第27話


 居間でテレビを見ながら携帯でゲームをしていると、だんだんとうとうとしてしまい、そのまま眠ってしまった。

 窓からは穏やかな日差しが入り込み、まだしばらくは手放せそうにない扇風機の風が届く中、麻紀は久しぶりにぐっすり眠ったのだった。


 だんだんと近づいてくる豆腐屋の車の音で目が覚めた麻紀は、薄暗くなった部屋を見て不思議な心地がした。

 いつもこんな風に暗い部屋に帰ってくるのに、今日はテレビが点けっぱなしになっていて、自分は簡単な部屋着を着ているからだ。


 時計を見るともうすぐ六時になるところだった。

 夕食の支度をする気になれず、床にごろんと寝転がった。

 そのまま日が落ちていくことで姿を変える空を眺めた。


 テレビが六時を告げたところで麻紀は身体を起こし、携帯を拾い上げる。

 久しぶりにお弁当を買おうと、簡単な身支度をして車の鍵をくるくると弄びながら家を出た。


 会社の前の交差点で信号に引っかかった。

 ふと、まだ営業中の会社の様子が目に入る。


 社内で小太りの影が細長い影を何度も指さし、机をたたく動作をしていた。

 園田が社長夫人に怒鳴られているのである。

 麻紀が会社を休むことになった当日ということで、まだ怒りが収まっていないらしい。


 信号が青に変わった。

 麻紀は思わず鼻で笑い、車を進める。

 どちらに対してもいい気味だと思った。


 気分の良いまま弁当屋の駐車場に入ると、そこには見覚えのある車が止まっていた。

 社長の車だ。


 心臓がどど、と嫌な音を立てて動く。

 社長の車から離れたところに駐車してエンジンを切る。


 すぐに車から出ずに、麻紀は弁当屋の入り口を注意深く観察した。

 麻紀のすぐ後に入って来た車から人が降り、店に入るが出てくる人はいない。


 心臓の動きは早く、時折狂った拍子で動いたが、そんなことを気にしてはいられなかった。

 携帯で時間を確認する。

 まだ閉店時間ではない。

 それなのに社長は店には戻らず、なぜこの弁当屋にいるのか。


 じっと息を潜めていると、店から人が出てきた。

 社長だ。

 社長は三つ弁当が入った袋を持って車へ乗り込む。


 弁当の数が明らかにおかしい。

 今はもう息子も東京へ戻り、学生生活に勤しんでいるはずで、夫婦にしては一つ多い。

 会長夫婦の分も含めているなら一つ足りない。


 以前に社長夫人が言っていたことを思い出す。

 社長は時々、社長仲間と飲むと言って帰ってこないことがある、と。


 ふと社名の入っていない社長の車は動き出し、弁当屋を出る。

 支店に行くでも、本店兼自宅に帰るでもない道を通って社長の車は見えなくなった。


 麻紀は冷たい目でそれを見ていたが、すぐにくだらない、というように肩を竦めて車を降りた。


 あたたかい弁当を買って家に帰ると、麻紀はパソコンをつけた。

 動画を見ながら夕食を済ますとごみを片付け、窓の外を見る。


 一番星が輝いているのが見える。

 麻紀は窓を開けてしばらく空を眺めた。


 どこからか魚を煮付ける匂いがしたり、くぐもったテレビの音と笑い声がしたり。

 いつもしているはずの匂いや音なのに、今日初めて知った気がした。

 どれだけ自分に余裕がなかったのかが解る。

 近所の子どもが母親に夕食だと呼ばれるのを聞いて、麻紀は窓を閉めた。


 パソコンの前に戻ると再び動画を見始める。

 体調は全く問題ない。


 動画が終わって、大きく伸びをした麻紀は時計に目をやる。

 時刻は十時を過ぎていた。


 小腹が空いたような気がして、歩いてコンビニに出掛けることにした麻紀は、財布と携帯を買い物袋に放り込んで家を出た。

 少し暖かい風に吹かれながら、のんびりと歩く。


 コンビニの駐車場に着くと、会社に目をやる。

 今は暗くなっていて当然人はいない。

 駐車場にはチェーンが掛けられていて、明日また園田が来て外されるのを待っている。


 あれは麻紀の仕事だった。

 園田は、麻紀よりも少し早く出社してチェーンを開けていたことがあった。

それを知った社長夫人が、仕事ができない奴は誰よりも早く来るのが当然だと文句を言って以来、あのチェーンを開けるのは麻紀の仕事である。

 それが今日から園田の仕事になるのだと思うと、麻紀は更に気分が良くなった。


 コンビニに入ると、まずはお菓子売り場へ向かう。

 前から気になっていたお菓子をいくつかをかごに入れると他にも、と店内を散策する。

 結局買いすぎてしまったが、気分がいいので気にしないことにして、麻紀は暗い夜道を帰る。


 この時間では人はまず通らないが街灯はしっかりしている。

 そして慣れ親しんでいる道とあって、麻紀は警戒心を持っていなかった。

 少し行儀が悪いが買い物袋からお菓子を一つ選ぶと袋を開ける。

 口へ放り込むと麻紀は小さく笑った。

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