妖銃TT-33

柚緒駆

第1話 緑のモスク

 漆黒の自動拳銃は落ち着きのない子供のように何度もスライドを前後させ、小指の先程の小さな、しかし凶悪な弾丸を次々と吐き出した。グリップエンドの赤さびたランヤードリングには、古ぼけた木彫りの小さな子グマの人形がぶら下がり、反動に飛び跳ねている。


 銃声、銃声、また銃声。陽光きらめく夏空の下、緑輝く山間やまあいに、乾いた破裂音が何度も反響し、人々が吹っ飛び倒れて行く。さっきまで互いに悪罵をぶつけ合っていたはずの彼らの呆気ない死には、現実感が乏しかった。


 畜生、いったい何故こんなことになってしまったのか。地豪ぢごう勇作ゆうさくは頭を押さえ地面に這いつくばりながら、いまに至るまでを思い出していた。




 年号を二つほどさかのぼった昔、ここには杉林が延々と続いていたらしい。しかし手を入れる人間がいなくなってからもう随分と長い。行政区分上は村の一角だが、村人の住んでいる区域までは山を一つ、それも舗装すらされていない細い砂利道で越えなければならない。村人の大半はもはや林業に従事しておらず、たまに山菜採りが迷い込むくらい。


 そんな場所にポッカリ開けた小さな平地があり、そこには長年の風雪に耐えきれず、もはや掘っ立て小屋のようになったボロ家が一軒あった。瓦屋根の、さして大きくもない古い日本家屋。しかし下手くそな素人修繕の跡があちこちに見受けられる。


 ボーボーの草むらとなっているその周囲にはいくつものテントが張られ、十数人が棲み着いているようだ。だが誰も彼も外見、風体、話す言葉が日本人とは違う。男は豊かにヒゲをたたえ、女は黒いベールで顔を覆い、真夏だというのに体を黒い服で隠していた。


 ここに住む連中は言う。この建物は「緑のモスク」だと。そう、彼らは中東から日本に入ってきたイスラム教徒。正式な移民もいるが、そうでない者も多い。しかし警察も入国管理局も、こんな場所までやって来ることは滅多になかった。


 そもそも持ち主もハッキリしない実質放棄された土地で、近隣の村々は高齢者ばかりの限界集落。これといってトラブルも起こさないのなら、あえて問題提起しようなどという物好きもいない。仕返しを恐れながら法律だの社会正義だのを声高に叫ぶより、静かで安寧な暮らしを維持する方を選択しても不思議はない。


 しかしこの日、間もなくズフルの時間、つまりメッカに向かって正午過ぎの祈りを捧げるというタイミングで、それはやって来た。


 大小様々な四輪駆動車を連ねた車列が、緑のモスクから二十メートルほど離れて停まる。怪訝な顔を向けるムスリムたちの視界の中で、迷彩服やジーンズなど雑多な格好をした大柄な男たちが十五人ほど降りると、手に手にアラビア語で書かれた段ボール製のプラカードをかざした。


 リーダーらしき一人がメガホンを手に大声を張り上げる。


「ムスリムは日本から出て行け!」


 他の男たちは、出て行け! と唱和する。


「日本は日本人のものだ!」


 日本人のものだ!


「テロリストは国外追放しろ!」


 追放しろ!


 絶叫する男たちにムスリムの側から怒声が飛んだが、何を言っているのかわからない。実際、向こうもわかっていないのかも知れないな。反射的に怒鳴り散らしながらも、迷彩柄のシャツを着た坊主頭で岩のような男、地豪勇作の脳裏には、そんな冷静な言葉が浮かんでいた。


 勇作は三十歳まで警察官をしていた。馬力を買われて機動隊にいたこともある。だが現場で小さなミス――ちょっとイロイロとぶん殴り過ぎた――が山と積もり、平たく言えばクビになった。その後すぐに右翼系の団体に誘われ、今に至る。腕っ節には自信があるが、胸を張って頭がいいとは言えない。だがそれでも、この国を護りたい気持ちは嘘ではないのだ。故に移民排斥運動の尖兵となって日々走り回っている。


 もちろん外国人を追い出したからといって、日本から犯罪がなくなるとは思っていない。しかし日本で起こる犯罪の何割かには、間違いなく外国人犯罪者が関わっている。日本人が日本人犯罪者の被害に遭うならまだ幾分諦めもつくが、困っていると言って日本に助けを求めてきた外国人を受け入れたら、そいつらが日本人を苦しめるなどやり切れない。


 保守だ革新だ、国粋主義だ民族主義だ、そんな難しいことはわからないが、悪いヤツらを減らせばその分、世の中は平和になるはずだろう。なら悪いヤツらを生み出す母体を日本から追い出せばいい。それが差別だというのなら、勝手に差別主義者と呼べばいいのだ。別に困りはしないのだから。


 ムスリムは女たちをモスクの中に入れた。入れ替わるように中から出て来た目つきの鋭い男の手には、長い棒のような物が。いや、あれは猟銃だな。勇作はニヤリと舌なめずりをした。ヒリヒリするような緊張感とゾクゾクする高揚感。やっぱり武器を隠し持ってやがったか、凶悪なテロリスト連中め。上下二連の散弾銃、ミロクの8000だぁ? どうやって手に入れやがった。銃砲所持許可証なんぞ持ってないだろうが。


 普通に考えて、日本人の協力者がいるに違いない。金のためならテロリストだろうと何だろうと手を組む日本人は実際にいる。勇作は移民排斥運動家ではあったが、日本人が特別優秀な民族だとは思っていない。人間なんぞどこの国のどんな民族でも同じ、いいヤツと普通のヤツとクズしかいない。それは警察官として嫌というほど見てきたのだから。しかしだからこそ、違う習慣、違う文化の人間を混ぜてはいけない、そう信じている。


 勇作はリーダーに指示される前に一歩進み出た。ここから猟銃を構えて何か叫んでいる男に向かって、大きな弧を描きながら全力疾走する腹づもりなのだ。


 相手は構えがド素人、いくら散弾が拡散すると言っても真正面に立たなきゃそうそう当たりはしない。まして横方向に動いている標的に当てる腕なんぞある訳がない。正当防衛だ、思う存分ぶん殴ってやる。顔面の形が変わるまで殴り続けてやる。勇作の顔には獰猛な笑みが浮かんでいた。


 だが、そのとき。


 女の悲鳴。モスクの中からではない。勇作たちの斜め後ろからだ。ムスリムの男たちもそちらに気を取られている。見ればベールで顔を隠さない、服装もムスリムに比べれば随分と派手な女が、真っ赤なキャップをかぶって半袖のパーカーにハーフパンツ姿の十二、三歳に見える少女の手を引き、こちらに向かって駆けてくる。ヘルプ、ヘルプと大声で叫びながら。


 勇作の背後に立っていた仲間が怪訝な顔でこう言った。


「あれ、ピーナじゃねえのか」


 ピーナ、つまりフィリピン人だというのだ。だが何でフィリピン人がこんな場所に。勇作は思わず振り返ってたずねた。


「フィリピンにもイスラムはいるのか」


「そりゃいるさ。アブ・サヤフとか有名じゃん」


 そのテロ組織の名前は勇作にも聞き覚えがあった。しかし、仲間の男はこう続けたのだ。


「けどイスラムであの格好してたら、ぶっ殺されると思うけどな」


 なるほど確かにそうだ。イスラム教徒の女はあんな胸元の開いた服は着ない。ならあのピーナはムスリムではない。ムスリムではない外国人が何故こんな場所にいるのか。勇作の血の巡りが悪い頭は混乱した。


 謎のフィリピン人の女はムスリムの一人を捕まえると、何事か泣き喚いた。英語なのかタガログ語なのかは早口で勇作には聞き取れない。ただ何かを必死で訴えようとしている。しかしムスリムは女と娘――なのだろう――を怒声を上げて突き飛ばした。異教徒の女などに触れられたくなかったのかも知れない。それでも女は娘を抱き締めながら立ち上がり、今度は勇作たちに駆け寄り縋り付こうとする。そこに。


 タン、と乾いた銃声。直後、女は崩れ落ちた。


 反射的にムスリムの方を見た勇作だったが、猟銃の男は呆気に取られて銃口を下げている。それに銃声は遠かった。どこだ。いったい誰だ。周囲を見回す勇作の耳に、タン、二発目の銃声。猟銃を持っていたムスリムが額を撃ち抜かれて倒れる。音の出所を探したいのだが、周囲の山に反響してわからない。


「伏せろ! 伏せろーっ!」


 勇作は地面に這いつくばりながら仲間に声をかけた。だが三発目の銃声で、仲間の一人が胸を撃ち抜かれる。その倒れ行く体の向こう側、森の中から出て来る者の姿が見えた。青いスーツを着た金髪で背の高い、白人の男か。右手には黒い自動拳銃。それが二発連続で火を噴いた。


 どう見ても狙っているようには思えない無造作な撃ち方なのだが、銃弾は見事にムスリムの男を二人貫いた。少なくとも三十メートルは離れているはずだ。狙いもしないでミスショットがゼロなど考えられない。いったいオリンピックで何個金メダルが取れるというのか。とんでもない化け物だ。畜生、いったい何故こんなことになってしまったのか。


 ここでようやくと言うべきか、パニックが起こった。ムスリムの男たちは慌てて緑のモスクに走り、勇作の仲間たちは車へと逃げ込もうとする。だがそれを嘲笑あざわらうかのように銃声は四発連続した。そしてムスリムが二人、勇作の仲間も二人倒れる。


 しばしの静寂。勇作が視線を上げれば、白人の男はスーツのポケットから何かを取り出そうとしていた。もしかしてマガジンか。八発で弾切れ? いまどきトカレフでも使っているというのだろうか。だがいまが逃げるチャンスだ。体を起こそうとした勇作の耳に、消え入りそうな片言の女の声が聞こえた。


「オ願イ……コノ子ダケ、助ケテ……オ願イ」


 倒れたフィリピン人の女が覆い被さる下で、真っ赤なロサンゼルス・エンゼルスのキャップ越しに少女が勇作を見つめていた。その瞬間、勇作の脳裏に浮かんだのは。


 炎。あの日の、すべてを焼き尽くす炎。


――父ちゃん、勇作をお願い! 私のことはいいから、勇作だけでも助けて!


 考えるより先に体が動いた。勇作はフィリピン人の女をどけると娘を脇に抱え上げる。背後ではエンジンをかけると同時にアクセルを踏み込んだ音。余程慌てたのか一台に六、七人詰め込んだ四駆が二台、砂利を跳ね上げながら加速した。


 だがこの展開を読んでいたのだろうか、しばらく車が走った後に響く、二発の銃声。そして立ち上る巨大な炎と轟く爆音。二台の四駆が爆発した。


「……そんな馬鹿な」


 爆風に吹き飛ばされて尻餅をついた勇作は、思わずつぶやいた。車のガソリンタンクを銃で撃っても爆発しないのは、勇作ですら知っている常識だ。余程特殊な弾丸でも使っているのなら別だが、そんな特殊な弾丸など見たことも聞いたこともない。


 右脇にピーナの娘を抱えたまま、勇作は立ち上がろうと地面に左手をついた。固い物が触れる。猟銃だ。思わずそれを拾って杖にした。車はまだ残っているが、爆発するのでは乗る意味がない。ならこの両脚で走って逃げるのか。それともモスクに逃げ込むか。どちらの選択も絶望的としか思えなかった。


 そのとき混乱する勇作の腕をポンポンと叩いたのは、腕の中の娘。


「あの車で逃げられるぞ」


 そう言って小型の四駆を指差す。馬鹿なのか、このガキは。思わず怒鳴りつけようとした勇作の苛立ちと恐怖を、あどけない笑顔が押さえ込んだ。


「大丈夫、この車には当たらない」


 そんな訳があるか。いままで一発もミスショットしていないヤツなんだぞ、どう考えても尋常じゃない。この車にだけ当てられないなんてことがあるものか。言いたいことはドンドン湧き上がるのに、勇作は上手く口に出せないでいた。元から喋りが達者な方ではなかったが、命の危険が迫っているいまは特に言葉が出て来ない。


 とは言え、徒歩で逃げられるとも思えないのは事実だ。


「そうそう、便利な物は使わないとな」


 娘はまるで勇作の脳内をのぞいているかの如くそう言う。


「早くしないと、こっちに近付いて来るぞ」


 ええい、一か八かだ。勇作は車に走り、運転席側のドアから助手席に娘を放り込んだ。そして自分も乗り込みエンジンをかける。その目の前に、いつの間にか青いスーツの白人の男が立っていた。銃を持つ右手が静かに上がる。


 勇作は相手を轢き殺すつもりでアクセルを踏み込んだ。フロントガラスが砕け散り、耳に届く、タン、と乾いた銃声。左腕に焼けたナイフを突き刺されたような熱と痛み。だが勇作は構わず直進した。


 鈍い衝撃。


 白人の男が体をくの字に曲げボンネットに叩き付けられる寸前、ほんの一瞬、勇作と視線が合った。意思を失ったかのような虚ろで青い目。そして口元に浮かぶ不気味な笑み。スローモーションのように、男は大きく撥ね飛ばされた。


 勇作は絶叫しながらアクセルを踏み込む。逃げるのだ、いまはとにかくここから離れるのだ。四駆は唸りを上げながら遠くへと走り去って行った。




 四駆に撥ね飛ばされた白人の男は、全身のあちこちがいろんな方向を向いている。すでに息絶えているらしい。そこに一人のムスリムの男が慎重に近付き、右手に握られていた黒い自動拳銃を奪うように取り上げた。それは過去に見たことがある。おそらくはトカレフTT-33。やはり死んでいるのだろう、白人の男は何の反応も見せない。


 後ろからついてきた、もう一人のムスリムが名を呼ぶ。


「ムスタファ」


 大丈夫なのか、とたずねたかったのかも知れない。けれど、その質問は発せられなかった。額に穴が空いてしまったからだ。銃声はムスタファの右手のトカレフから。ムスタファは白人の男の青いスーツのポケットを探り、銃弾が詰まった替えマガジンを取り出した。意思の光を失った虚ろな目で、不気味な笑みを口元に浮かべながら、彼の足は緑のモスクへと向かう。

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