第15話
ふと顔を上げると、長い坂道が目に入った。
この坂道を下る途中の山道に、鶴岡家の墓がある。
大きなため息を吐きながら入道雲が並ぶ青い空を仰ぎ見て、また俯くと麻紀は無感情に足を動かした。
夕方になり少しは和らいだとはいえ、上からの直射日光とアスファルトの照り返しでひどく暑い。
麻紀はもう滴る汗をぬぐうのも諦めてひたすらに進む。
ようやく下り坂になったとき、麻紀は手元を見た。
花がしおれている。
坂の頂上から見える目的の山道は、この暑さによる蜃気楼のせいでかなり近いように見える。
あの参道に入れば山の中なので、炎天下の道路に沿って歩くよりは涼しいだろう。
麻紀は肩から落ちそうになっているかばんの紐を掛け直すと、山道に向って坂を下り始めた。
山道に入るとやはり涼しかった。
まるで青々と茂った木の葉の裏から、霧が吹きつけられてるような涼しさだ。
もうだいぶ日が傾いていることもあり、木陰は過ごしやすい。
数日前に降った雨のおかげで、山肌から水が滴っているのも手伝ってか、時折冷たい風が麻紀の頬をかすめる。
まだ耳を刺すほどの音量で、元気に鳴いている蝉の声を聞きながら、山道に沿って歩く。ここまでくればもうすぐだ。
麻紀は途中の横道にそれて上り坂を登る。
登ってすぐの墓が鶴岡家のものである。
簡単に墓の周りの落ち葉を集めて山肌に寄せると花を生け、供え物を置いてかばんから線香とライターを取り出す。
線香に火をつけて寝かせると、しゃがんで手を合わせた。
残念ながらご先祖様に報告するようなことはない。
会社での現状を報告したところで、先祖が何をしてくれるというのか。
麻紀は手を合わせたまま何も考えずじっとしていた。
立ち上がると持ってきた供え物を持って坂を下りた。
最近では供え物は置いて帰らないのが常識となっている。
特に田舎は烏や鼬などが供え物を狙っているからだ。
麻紀は初めから供え物は食べながら帰るつもりでいたので、さっそく袋を破ってかじりつく。
今日のこの暑さで、供え物のパンはすっかり温かくなっている。
麻紀は特に気にせず来た道を帰る。
山道ということもあって、辺りは暗い。
まだ日は落ちていないが、木の葉に覆われた道ではその光も遮られる。
麻紀はその薄暗さを何とも思わずに歩く。
途中、休憩用の長椅子が設けられているところで、麻紀は残りのパンを食べ終えた。
まだ少し音量を落としただけの蝉の声と、日が落ちかけている暗さ、山肌からの涼しい風に、麻紀はしばらく座って山から見える景色を楽しんでいた。
こうして誰ともかかわらずにいる時間が、麻紀は大好きだった。
誰とも会わず、誰ともしゃべらず、誰にも干渉されない時間が持てることに、幸せを感じていた。
麻紀は人が嫌いだ。
誰にも干渉されたくない。
兄弟もいない麻紀は幼い頃から一人で遊んでいたし、そもそも麻紀のように他人とは少し違う子どもを、学校という施設は皆一様に同じ行動をするように教育してきた。
麻紀にはそれが耐えられなかった。
授業中はそこそこちゃんと話を聞くが、一度違うことに興味が向けば、授業などそっちのけでそれに夢中になった。
それを火が付いたように咎められることに、麻紀は納得がいかないのである。別に成績が悪いわけではない。
授業の妨害もしていないのに、目の敵にされる意味が解らないのだ。
ならばと表向きはいい子を演じていれば何事も言われない。
要は支配したいだけなのだと気付いた麻紀は、まず教師を嫌いになった。
そして目ざとく麻紀の行動を監視してくる同級生を嫌いになった。
それから、あの子は少しおかしいからと、自分の子に近づかないように言い含める保護者を嫌いになった。
やがて、他人全てが嫌いになった。
もしこうやって誰ともかかわらずに生きていけたら、どんなにいいだろう。
しかし、それは到底無理なことだと麻紀にも解っている。
生きるためにはお金が必要だ。
お金は働かないと得られない。
働くには人と関わるもの。
人と関わらずに生きていける方法など、ないのだ。
せめて好きなことで生きていけたら。
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