ。自分がトカレフを持った何者かに狙われてると思っていたから拳銃を使用しなかった。あるいはこの後に拳銃を手に入れた可能性もあるかな」
これに周りの刑事たちは眉をひそめる。
「しかし雲をつかむような可能性ばっかりじゃ、我々は動けませんよ、課長」
「可能性ならもう二つあるんだけどね」
鮫村は振り返ると、ホワイトボードを指で叩く。
「トカレフと巡査撲殺事件はまったく関係がないか……もしくは、この巡査がトカレフを持っていたか」
目を丸くして息を呑む刑事たちに、鮫村は大きな声で指示を飛ばす。
「三班に分かれて。メンツは任せるから、一班は鑑識を連れて巡査の撲殺現場で銃弾探し、二班は坊主頭の男の手がかりを追うこと、三班は次の事件まで待機。ハイ、急いで!」
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