第5話 輝きの残り香

 財布に現金はほとんどなかったが、まだ止められていないクレジットカードがあった。地豪勇作はネットカフェの個室を二部屋借りると、一方にマーニーを放り込み、自分はもう一つの部屋で鍵をかけて横になる。


 足下は柔らかい厚手のウレタンマット、その気になれば固い地面でも眠れる勇作には上等だ。大画面のテレビはつけているが音は消した。店内のBGMは聞こえるものの、まあそれくらいはどうということもない。部屋を暗くし、モニターの明滅を横目で眺めているうちに、すぐ眠気がやって来た。


 勇作は夢を見た。


 いつもの、あの夢だ。



◇ ◇ ◇



 赤い瓦屋根の二階建て、狭くて古い木造住宅。でも母ちゃんは、この家が大好きだった。俺が小学三年生だったある夜、家が炎に包まれた。放火。道で挨拶をしたとかしなかったとか、まったくどうでもいいようなことで激昂し、勝手に恨みを抱いた男が火をつけたのだ。


 俺の部屋は二階。火の回りは速く、三日前の柔道の試合で足を折ってギプスをつけて、松葉杖がなきゃ動けなかった俺は逃げ遅れた。


 そこに炎の中を母ちゃんが飛び込んできた。俺の頭から濡れたバスタオルをかけ、胸に抱えて外に走り出ようとしたのだが、そのとき焼けた天井が崩れ落ち、俺と母ちゃんは燃える天井板や梁に挟まれて身動きが取れなくなった。


 母ちゃんは大声を上げた。


「父ちゃん!」


 その声が呼び寄せたのか、父ちゃんが炎を掻き分けて現われた。しかしもう周囲は火の海、時間がない。


「父ちゃん、勇作をお願い! 私のことはいいから、勇作だけでも助けて!」


 髪の毛の焦げるニオイ、服の化繊が燃えるニオイ。何故だか俺にはそんな記憶しか残っていない。



◇ ◇ ◇



 その後、勇作は父親によって助け出されたが重度の熱傷で入院、母親は救助かなわず、黒焦げの死体となって翌日の鎮火後に発見された。放火犯は捕まったものの、裁判では諸々の情状を酌量され僅か数年の実刑判決。それを知ったとき勇作は決めた。警察官になろうと。悪いヤツを捕まえるのだ。たとえ数年で出所しても、どうせヤツらはまた何かしでかすに違いない。だから自分の手で何度でも捕まえてやるのだと。


 勇作は体を鍛えに鍛え抜いた。高校を出て警察学校に入ったとき、指導教官が呆れ返るほど逮捕術にのめり込んだ。同期生にケガをさせたのも一度や二度ではない。卒業し現場に配属されたときには、もう立派な暴力マシーンとなっていた。しかしいかに警察とは言え、腕っ節が優秀なだけでは組織の中で生きて行けない。マトモに人間関係を構築できない勇作は部署を転々と変えられ、最終的にはじき出された。


 別にそれを悔やんでいる訳ではない。恨んでいる訳でもない。警察に居た頃とは少し意味合いが違うものの、勇作はいまでも「悪いヤツら」を追いかけ、追い詰め、ぶん殴っている。それはそれでいいと思っている。思っているはずだ。たぶん、きっと。




 何時間くらい眠ったのだろう。いや、もしかして三十分くらいかも知れない。頭が上手く回っていない。だが何かが起こっているはず。勇作は常に気を張っているため、たいてい眠りが浅いのだ。それこそ風が頬に触れただけで飛び起きるほどに。


 猟銃の入った釣り竿ケースを手に取り、音もなく体を起こすと扉を見つめた。鍵はかかっているはずだ。眠りにつく前に間違いなく何度も確認したのだから。しかし扉は開く。なだれ込んでくる店内BGM。釣り竿ケースを勢いよく振り上げながら、それでも堪えて踏み止まった。逆光の中、廊下に立つのはキャップをかぶったマーニーの小さなシルエット。勇作は思わずため息をついた。


「何だよ、おまえか」


「おまえ言うな」


 マーニーは不機嫌そうな顔を向けている。


「とは言え、寝起きは良さそうだな。ちょうどいい」


 小娘の大人びた言い回し。勇作は不穏な物を感じた。


「何かあったのか」


「場所を変えよう。アレがやって来る」


「アレ?」


 勇作は困惑するが、マーニーに慌てる様子はない。キャップを手に取りパタパタ顔をあおいで、どちらかと言えば呆れているようにも見える。


「アレはしつこいぞ。まったくどうしたものやら」




 もう深夜、閉じたシャッターがずらずらと並ぶ田舎町の繁華街に人通りはない。そもそも昼間でも半分くらいはシャッターが降りたままの寂れた商店街なのだ、夜中ともなれば寂しさは一層のこと。しかしそんな寂れた場所にも二十四時間営業のネットカフェがあるのは時代なのか。営業している以上、客は来るのだろう。その正面自動ドアが開いた。


 受付に立つ仏頂面の店員は、もしかしたらイヤイヤ夜勤シフトに入ったのかも知れない。だとしたら不幸な巡り合わせだった。


「いらっしゃ……」


 言いかけて眉を寄せる。入って来たのは虚ろな目でヒゲの濃い、見るからに中東系の男。いやそれよりも何よりも、胸の真ん中が血まみれだ。一瞬ゾンビか何かの仮装かとも思ったが、そんな穏やかな様子ではない。


 おいおい警察沙汰かよ、面倒臭え。内心そう思いながら店員は小さくため息をつくと、入り口の男に見えないようにカウンターの下の緊急ボタンを押した。これで休憩中の同僚が警察に通報してくれるはずだ。だが思考はそこまで。直後に響いた乾いた銃声が耳に届いたかどうか。弾丸は店員のこめかみを貫通していた。




 トカレフを構えたムスタファは、すぐ左手にある階段を上ろうとした。だが気付く。いや、気付いたのはムスタファではないのかも知れないが、とにかくムスタファの脳裏に言葉がよぎったのだ。


――もうここにはいない


 二階の一番奥に、ヤツはいた。さっきまで、そのはずだ。しかし、もうここにはいない。「輝き」の残り香が漂うだけ。ムスタファはトカレフをまたポケットに戻すと、振り返り店の外へと出て行った。


 足がよろめく。


 この肉体は血を流しすぎた。そろそろ限界だ。新しいのを探さなければ。店の中にいる適当な人間を見つくろっても良かったのだが、あまり一箇所に長居をすると面倒なことになる。この世界に人間は腐るほどいるのだ、難しいことは何もない。ムスタファは人通りのない深夜の繁華街を歩き出した。一歩でも敵に近付くために。

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