第134話 影と剣
「ふう……パレルモ、無事か?」
「う、うん。わたしはだいじょーぶ」
地上――教会の外に転がり出たところで、なんとか一息つくことができた。
さすがにあの程度の距離を全力疾走したとしても息が上がるようなことはないが、久しぶりにチリチリとした焦燥感を味わった気がする。
パレルモも傷一つなく、無事のようだ。
ほっと息を吐く。
太陽はすでに落ちかけていて、教会前の通りは薄紫の闇に覆われつつある。
これまでのこともあり人通りはない。
だが、ダンジョン特有の雰囲気は消えていた。
魔物の気配もない。
足元から断続的に妙な震動が伝わってくるのが少々気に掛かるが、言ってしまえばそれくらいだ。
今のところ、街は静けさを取り戻しているように思えた。
「しかし、なんだったんだアレは」
ナンタイが人から魂を抜き取る能力を有していることは知っている。
魔剣を打つために使用していることも聞いていた。
自分の体内に取り込むことも……まあ、できなくはないだろう。
だが……そんな能力を持っておいて、人の魂を喰ったからといってあんなことになるのか?
あれでは、完全に自滅だ。
ナンタイが魂を喰らう様子はあれが最初には見えなかったし、想定外の事態が起きたとしか思えない。まさか、魔王の巫女の魂を取り込んだせいだろうか?
「…………」
開け放たれたままの教会の大扉を振り向くと、内部はやけに暗かった。
日が落ちかけていることもあってか、通りからでは奥を見渡すことができない。
こころなしか、なにか
「……いったん屋敷に戻るか」
「そーだね」
ナンタイがどうなったのかを確認する必要があるが、ダンジョン化の術式を破壊したことだし、まずはビトラにそのことを伝える必要がある。
「……さっきの女のひと、大丈夫かなー?」
「……さあな」
歩き出したパレルモが、心配そうな顔でチラリと教会の方を見やった。
さっきまで殺しあいをしていた相手に対する感想としては、ずいぶん呑気である。
確かに、横目でチラリと見ていた限りではあるが、パレルモはあまり積極的にヴィルヘルミーナに攻撃を当てようとしていなかった。
もちろん彼女が、ヴィルヘルミーナがどういう存在で何をしでかしたのかを理解していない、というわけではない。
だが同じ『巫女』として、思うところがあったのだろう。
俺としては、彼女の考えに口を挟む気はない。
ただ、大丈夫か大丈夫じゃないかと言われれば、大丈夫じゃないだろう。
魂を喰われてしまったからな。
……あえてそれを口に出すことはしないが。
「ともかく、今ダンジョンにもぐり直すのは危険だ。ビトラのこともあるし、いったん屋敷に戻るぞ」
「う、うん!」
俺とパレルモが教会をあとにしようとした、そのとき。
『ア、アアア……帰リ、タイ……俺……家……』
地の底を這いずるような声が、背後から聞こえてきた。
ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。
振り向くと、『影』がいた。
人の形をした、まるで夜を煮染めたような『影』だ。
それが、黄金色の長剣を引きずりながらフラフラと教会から出てきている。
剣の刃は金だろうか。
路地には日が差し込んでいないにもかかわらずキラキラと輝き、剣全体に彫り込まれた複雑な紋様からは、淡い光の粒子が絶えずこぼれ落ちている。
――聖剣。
そんな言葉がしっくりくる。
『影』の異様な雰囲気とはあまりにも対照的だった。
だが、あれは……
「ラ、ライノー、あの影さん……」
「ああ、分かっている」
不安そうなパレルモの前に出て、静かに短剣を抜く。
外見は、『ねね』さんによく似ている。
違う点は、輪郭が大柄な男性なのと、『影』が直接剣を握っているところだろうか。
魔剣に封じ込まれた魂が外側に溢れ出し、人の形をした『影』を形作っている……そんな印象を受ける。
ダンジョンには、あんな魔物はいなかったはずだが、ナンタイの変調となにか関係があるのか?
『アア、アアア……暗イ……寒イ……コココ、ココ……ドコ……』
うわごとのように言葉を吐きながら、人間ではありえない動きで辺りを見回す『影』。
その様子はあまりに冒涜的で狂気じみていて……
うん、『ねね』さんとは違って対話ができそうにない。
……倒すか?
だが、あれは元は人間だ。
しかもゾンビなどのアンデッドと違い、まだ魂そのものが生きている可能性がある。
敵対するならば躊躇するつもりはないが、穏便に済ませることができるならばそれに越したことはない。ましてやここは街中だ。既にダンジョンじゃない。
ここはいったん、刺激しないよう、こっそり退避するか。
「…………」
「…………」
俺はパレルモに目配せをしてから、視線を『影』に戻す。
『……見ツ……ケタ』
『影』がこちらを向いていた。
「ぴっ!?」
背後で、パレルモが息を呑む気配がした。
クソ、さすがにスルーしてもらうのを期待するのは、甘い考えだったか。
まあ、予想はしていたが……!
『ミ……ミミ……ツケ……ギギ……殺……ぬんぇ……オオアアァァ!!』
『影』の輪郭がまるで毛を逆立てたようにブワっと膨張する。
絶叫とともに、ゴッ! と強烈な殺意が吹き付けてきた。
俺たちを誰と勘違いしたのかは知らないが……どうやら敵と認識したのは間違いないようだ。
うん……知ってた。
まあ、最初から言動がおかしかったからな。
「わ、わたし何もしてないよ!?」
「わかってる、アイツが勘違いするのが悪い! ――《投擲》ッ!」
こうなったらやるしかない。
相手は魔物だ。人間じゃない。そう自分に言い聞かせ、腰に装備していたクナイを素早く引き抜き投げ付ける。
だが。
「……やはり効かないか」
クナイは突き刺さることなく、すり抜けてしまった。
うすうす予想していたが、『影』に実体はないらしい。
剣を持っているから多少は効くと思ったのだが……あれは反則だろ。
だが、『影』は攻撃を受けたこと自体は不快だったらしい。
『イ……ギギ……うぬェん……』
『影』がぶるりと身を震わせると、まるでミミズがのたくるような冒涜的な動作をしながら、勢いよく剣を振り上げた。
彼我の距離は三十歩。
普通ならば、絶対に届かないはずだ。
だが――あれは魔剣だ。
『おぼおおおおぉぉぉっ。死ヌ、死ネ、殺ス、殺セセセセ……』
身の毛のよだつ咆吼とは対照的に、剣が強烈な輝きを放ち始める。
凄まじい光量だ。
まぶしくて直視できない。
「まぶしーっ!?」
パレルモがたまらず両手で目を覆う。
俺はそういうわけにもいかず、片手で光を遮りつつも、『影』の様子を注意深く観察する。
振り上げた剣が放つ輝きは黄金色を通り越して、今や白色に近い。
剣から光が伸びてゆき、柱と化す。
あれよあれよと光柱は頭上に伸びてゆき、ついには教会の背丈を超えた。
間違いない。あれは長距離攻撃だ。
しかも俺たちは『影』とかなり離れた場所にいるにもかかわらず、肌がジリジリと焼けるように熱い。
まるで地上に太陽が顕現したかのようだ。
光柱の伸長が止まった。
すでに城壁よりもはるかに高い。百歩分はありそうだ。
あんなものを地上に叩きつければ、間違いなくこの区画一帯が消滅する。
当然、俺とパレルモも例外ではない。
……クソ、冗談じゃないぞ。
パレルモを抱え、《時間展延》で範囲外に逃げるか?
ダメだ。
その攻撃範囲が分からない。
そもそもあれだけの熱量だ。
半端な距離では回避すら不可能だろう。
回避できる方に賭けるのは、少々分が悪すぎる。
となれば……取るべき手は、一つしかない。
「パレルモ! アイツの剣をぶっ壊せ! 全力だ!」
そう。
攻撃は最大の防御なのだ。
「……! うんっ! ――やああああああっ!」
いつになく真剣な表情のパレルモが力強く頷く。
香ばしいポーズも取らず、裂帛の気合いとともに両手を前に突き出した。
――バギン! バギギギギギン!
連続した強烈な破砕音が耳に突き刺さる。
『オオオ……オオ……?』
『影』の咆吼が呆けたような声色に変わると同時に、剣が砕け散った。
幾重にも重ねられた不可視の刃が、剣を粉砕したのだ。
文字通り、粉々だった。
同時に、フッと光柱が消える。
その様子に、俺は内心胸をなで下ろす。
あれだけの熱量だ。
暴走や暴発の可能性は大いに考えられた。
あるいは、剣であることが本質でなく、それこそただの鉄クズになっても力を失わないことも考えられた。
だが、それらはいらぬ心配だったようだ。
『オオオオオォォォン……』
さすがに剣を破壊されてしまえば、形を保つことはできないらしい。
『影』が口惜しげに身を震わせ――虚空に溶け、消えた。
あとには、バラバラになった魔剣の残骸がそこかしこに転がっていた。
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