唐沢卓郎(13)
『はい、どうぞ』
大木はログインしてすぐ、敦也のマイルームを訪れた。呼び鈴を押すと、敦也がすぐに招き入れてくれた。
『あなたは誰ですか?』
何の特徴も無い、試験アカウントの大木を見て敦也は不審に感じている。
『梶田敦也、お前は騙されている』
時間はあまり無い。大木は単刀直入に、伝えなければいけない事を入力した。
『俺が騙されている? 何の事だ? 俺が誰に騙されていると言うんだ』
敦也は意味が分からず困惑しているが、大木にとっては想定内だ。
『中島千尋と生田里香は同一人物だ。千尋はお前を騙している。また退所権利を餌にお前を傷付けるだろう』
今は疑いの芽を植え付ければ良い。それが後で花開くだろう。
『なっ! 馬鹿な事を言うな! 千尋は里香とは違う。卓郎さんが保証してくれたんだ』
敦也が卓郎を信じ切っている事に、大木は苛立った。『唐沢を信じるな。奴は人殺しだ』と大木は入力しようとした。
「大木! 何をしているんだ」
その時、卓郎が大きな声を出してフロアに飛び込んできた。パソコン部屋から出ていた卓郎がなぜ気が付いたか不思議だったが、理由を考えるより先に、大木は慌ててログアウトした。
「なんですか、唐沢さん。大声で驚きますよ」
「お前、試験用のアカウントで「真実の世界」に入っただろ」
卓郎が手に持つスマホで大木は理解した。美紀が気づいて、連絡したのだ。
「いや、修正箇所の試験をしていただけですよ」
大木は苦し紛れの言い訳をする。
「嘘を吐け。勝手にログインするのは違反だぞ」
「何を揉めているんだね、唐沢君」
騒ぎを聞きつけた林課長が、迷惑そうに二人に近づいてくる。
「こいつが無許可で「真実の世界」にログインしたんです」
「か、課長、私は申請しましたよね」
大木は林の面倒を嫌う性格を利用して、目配せをしながら架空話をでっち上げた。
「あ、ああ、ああ、そうだった。唐沢君に連絡するのを忘れていたよ。何も問題ないから唐沢君も心配しなくて良いよ」
林は大木の意図を理解して話を合わせた。もし、大木が何か不正をしたなら自分も責任を負わねばならない。林は大木が「真実の世界」で何をしようが、たいして興味はない。申請書は後からでも捏造できるし、話を合わして事が収まればそれで良いのだ。
「じゃあ、申請書を見せてください」
嘘だと感づいている卓郎が食い下がる。
「君は私の言う事が信じられないんですか。これ以上騒ぐのは迷惑です。さっさと部屋に戻って仕事を続けてください」
林は逆切れして席に戻ってしまった。これ以上追及しても成果は望めそうもなく、卓郎は諦めるしか無かった。
「何を企んでいるのか知らんが、入所者を苦しめるのは許さんぞ」
卓郎は去り際に、大木の耳元で脅しを掛けた。
「苦しめるだなんて、酷いな。俺はいつも入所者の事を考えていますよ」
大木は意に介さず、卓郎の背中に言う。パソコン部屋に入るのを見届けてから、次の段階に行動を移した。
退所許可の通知を敦也と千尋にメールするのだが、大木は千尋のみにメールを送った。敦也は自分が退所許可の対象になっている事を知らないままになる。
「上手く行けば、二人の仲は永遠に壊れるだろう」
大木は結果を想像していやらしい笑みを浮かべた。
定時になり、美紀が帰宅する為に一人バス停に座っていると、大木の国産高級車が目の前に止まった。
「今帰り? 丁度良かった、送って行くよ」
美紀は開いた口が塞がらなかった。あれだけ嫌がらせを続けているのに、自分を誘う大木の神経を疑った。
「結構です!」
美紀は大木を見ず、強い口調できっぱりと断った。
「あーそれは残念だな……。唐沢の過去の面白い話を教えてあげようと思ったのになあ……」
美紀は思わず大木の方を見てしまった。大木は、興味を持ってしまった美紀の足元をみるように、にやついている。
大木は唐沢さんの何を知っていると言うのだろうか? 唐沢さんが自分の幸せを考えない事に関係があるのだろうか? 興味がないと言えば嘘になる……。
美紀はこのまま断るべきか躊躇した。
大木が運転席から体を伸ばし、助手席のドアを少し開いた。
「乗りなよ」
その言葉が切っ掛けになり、美紀はドアを開き助手席に座った。
美紀は駅前のホテルの一階にある、この田舎町では一番高級なレストランで大木と向かい合っていた。
「俺はこのお勧めディナーコースで」
大木がメニュー片手にウェイトレスに注文している。
「私はホットコーヒーをお願いします」
美紀はメニューを見もせず、コーヒーを注文した。
「おいおい食事に来たんだぜ」
「いい加減にしてください! 私は唐沢さんの話を聞きたいだけです。さっきからはぐらかしてばかりで全然話してくれないじゃないですか」
美紀は車の中からずっと話すように催促していたのだが、大木は適当にはぐらかすばかりで、とうとう話を人質にレストランに入る破目になってしまった。
いい加減に美紀は大木を疑いだしていた。唐沢の過去の話を知っているのは嘘で、自分を釣るためだったんじゃないかと。
「分かった言うよ……」
大木は仕方が無いと言う表情で、顔を近付けて来てぼそりと言った。
「唐沢の奴は人殺しなんだよ」
「えっ?」
あまりに意外で、きょとんとした顔の美紀を見て大木は満足そうな表情を浮かべた。だが美紀は一瞬で素に戻り、バッグの中の財布から千円札を取り出しテーブルに置いた。
「失礼します」
そう言うと大木の顔も見ずに出口へと歩き出す。
「お、おい、待てよ」
大木は慌てて美紀を追う。
「悪質なデマをこれ以上聞く価値はありません」
「いや、デマじゃない。聞いてくれよ」
出口へ向かう二人にウェイトレスが慌てて声を掛けてきた。
「あのお客様。もうすぐ料理が出ますが……」
ウェイトレスに捉まった大木の方を見もせず美紀はレストランを出た。そしてすぐに駅前でタクシーを拾い乗り込んだ。
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