高橋和人
高橋和人(1)
『バーチャルなんやし、二十四時間で営業すればええのに』
和人はヘッドギアのスピーカーから流れてくる蛍の光を聞き、つまらなさそうにそう呟いた。
「真実の世界」のパチンコ店は十時開店二十二時半閉店で営業している。仮想空間の擬似店舗なのに、現実社会と同じ営業時間になっていた。
和人は店を出ると、すぐにログアウトした。「真実の世界」の中ではパチンコしかしない。友達登録も、来る者は拒まずだが自分から探したりはしていない。きっちりと決められた仕事をこなすかのように、毎日、毎日パチンコだけを打ち続けている。
「養鶏場」の部屋は狭く静かで寂しい。パソコン無しでこの部屋に閉じ込められていると数日間で精神が壊れてしまうだろう。だからこそ、入所者達は「真実の世界」へと入っていく。ヘッドギアを通してみる「真実の世界」は無限のように広がり、友人と語らい、様々な場所を楽しみ、狭く閉じ込められた現実を忘れようとしているのだ。そんな多くの入所者と比べても、和人の行動は異質だった。パチンコ店が閉店すると、外の世界の匿名掲示板にあるパチンコカテゴリーを覗くか、動画サイトでパチンコ実機の演出動画を観る。パチンコ以外、興味を示そうとはしないのだ。
この日も動画を観ようとネットを漁る。
画面を見ている和人の耳に、プーンと微かな羽音が聞こえた。和人は顔を上げ、音を頼りに羽音の主を探す。
「おっ」
程なく視線の先に、一匹の蚊を見つけた。
ドアの搬入引き出しか、空調設備のダクトからか分からないが、外から蚊が部屋に入っていたようだ。和人の部屋は窓が無く、三年目の今まで虫が入って来た事など一度もない。
やがて蚊は吸い寄せられるように、和人の二の腕の柔らかい部分に止まり、血を吸い出した。
「慌てんでもええで。ゆっくり吸いや」
和人は蚊を払ったり叩いたりするでもなく、むしろ優しい視線で語り掛けた。
蚊は血を吸い終えたのか、腕を離れプーンと部屋の中を飛び回った。
「満足したか。腹が減ったらまた吸えばええからな」
和人は穏やかな笑顔を浮かべ、しばらくの間蚊を目で追っていた。
やがて、蚊が闇に紛れて見えなくなると、パソコンを閉じ、布団に潜り込んで眠ってしまった。
次の日、和人はすっきりした顔で目覚めた。
すでに運ばれて来ていた朝食を食べ、開店時間も近づいたので、パソコンを立ち上げようといつもの位置にセットした。
「あっ」
閉じられたノートパソコンの上に蚊が一匹死んでいた。
和人は「なんでや……」と一言ぼそりと呟き、肩を小刻みに震えさせ、何かに耐えるように辛そうな顔で蚊を眺めていた。そのまま固まったように、ずっと蚊を見つめていたが、しばらくすると天井を仰ぎフーとため息を吐いた。
気が落ち着いたのか、和人はティッシュペーパーを一枚持ってきて、死んだ蚊を潰さないように丁寧に包み、部屋の隅に置いた。
和人はいつものようにヘッドギア内に映るパチンコ台の映像を見つめ、ひたすら打ち続けていた。
右手でタッチペンを動かし、パチンコの操作を続ける。盤面に次々打ち出されるパチンコ玉。何玉かに一玉はスタートに入り中央の液晶画面の演出が回り始める。何か監視の仕事を請け負っているかのように、じっと見つめている和人。
「真実の世界」においてギャンブルは殆ど無意味だ。通貨の観念がなく、バーチャルではあるがサービスが無料で受けられる為、ギャンブルとして賭ける物がないのだ。だからこそ店で朝から晩までパチンコしている奴には、ギャンブル以外の目的があると和人は思っている。和人自身の目的は、忘れる事だった。酒好きの人間が酔っ払って嫌な事を忘れようとするように、和人はパチンコに集中する事により思い出したくない過去を忘れようとしていた。
『ちょっとお兄さん』
パチンコ台を黙々と眺めていた和人は、横から声を掛けられた。
『当たったみたいなんだけど、これどうすれば良いの?』
いつの間に隣に来ていたのか、画面右にはキャバ嬢かと思うような、ちょっと盛り過ぎな美人が座っていた。
『この台は当れば右打ちするタイプやから、タッチペンでハンドルを右に回せばええよ』
別に無視する理由も無く、和人は簡単に教えてあげた。
『おー、おー、凄い。出てる、出てる!』
女はせっかく綺麗なキャラを作っているのに、育ちが悪いのか品がない。
和人は少し呆れつつも、素の自分を隠さない素直な人柄なのかと、親しみを覚えた。
『お兄さん、ありがと』
品の無い美女は満面の笑みでお礼を言った。
『べつにええよ』
『お礼に友達登録してあげる』
『えっ、いや、ええよ、こんなんぐらいで』
和人は友達を増やすことに積極的ではない。自分の意思で登録したのは卓郎のみで他の人は全て卓郎の紹介だった。
『遠慮しなくていいって。だってここで若い娘(コ)と友達に成れるってラッキーじゃない』
いやいや、お前が若いとは限らへんし……そもそも女かどうかすらも、分からへんのに……。
和人はそう心の中で突っ込みを入れながらも、女が嘘を吐いているとは感じなかった。
『ありがとう。でも遠慮しとくわ』
『ええ……そんなぁ……』
女が泣き顔になった。
『おいおい俺なんか悪い事したか? 分かった登録するから、泣かんといてくれ』
『よっしゃー友達ゲット! 私、澤田怜奈(さわだれいな)よろしく』
こうして和人はちょっと変わった女、玲奈に付きまとわられる事になった。
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