そのラブレターは奇跡でなければ届かない

和成ソウイチ@書籍発売中

そのラブレターは奇跡でなければ届かない


 休み時間――。

 私の日課は、前の席に座る甲斐の背中をつんつんするところから始まる。


「ねえねえ、甲斐。外見て外。もうめっちゃ春だよ。いいねー春」

「めっちゃ眠いんだけど俺」

「わかる。眠気ヤバ。けど他にあるでしょ。こう、春だなーって」

「あー」


 ぼりぼりと頭をかく甲斐。ちょっとくせ毛で、耳の横あたりが少しだけハネてるのがかわいい。

 けど、後ろの席から見る背中は意外にがっしりしてて。やっぱり男子なんだなあと、いつも思う。


 ――あいつの背中に鏡があったら、私、今どんな顔してるんだろうな。

 たぶん、だらしなくにやついた地味女が映るだろう。想像して自分でへこんだ。


 前の席の甲斐が振り返ることはめったにない。私はそれを良いことに、甲斐によく話しかけていた。

 私の日課だ。大事な。


「……川沿いの桜」

「へ?」

「パッと浮かんだやつ。春と言えば」


 あやうく吹き出すところだった。

 なんだそのロマンチックな答えは。

 私が笑いをこらえていることに気づいてるのだろう。甲斐がちょっとだけ頭を伏せた。


「しゃーねえだろ。男は生まれつき夢見るもんなんだ」

「はい頂きました今日最初の『しゃーねえ』さん!」


 しゃーねえ、は甲斐の口癖だ。


「そして似合わねえ!」

「団子女に言われたくない」


 ――ちょっと前に「花見よりお団子食べたい」とうっかり口を滑らしたことを覚えていやがった。

 でもまあ。そっか、覚えててくれたのか。


 授業の合間の休み時間。十分かそこらの短い時間。

 毎日私の方から話しかけて。この時間が楽しいと思っているのは、私の方だけだろうか。


「勝田」

「え、なに?」

「いや、何かさっきから視線を感じるんだけど」

「気のせいだってば。ていうか、あんた私より前の席なんだから、当然でしょ」


 振り返ろうとした甲斐の背中をぱんぱんと叩く。

 嘘。嘘です。

 じっと見てました。休み時間中、それだけじゃなく、ずっと。


 ――でも、ばれてはいけない。

 私が、甲斐をじっと見ていただけじゃなくて。

 私が、甲斐に、ラブレターを出そうとしていたことを。



◆◇◆



 ――あいつの下駄箱にラブレターを置こうとしたのは、数日前のことだ。

 私なりに勇気を出した一歩。後ろの席のうるさい女から踏み出すための、一歩。


 しかし、そのとき見てしまったのだ。

 甲斐の下駄箱に、一通のラブレターが置かれていたのを。


 私のよりも綺麗な封筒で、私のよりも綺麗な字で、私と違ってちゃんと自分の名前も書いてて。

 そのは、別のクラスの私ですらよく知ってるくらいの、超美人。

 一目見たら「あ、ヤバ。スゴ」と思うくらいの、スゴイ子。


 私、その場から急いで立ち去ってしまった。自分のラブレターをくしゃくしゃに丸めて、鞄に突っ込んで……。

 そりゃそうだ。

 私みたいな地味女より、美人の彼女の方が何倍もいいに決まっている。

 こちらに許されるのは、この休み時間のわずかな会話だけ。私は……モブその1だ。


 私の机と、甲斐の椅子。

 その間、わずか十センチくらい。


 その差が、とても遠く感じる。私の声も、想いも、「もしかしたら気持ちが伝わるかも」という淡い期待も、奇跡のような理想の関係も、ぜんぶ、この十センチの間に落ちて消えてしまう。

 そんな気がした。


「そういえばさ」


 私はいつもどおり話しかける。もやもやした気持ち全部に蓋をするつもりで。


「もう少しで『光桜祭こうおうさい』だね。あんたの好きなロマンチックな景色が見られるじゃん」


 我ながら上手い話題逸らしだと思った。


 ――光桜祭。この街独特のイベントで、まあ要はお花見なんだけど、ちょっと他と違うところがひとつある。

 それは、川沿いの桜がライトアップされる夜八時から始まることだ。


 うちの桜、すごい根性がある奴で、川の両側からまるで互いに抱きつくように伸び、重なり合っている。

 春、満開になると、まるで桜の橋ができたみたいに見えるのだ。

 これが光桜祭名物、さくらばし

 その見た目から、カップルの定番デートスポットになっていて――。


「行くのか?」

「え?」


 珍しく甲斐から話を振られ、私は一瞬思考停止した。

 行きたい。

 行きたいに決まっている。

 一緒に行こうよ。

 ……と、素直にそう言えたらどんなにいいか。


 ラブレターのことが頭にちらつく。

 机と椅子の間、私と甲斐の間の十センチ。私はためらってしまった。


「どうだろ。まだ決めてない」


 言ってから、現実逃避する。

 ――私は、いつから。

 甲斐のことを気になり始めたのはいつからだったのだろう。どうしてだっただろう。


 そうだ。甲斐はああ見えて面倒見がいい。いつも「しゃーねえな」が口癖で。

 最初は「こいつ人が良すぎ」と呆れていたのだけど、会話して、「しゃーねえな」が別に甲斐が好きで言っているわけではないと知って、そのときの拗ねたような顔が可愛いと思って、そこからどんどん話しかけ始めて、話していくうちに楽しくなって、一緒にいられるのが楽しくなって。それで。


 だから。

 だから甲斐と光桜祭に行けたら、そしてあわよくば一緒に桜橋が見られたら楽しいだろうなって思って。


「甲斐が行くなら行こうかな」


 ……言えた。

 言えてしまった。

 甲斐は。


「じゃあ行く」


 ――と、答えてくれた。


 その日の残り授業全部、どんな風にノートを取ったのか、まったく覚えてない。



◆◇◆



 私が初めて光桜祭を見たのは一昨年のこと。

 両親の転勤でこの町に引っ越してきてからだった。


 夜、八時。

 屋台も灯りを控えめにし、桜だけがライトアップされる。

 光が反射する川面。夜の暗さから切り取られた桜の花びら。そして、満開となった両岸の桜が枝を重ね合わせる桜橋。

 縁結びの御利益があると言われるのも、すごく納得。

 世の中に、こんな綺麗な奇跡があるなんて。


 だが、興奮しっぱなしの私に向かって両親は言うのだ。


「縁結びの本当の由来は桜橋ではないんだよ。桜の花びらとともに恋文が送られたことからなの」


 ――と。

 両親とも大学に務めているから、各地の風習に詳しい。

 私は「ふーん」と生返事をしていた。


 正直に言うと、私は桜橋の方がロマンチックだと思ったのだ。カップルが桜橋を前にしてそっと手を取り合う――そっちがいいなあ、と。

 せっかくのお祭りなのに普段通りの格好で平気な両親への、ちょっとした反発もあったかもしれない。



◆◇◆



 ――光桜祭当日。

 待ち合わせよりも早く来た私は、お祭り会場から少し外れたおやしろの前に立っていた。

 お母さんから渡された短冊を納めるためだ。

 春に短冊って、なんか変な感じ。

 縁結びを願うならコレを使いなさい、だって。勘の良い親を持つとムズムズする。

 言うとおりにする私も私だけど……。


 両親が言うには、どうやらこのお社がもともとの言い伝えに関係しているらしい。

 誰もいないけれど、むしろこの静けさがありがたかった。

 バクバクする心臓を、少しでも落ち着けられるからだ。


 短冊にはあらかじめ「甲斐と恋人同士になりたい」と書いていた。だがいざ納めるとなったとき、急に気恥ずかしくなって、その場で「勇気が出せますように」と書き換える。


「わっ……とと。今日は風が強いな」


 納めた短冊が風で飛んでしまわないか心配になりつつ、私はその場を離れた。そろそろいい時間だ。待ち合わせ場所へ急ぐ。


「よう」

「か、甲斐……その格好」

「何だよ。おかしいか」


 ベンチに腰掛けながら答える甲斐。

 微妙にくたびれたジャケットが、絶妙に似合っていた。

 ヤバい。頭が真っ白になりそう。

 ごくりと唾を飲み込む私。


「よし! 夜は長いから、いっぱい回って楽しもう!」

「勝田。その台詞だいぶギリギリ」

「うっさい!」


 先に歩き始める私。

 それは表情を見られないようにするため。


「そういえばさー! 昨日国語のミキっちが――」


 甲斐に「今日は楽しかった」と言ってもらいたい。


「あ! あっちにじゃがバターがある! ねえ一緒に食べようよ!」


 私と一緒に回ってくれる甲斐を、ガッカリさせたくない。


「うーん! やっぱり人が多いねえ!」


 精一杯、楽しいものにしたい。

 私が、盛り上げなきゃ。いつものように、話をしなきゃ――!


「ライトアップはまだかなあ!?」

「おい勝田」


 甲斐が隣に立ったので、私は思わず「なに!?」とけんか腰みたいな口調で尋ねてしまう。


「あんま無理すんな」

「……え?」

「今日のお前、やたら声がデカイ。毎回語尾にびっくりマーク付いてる感じ」

「いや、そんなこと」


 じゃがバターを一口食べて、甲斐はちらりと私を見た。


「毎日どんだけ勝田の話を聞いてると思ってんだ」


 私の、話。

 甲斐は、私のしょうもない話をちゃんと聞いてくれていたんだ。声の調子も覚えてしまうくらいに。

 毎日、毎日。

 ちゃんと。


 ……そんなこと。

 そんなこと言われたら、舞い上がるしかないじゃんか……!


 途端に黙ってしまった私の前を、甲斐はゆっくりと歩き出す。私は付いていく。

 たかぶるって、こういうことなのかな。

 黙ってないと、言葉が勝手に出てきそう。手が震える。身体が、頬が熱い。

 どうしよう。手を伸ばせば、甲斐の後ろ姿がすぐそこにある。

 そう、あと十センチくらい――。


 十センチ。


 手を引っ込める。

 ……思い出してしまった。ラブレター。

 ラブレターを送った、あの綺麗な、可愛い、めっちゃすごい子。


 ねえ、あの子とはどうなの――って。

 聞けたら。きっと変わる。変われる。

 でも、この十センチは私にとって、とんでもなく、遠い。

 ――『遠い』、なんて思った私に、きっと神様は愛想を尽かせたのだろう。


「あ……」


 甲斐が不意に、足を止めた。

 広い背中から顔を出すように、私は前を見る。


 あの娘が、いた。


 スマホの画面から、グラビアの表紙から、雑誌の特集から、そのまま出てきたような完璧な姿のあの娘が、甲斐の前に立っていた。

 その娘は、はにかんだように笑った。

 甲斐は無言だった。私は後ろにいたから表情はわからない。けど、頭をかく仕草が、照れているとき、困っているときのそれと一緒だったから。


 ああ、やっぱり――と思った。

 瞬間、私の中で何かのスイッチが、がしゃんと入った。


「ごめんね、待ち合わせしてたんだね」


 私の口は勝手に動き出していた。

 甲斐が驚いて私を見る。私は勝手に笑顔を作っていた。


「ああそうだ、あたしお母さんから頼まれごとがあったんだ。急がなきゃ。ごめんね甲斐」

「おい勝田……」

「それじゃ、また……明日ね」


 踵を返す。数歩歩いたら、あとは走り出した。

 後ろで声がしたが、もうわからない。

 ぐしゃぐしゃした頭の中、ひとつだけ、私は自分を褒めたいことがあった。

 また明日――それだけでも、よく言えた。言ってやったぞ、私。

 ざまあみろ、ははは。

 はは……。



◆◇◆



 どこをどう走ったのかよくわからない。

 気がつけば私は、古びた石碑がある高台に来ていた。

 見晴らしがいい。下を見ると、今まさにライトアップ真っ最中の桜橋が見えた。


 自分に対する情けなさがこみ上げてくる。私は高台の端っこに立った。大きく息を吸い込んで、お腹の底から叫ぶ。


「ばかやろーっ!!」


 主に自分に対して。

 本当にバカだ、私。

 誰も見ていないけれど、せめて涙は流さないようにと上を向く。


「悪かったな」


 ――聞き間違いかと思った。


 ゆっくりと振り返る。

 そこに、甲斐がいた。え、何で。どうして。

 少し息が上がっている。走って追いかけてくれたのだとわかった。

 なのに、私はバッと視線を空に戻してしまう。


「見るなバカ」


 嬉しいのに、この期に及んで意地を張ってしまう私。

 甲斐の足音が近づいてくる。私はもう一度、「嫌だ、顔を見るなってば」と言った。

 なのに、こんなめんどくさい女の言葉を聞かず、甲斐は隣に並んだ。


 それだけじゃなくて。

 甲斐は、私の手をそっと握ったのだ。


 一瞬、心臓が止まりかけた。頭がぐちゃぐちゃになって、すぐ、何もかもどうでもよくなるくらい真っ白になった。

 手の温かさが、冗談みたいに心地よい。

 にじんでいた涙が、少し、引っ込んだ。


「こうすると落ち着くって、誰かが言ってた」

「なにさ、それ……」


 軽口が出てくる。

 想いが喉のすぐそこまで出かかっている。

 何秒経った? 何分経った? 何時間経った? 短い時間が、ものすごく長く感じる。

 唇が震える。


 そのときだった。

 高台の下から、一際強い風が吹き上げてきた。私も甲斐も、短い声を上げて目を閉じる。それくらい強い風。転ばなかったのが奇跡みたいな。

 ゆっくりと目を開ける。


 ――夜空に、桜が咲いていた。


 下から巻き上げられたらしい桜の花びらが、たくさん、私たちの前で舞っていたのだ。

 綺麗だった。自分の情けなさも全部吹っ飛ぶくらいに綺麗だった。


 舞う花びらの中に、一枚の短冊を見つける。ひらひらと、迷子のように不規則に飛ぶ季節外れの短冊。

 それは私たちに近づいて。

 甲斐がしっかりと、つかみ取った。


「やっぱ、神様っているんだな」


 そんなロマンチックなことをつぶやく甲斐。

 短冊を私に見せる。


「……これ、お前の字だろ」


 そうだ。間違いなく、私が書いたもの。

 でも。でもさ。どうして。

 どうして一目見て気づいてくれるのさ。

 そんなことされたら――。


「……好き」


 言うしかないじゃないか。


「私、甲斐のことが好き。ずっと、大好き」


 しっかりと甲斐の顔を見て、言った。

 目を白黒させる甲斐は、初めてだった。

 私は笑った。そして口を滑らせる。


「例のカワイイ子と付き合ってるのはわかってるけど、さ」


 すると、甲斐は頭を掻いた。


「あの子の告白は断った。だから何でもない」

「…………へ?」


 今度は私の方が目を白黒させた。

 口を半開きにした私をちらと見て、甲斐は口をへの字に曲げた。


「お前から言うなよ。格好悪いじゃん俺が」


 握った手が汗ばんでいる。どっちの汗だろう。

 甲斐は大きく息を吸い、短冊をぎゅっと握りしめ、「俺も好きだ」と言ってくれた。


 ――綺麗な綺麗な桜橋から遠く離れた場所。

 私たちが両想いになったと実感した瞬間、再び風が吹いた。ピンク色の桜が、夜空の星に成り代わるようにたくさん、舞う。

 私たちは手をつないだまま、お互い少しだけ近づいて、桜の舞を見つめた。


「もうしゃーねえって言わない」

「え、何で」

「お前と話すときのおまじないみたいなもんだったから。でも、もうおまじないは必要ないから」

「……しゃーねえな」

「お前が言うのかよ」


 私は笑った。甲斐も笑った。

 十センチの隙間は、今、繋がった。






 ――両親の話では、私たちが告白したあの場所には昔、偉い人のお屋敷があったのだそう。

 屋敷の主との身分違いの恋に悩んでいたとある娘が、恋文を神社にお供えし、それが風に飛ばされ、屋敷の主のところまで届いたという逸話から、光桜祭はできたらしい。


 やっぱり、恋はいつの時代も奇跡なんだね。


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