梶田敦也(6)

『部屋はダブルにしますか? ツインにしますか?』


 ホテルも一流の雰囲気が忠実に再現されている。フロントでチェックインすると、従業員にそう聞かれた。そこまでリアルにしなくてもと思いながらも、敦也はどうしようかと迷う。里香は特に反応が無く、敦也の判断を待っているようだ。


『ツインでお願いします』


 下心を悟られるのが怖く、敦也はツインを選択した。


『少し休憩しようか? ご飯も食べていないし』


 部屋に入るなり里香がそう提案した。


『分かったそうしよう』


 二人はキャラをそのままにした状態で、ヘッドギアを外してリアルの食事をとる事にした。


 部屋で二人きりになり、さあ、これからと緊張した瞬間だったので、敦也は肩透かしを喰らった気分になった。ツインを選んだ事を怒っているのだろうか? ずいぶん前に運ばれていた晩御飯を食べながら、敦也は不安な気持ちであれこれ考えていた。


 食事が終わり、敦也が「真実の世界」に戻っても、里香はまだ無反応のままだった。


『ごめん、遅くなって』


 一時間程して、ようやく里香が戻って来た。


『時間が遅くなっちゃったね。もう寝る?』

『そ、そうだね……』


 このまま何も無く、寝てしまうのだろうか。


 里香の言葉に、敦也はがっかりした。


 敦也は泣きそうな気持ちで、二つあるベッドの片方に入る。すると後から里香も同じベッドに入ってきた。


『えっ……』

『遅くなってごめんね。今シャワーを浴びてきたの。綺麗になりたくて』

『里香さん』

『さんはやめて。里香って呼んで』

『里香……』


 すでに画面に現れていた抱きしめるアイコンをタッチする。


『敦也君も興奮してるの』

『うん、興奮してる』


 目の前に実物がいないもどかしい気持ちと、里香の言葉で高まる興奮で、敦也は叫び出しそうだった。


『嬉しい……私、初めてで緊張してるの……だから優しくしてね』

『分かった』


 それから画面に出てくるアイコンとお互いの言葉で、二人は初体験を済ませる。実際には自慰行為なのだが、敦也は心の繋がりを感じ、バーチャルとは思えない程の快感を味わった。


 終わってからも二人はベッドで抱き合い続ける。


『このままでずっと一緒にいたいな』


 敦也の素直な気持ちだ。


『私も同じ気持ちだよ』


 里香が敦也を見つめて応える。


『もし本物の私に会えるとしたら、会いたい?』


 今までに何度も聞いた質問だ。里香は本物の自分と、キャラとしての自分のギャップに不安があるらしい。そう言う気持ちは男より女の方が強いのだろう。


 敦也はそんな里香の不安を消してやりたいといつも思っていた。


『もちろん会いたい。俺は可愛いから里香が好きなんじゃない。里香の心が好きなんだ』


 しばらく沈黙が訪れた。怒らせるような事は言っていないはずだが、敦也は不安になる。現実の顔が見えない仮想世界では沈黙は恐怖だ。


『ごめんなさい。実は敦也君に黙っていた事があるの』

『黙っていた事?』


 何の事だろうか、何か悪い事でもあるのだろうか? 敦也は高まる不安を抑えて里香の言葉を待つ。


『実は私達がここから出る方法があるの。ここから出て一緒に暮らしていける方法が』

『ええっ!』


 敦也は予想もしなかった里香の言葉に驚いた。


 ここから出られる? 一緒に暮らせる? 


 敦也は里香の言葉を何回も頭の中で繰り返したが、その意味が現実として理解出来ない。


『黙っていたのは隠すつもりじゃなかったの。本当の私にあって敦也君の気持ちが変わったりしないか心配だったの』


 里香はここから出られる事が当然のような話し方で言い訳している。だが、敦也にとっては黙っていた事より、本当に出る事が出来るのかの方が疑問だった。


『黙っていた事は怒っていないから大丈夫だよ。それより本当にここから出られるの?』

『それは大丈夫だと思う。出た人を知っているし、方法も分かっているから』


 里香の説明はこうだった。


 政府はニート問題と同時に少子化の問題も重要課題として考えていた。試験的に施設内のソフトで恋愛感情を刺激する出会いを充実させ、出産可能な若者のカップルを作り出して極秘で出所させる。出所後は政府が用意した支援プログラムで生活させ、幸せな家庭を築けるのか試す。実験が上手く行けば、実社会で婚活プログラムとして反映させる計画と言うのだ。


『条件は若く健康なカップルである事。秘密は厳守。もし漏らせばまたここに逆戻りで二度とパートナーや子供とは会えないわ』


 イベント広場のプログラムはそう言った意図で作られていたのか。


 敦也は不思議と騙されたと言うネガティブな気持ちにはならなかった。


 仕組まれていたとしても関係ない。今の里香への気持ちは本物だから、むしろ感謝したいくらいだ。もし会って一緒に暮らせるのなら条件は絶対に守れる。


『その条件は問題ない。守れるよ』

『それともう一つ。元の家族とも二度と会えないし、連絡は取れない。敦也君は大丈夫?』


 家族……敦也の思い出したくない記憶が引きずり出される。


『俺の家族なら大丈夫。俺は見捨てられているから……』

『ごめん……辛い思い出なのね』


 敦也はまだ自分の過去を里香に話せないでいた。タイミングがなかったのもあるが、本心は自分の情けない過去を知られるのが怖かったのだ。


 里香は自分とここを出て一緒に暮らそうとしてくれている。里香には隠したくない、誠実でいたい。


 敦也は今がタイミングだと、心を決めた。


『そう、辛い過去だよ。でも……だからこそ里香には聞いて欲しい。俺の過去を……』

『……分かった。しっかり聞くよ』



 敦也は一流企業に勤める父と、地元の資産家の家に生まれた母との間に、次男として生まれた。


 完璧主義者の父は、やみくもに厳しいだけの人間だった。物事出来て当たり前、出来ないと非難され、手をあげられる事も少なくない。「だからお前は駄目なんだ!」「お前は出来損ないの失敗作だ」兄が優秀だった為に、敦也に浴びせかけられる言葉は辛辣だった。


 幼い頃より失格の烙印を押され続けた敦也は、学校に通う年になっても自分自身を肯定出来ずにいた。目立たないように、存在を消す事を常に心掛けていたのだ。


 しかし、学校という場所はそう言う存在にも容赦せず、いじめと言う牙をむく。面白い事の一つも言えない、自分を主張できない、積極性の欠片もない、そんな存在を疎ましく思い、わざわざ引っ張り出してターゲットにする存在がいる。


 小学校の高学年になると、少しずつだがいじめが始まった。最初は物を隠したり、落書きする程度だったのが、やがてクラスを巻き込んでの無視やプロレスごっこと称した暴力に発展する。


 中学に入るとクラスメイトの前で性器の露出を強要され、さらには自分の小便まで飲まされる過酷ないじめにエスカレートしていった。


 当然両親には相談できず、敦也は学校に行けなくなってしまう。当初無理やり力ずくでも学校に行かせようとした父だったが、敦也がどうしても従わないと感じると、あっさり何も言わなくなる。「愛の反対は憎しみではなく無関心」敦也にはこの言葉の意味がよく分かった。


 母は父に従うだけの人間で、父が許すのならそれ以降は何も言わず、黙って食事を運んでくれるようになった。だが何も言わなくても家族からの視線は冷たく、邪魔者を見るようだった。それは世間も同じで何度か意を決して外に出たが、近所の人間や昔の知り合いは珍しい物を見るような好奇と侮蔑に満ちた視線を敦也に送る。もう現実世界には敦也の居場所は無くなっていた。



『辛かったんだね……』


 里香は泣きながらも、黙って最後まで聞いてくれた。


『私も同じだよ。外に居場所なんてなかった……これからは二人で幸せになろうね』

『ありがとう……』


 こんな情けない過去を持つ男だと知っても、里香は一緒にいてくれると言ってくれた。里香がどんな容姿であろうとも二人で一緒に幸せになれる。


 敦也はそう信じていた。


 次の日、里香は自分が外に出られるように手続きするから待っていて欲しいと言った。その日も少し観光して二人の記念すべき初めての旅行が終了した。

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