養鶏たちの素晴らしき世界
滝田タイシン
梶田敦也
梶田敦也(1)
梶田敦也
なんだ、この建物は。
専用バスを降り、施設に足を踏み入れた梶田敦也(かじたあつや)は目の前の建物を見て足が止まる。
ベランダなども無く、多数の小さな窓が並ぶだけの白い外壁の建物。窓には鉄格子がはめられ監獄のようだ。
だが、敦也が異様だと感じたのは、ベランダが無いからでも鉄格子がはめられているからでも無い。窓と窓の間隔が異様に狭いのだ。横との間隔は一メートル程。窓の横幅を入れても、一部屋の幅は二メートルもないだろう。上の階との高さも通常の建物と比べかなり低い。窓を建物の外壁に縦横並べられるだけ並べた感じだった。
建物を見て敦也がイメージしたのは、養鶏場の鶏舎だった。卵を産むだけの為に、狭い空間に押し込められている養鶏の住処だ。
「卵を産むだけ鶏の方がましか……」
そう呟くと敦也は自嘲ぎみな笑みを浮かべた。
どうせ二度と外から見る事はないんだ、どんな外観だとしても関係ない。一生をその中で過ごすとしても。
敦也は心の中で言葉を続けた。
案内役の係員を先頭に、入所者達がぞろぞろと続いて歩く。皆一様に疲れ切った顔で目が死んでいたが、どこか安心しているようにも見える。自分も同じような顔をしているのだろうと敦也は思った。自分がそんな心境だからこそ他人もそう見えるのだと。
施設に足を踏み入れても、敦也の心は落ち着いていた。
もう今後、バラ色の生活は無いだろう。温かい家族や一生を掛けられるやり甲斐のある仕事、振り返って見て満足だと思える人生など、全て有り得ない。だが、それらの成功と引き換えに、敦也は安心を得た。家族や世間の非難するような視線、昔の同級生達の哀れむような、見下すような表情、何より自分の十年後二十年後の将来に対する不安、それらから開放される事の方が敦也にとって有り難かった。
手続き建屋に入り、最終の意思確認書類にサインした。事務的に話す眼鏡で無愛想な係員が、くどい程施設のシステムについて説明する。希望を出した時点で何度も確認されたし、十分に理解しているのだが、施設の特異性からいって仕方のない事なのだろう。
最終確認が終わると係員に続いて部屋へ向かう。エレベーターに乗って三階に着き、廊下に出ると両サイド共、扉、扉、扉と奥まで続いている。扉の列が並ぶ廊下を歩いて行き、三二〇のプレートが付いた部屋の前で立ち止まった。
「ここがあなたの部屋です。ラッキーですよ、窓のある部屋ですから」
「そうなんですか……」
係員が今までにない笑顔でそう言ったが、敦也は感情のこもっていない言葉で短く応えた。正直どうでも良かったのだ。
靴を部屋の前で脱ぎ、中に入る。部屋は長細い二畳程の広さのフローリングで、奥の一角に窓の付いた電話ボックス程の個室があった。
床には畳んである布団が一組と、スウェットやタオル類、ハンディモップが一つ、後はノートパソコン一台とコントローラー等の付属品が置かれている。
「まず食事はドアに付いている引き出しで配給します。一日三食と二リットルのお茶が一本提供されます」
ドアに底の深い引き出しが付いていて、外と中とで荷物の受け渡しが出来るようになっている。
「次に、テーブルは壁に埋め込み式になっているので、倒して使ってください。裏表回転出来るのでパソコンを固定して寝ながら操作も出来ます」
壁に埋め込まれたテーブルを倒しながら、係員が説明する。裏にはベルトが付いておりパソコンを固定出来る構造になっていた。
「この中はトイレとシャワー室になっています」
係員が個室のドアを開け説明する。中は狭く、シャワーを浴びると便座がびしょ濡れになりそうだった。
「ペーパーや石鹸、薬等は配給しますが、数に上限がありますので節約してください。あと下着や部屋着、タオル類は二セットで、半年に一回だけ新品を配給します」
係員が事務的な声で説明を続ける。
「あと部屋番号の書かれた袋がトイレの棚に置いてありますから、それに入れて衣服を出してもらえば洗濯します。部屋番号は衣類にも縫い付けてありますから他人の物と間違える事はありませんが、一緒に洗濯はします。それを嫌って自分で洗う人も多いですよ」
係員の言葉は、暗に洗濯には出すなと言っているように聞こえた。
「以上ですが、何か質問はありますか?」
「いえ、別に……」
「まあ、パソコンにもマニュアルがインストールされているので読んでください」
説明が終わると係員は部屋から出て、ガチャリと外から鍵を掛けてしまった。もう敦也が生きている限りはこのドアは開かない。
敦也はううーと大きく伸びをした。もうここから出られないという事実は理解していたが、心は晴れやかだった。これから死ぬまでの間、自由の無い開放された生活が始まったのだ。
西暦二千年に入り、徐々に表面化されてきたニート問題だが、親世代が現役の労働力であった頃はまだ重要視されていなかった。だが、年月と共に親が年金や死亡で金銭的な余裕がなくなると、ニートが生活保護受給者となるケースが急増しだす。
政府も就業支援など策を講じた。だが、中には何十年も引きこもり状態で、社会復帰が不可能な者も多く、有効な解決策が見つからないままニートや引きこもりは増える一方だった。
そこで社会保障費削減の究極的な解決策として「最低生活保障施設」が登場した。施設は端的に言うと公的な引きこもり所である。政府は改善を諦め臭い物に蓋をする事にしたのだ。
長期間生活保護を受給して、今後も自立が困難な者を一箇所に集め、医療は一切受けられず死亡するまで入居させる。コスト削減の為、最低限の衣食住とネット環境のみ提供する施設だった。
当初予想された通り、人権派の政治家や弁護士、市民団体などが猛反対した。だが、生活保護受給者に対する世間の目は厳しく、また引きこもりの当事者自身がこの施設案を支持し、この件を争点にした総選挙で勝利した与党陣営が法案を成立させてしまった。
障碍者以外の生活保護受給者に対し、三年を区切りとして、それ以降は施設に入居するか、大幅な受給費の減額と医療費の自己負担を受け入れて保護を継続するかを選択出来るように制度改革を実行した。施設内の食料や必需品は全て国内製とし、内需の拡大策としても機能させ、施行数年後には反対意見もほとんど出なくなった。逆に長期の引きこもりであれば生活保護受給者ではなくても本人の承諾次第で入所可能となるように制度が進化適用され、十年を経過した現在でも運用されている。
一人になった敦也は服をスウェットに着替え、元の服は処分してもらう為にドアの引き出しに放り込んだ。テーブルを取り出し、パソコンを設置し、布団をクッション代わりに位置を調整する。
「これで良し」
敦也は満足そうに頷いた。一番重要なのはネットを快適に利用する環境なのだ。敦也にとって、リアル世界は生きる為の最小限だけあれば良かった。
パソコンの電源を入れると、見た事のない国産のOSが立ち上がった。初期設定を済ますと基本画面になり、さまざまなアプリケーションソフトのアイコンが表示される。中には所内の説明のアイコンも有ったが興味を示さずに、「真実の世界」と日本語で名前の付いたアプリケーションソフトをペンでタッチした。
敦也が他のソフトには目もくれず真っ先に「真実の世界」を選んだのは、すでにこの所内の状況もパソコン内の利用方法も熟知していたからだ。敦也は十五歳から七年間も自宅で引きこもり生活を送っており、事前に施設の事を調べ、希望枠でこの施設に入居したのだ。
「真実の世界」は仮想世界での暮らしを体験するソフトで、参加者は施設の入所者に限定されている。
敦也の目的は絶望していたリアルを捨て、この「真実の世界」の中でもう一つの人生を送る事だった。
この世界にはリア充や不良などいない。自分を蔑み苛める存在はいない。それにどんなに親しくなったとしてもリアルでは会わなくていい。イケメンとは言えない自分の容姿を気にする事は無く、自由に生まれ変われるのだ。
ソフトが立ち上がり初期設定画面になる。
敦也は口と鼻だけが露出する形状のヘッドギア型の専用コントローラーをノートパソコンに接続した。コントローラーは音声入力仕様で、ゲーム内での会話入力として使える。
コントローラーを頭に被ると、内側のディスプレイに初期設定画面が浮かび上がった。 画面の指示に従い、ペンでパスワードや名前、性別を入力すると、いよいよキャラ設定の画面になる。顔の細かいパーツや身長、スタイル、肌の色まで、かなり細部まで細かく設定出来る。その気になればリアルな自分をそのまま再現できる程だ。だが敦也は自分を再現する気は端から無かった。
出来るだけイケメンに……。
自分とは違う誰もが振り返るくらいのアイドルの様な男に……。
敦也は一つ一つのパーツに思いを込めて、念じるようにキャラを作り上げた。
「出来た……」
敦也は何度も何度も微妙に調整し、今まで見た事の無いイケメンキャラを作り上げた。
最後に音声の設定をする。キーボード入力も選べるが、敦也は音声入力を選択した。音声は自分の声をそのまま入力する事も出来るし、微調整で性別や年齢まで変える事も出来る。敦也はそのまま調整せず地声を登録した。
全ての設定を終え最終確認をタッチすると、画面はマイルームに切り替った。
三百六十度、頭を振ればその方向に画面も移動する。まるで現実のようなリアル感だ。いよいよ第二の人生が始まる。敦也の胸は期待に高鳴った。
敦也はマイルームで服や装飾品を最新の流行でコーディネイトした後、出会いを求めて画面上の移動アイコンをタッチした。
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