鳶
時雨 柚
1
屋上で昼食をとるということを青春の象徴みたいに扱う作品にあまり共感できないのは、自分たちがそれを毎日のようにしているからだ。青い天井と白いふわふわとコンクリートの床とフェンスとビルしか見えない屋上には、ロマンのかけらもない。
涼子と私はお弁当を広げ、沙羅は購買で調達してきたパンをかじっている。弁当組はどちらもメガネにロングヘアで、無難で少し地味な格好から連想されるイメージ通りおとなしい。沙羅は私たちとは対照的に、ほどよく日に焼けた肌と短髪の快活少女といった出で立ちをしている。こちらもイメージ通りちょっぴりやんちゃで、沙羅が何か行動を起こして、私たちがそれを静観したり倣ったりするのを二年と少しの間続けてきた。青春ランチを始めたのも、沙羅の提案がきっかけだった。
当然屋上が解放されている、なんてこともなく、私たちは昼休みごとにこっそり忍び込んでいる。なんでわざわざ毎日のようにこんなことをしているのかはわからないけれど、教師に見つかって怒鳴られるまでは止めなくてもいいかと思っている。初めこそ少し緊張していたけど、毎度毎度こうして簡単に忍び込めているくらいだし、見つかる気配はない。
「りょー、数学の教科書貸してー」
フェンスに寄りかかりながら沙羅が言った。手には食べかけのコッペパン。座って食べればいいものを、沙羅はいつも立ち食いをしている。ここで行儀を語っても、ここにいること自体がかなりの悪なのだから、口には出さない。
「うち今日数学ないよ」
「そなの。じゃあゆー、今日数学ある?」
りょー、とは、涼子のことだ。沙羅はいつも気の抜けたあだ名で人を呼ぶ。私のことはゆー、と呼んでいる。私の名前は由実だというのに。一文字目だけで判断しているらしい。どうせ言っても三分後には忘れているから、もう否定はしない。
「あるよ。教室戻ったら貸すね」
沙羅は何かあったときにまず、涼子を頼る。そうして解決しなかったら、次に私を頼る。そりゃあ涼子の方が頭は回るし、実際成績もいい。ちょっとだけ悔しいけど、反論する材料がない。無から話をでっち上げられるほど、私は頭がよくないのだ。
屋上のランチタイムは、結構静かだ。教室や食堂で昼食をとるなら避けられない騒がしさがここには届かない。私も涼子も話を振るということをしないから、沙羅が何か話題を出すまではとても静か。車の音もはっきり聞こえてくるほど。
「柵登って跳んだらさ、どうなるのかな」
だからこそ、突然そんな話題が飛び出してくると、驚きが顔からこぼれそうになった。沙羅が突拍子もないことを言い出すのは今に始まったことではないけれど、今日はまた、ずいぶんと心臓に悪い話だ。
「落ちたら痛いよ、多分」
「あー、まあ、そっかぁ」
「跳んだことないから、多分としか言えないけど」
涼子は至って冷静で、二人だけで会話が進んでいく。涼子は驚いていないのだろうか。驚かないかもしれない。涼子が面食らっているところは見たことがない。
「もしかしたらさ、空飛べたりとかしないかな」
「鳥人間コンテスト? やるなら川とかがいいと思う。落ちても水だし」
「でも青くないじゃん? 青い中にぴょーんて。ちょっと楽しそう」
涼子が強く止めてくれることを期待したけれど、このまま会話が進んでいってもそんなことはしないだろうから、多少強引に割って入る。
「やめときなよー。やるなら、ちゃんと準備してから、ね」
「準備? ゆー、できるの?」
「できない。飛びたいならちゃんと勉強して、羽とか作って、それからってこと」
「勉強……勉強かぁ……」
沙羅はぐむむ、と顔をゆがめた。たった今急にフェンスまで走っていって、止める間もなくよじ登って身を躍らせるような事態にはならないように思えた。ほっとひと息をついたけれど、卵焼きはまだ喉を通りそうになかった。
涼子を薄情者、と糾弾することはできない。そもそも今すぐに行動に移すなんて思っていないのだ。私もしないだろうとは思っている。けれどもしかしたらやってのけるかもしれないと、心のどこかで思っていた。沙羅の行動力を羨ましいと思っているし、同時に買い被ってもいるわけだ。
箸を止めたまま空を仰いでみる。高い。青い。飛び込んでみたいという気持ちもわからなくはない。しかしそれを実行するには制約が多すぎて、重りをたくさん括りつけられているみたいに、飛び立つことはできそうにない。翼をばたばた動かすことすら億劫になってしまうほど、いろいろなものがくっついている。
沙羅には、重りはついていないのだろうか。食事を終えてなお恨めしそうにフェンスとにらめっこをしている沙羅を見やる。飛び方を思いついたらすぐにでも飛び込んでいきそうで、しかもそのまま上手く風に乗って遠くまで行ってしまいそうだ。後先考えず勝手に飛び出して、なんやかんやと乗り切って、後から私たちが事の顛末を聞く。いつものパターンだ。
「どしたの。お腹空かない?」
「ん? ううん、別に。ちょっと考えごと」
お弁当箱を閉じた涼子の声に反応して沙羅もこちらを向いた。私の方はまだ半分ほど残っている。午後小テストあるからー、と、一応事実なことを喋ってごまかした。
「進まないなら卵焼きちょーだい。一個でいいから」
「別にいいよ。足りなかったんでしょ」
「四限体育だったのが悪い。お腹空くし。購買、全然残ってなかったし」
沙羅がぴょんと跳ねるように私の前に来て、ひょいっと卵焼きを攫っていった。すぐに口に含んで、もう一個だめ? と瞳で訴えてきた。仕方がないので箸でつまんで差し出してやる。沙羅はすぐに食いついて、咀嚼しながら目を細めた。まるで餌付けしているみたいだ。
「私も何か、もらってあげようか」
「大丈夫ですー。間に合ってまーす」
大食漢でもないくせに、涼子がまだしまっていなかった箸をこちらに向けてきた。だいぶお行儀が悪いけれど、やはり忠告はしない。
喉の詰まりはようやく少し溶けた。中断していた昼食を再開して、涼子と沙羅の会話を耳に挟みながら箸を動かす。
「りょーだったらわかったりしない? 飛び方」
「飛行機とかなら、まあわかる。でも違うんでしょ?」
「うん」
沙羅はまだ、飛ぶのを諦めていないらしい。でも最低限リスクのことは考えるようになったようで、少しばかり安心する。
「毛布かなんか持ってきてむささびみたいにしたら飛べないかな」
「無理だと思う。すぐ落ちそう」
「…………」
やりそうだな、と思ってしまった。想像の中の沙羅が毛布を両手両足に括りつけて、少し手間取りながらフェンスをよじ登っているところで、怖くなって妄想をやめた。さっきまで軽々としていた沙羅が急にリアリティをまとったみたいで、口の中が苦くなった。
飛んでほしいような、ほしくないような、微妙な心持ち。翼の生えた沙羅は見たいけれど、ヒトの身で飛ぼうとする沙羅は見たくない。どっちつかずの位置にいる自分が恨めしくなる。機械的に手を動かすことで、また突っつかれることを避けた。これ以上詰め寄られると、多分ごまかしきれない。
「大変なんだねー」
「まあ、普通は飛ぼうとか考えないから。……いや、考えるかな? 実際にやろうとする人はほとんどいない」
「そっかー」
「勉強、大事だよ。これを機会に勉強頑張ってみない?」
「なかなか難しいこと言うねー。りょーに全部投げちゃいたい」
「遠慮しようかな。やってあげれば、由実」
私には無理そうだ。まず頭が足りないし、それで沙羅を墜としてしまったら、私はきっと立ち直れない。
「やめとく。てか、なんで私に振るの。無理だってわかるじゃん」
「わからないでしょ? もしかしたらこれから急成長するかもじゃん?」
「あ、今バカにしたな」
「してないしてない」
私たちのサポートが受けられなくなった沙羅は、珍しく真剣な顔つきで考え込んでいる。そこまで飛ぶことにこだわっているのにも、きっと特別な理由はないのだろう。沙羅はフリーダムで、だからこそ蒼穹に飛び込むだけの勇気も持てるのだ。私が力添えをすると、それが余計な重りになって、むしろ地表に縛りつけてしまうような気がした。
鳶 時雨 柚 @Shigu_Yuzu
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