第129話 戦略的撤退
『おかしいわねぇ。『戸締まり』はキチンとしていたはずだけどぉ。どうやって忍び込んだのかしらぁ?』
間延びした女の声が霊廟内に響く。
「鍵の在処ってのは、誰にも見つからない場所にしておくもんだ。絵画に仕込むなんざ、もってのほかだな。今度からは鉢植えの下にでも置くといい」
『…………ふぅん。次からは、そうしておくわぁ』
声の主は、コウガイの話していた『ヴィルヘルミーナ』か。
こちらの軽口に応じたものの、姿は見えない。
気配は……少なくとも霊廟の内部には感じることができない。
しかし、できれば見つからずにこっそり術式を破壊できれば良かったのだが……さすがにそれは無理な相談か。
ならば、仕方ない。
戦いは先手必勝。
やられる前に、やれ、である。
敵の姿が見えないのなら、なおのことだ。
「…………」
「……!」
「……む」
パレルモとビトラと視線を交わす。
作戦の概要は屋敷での昼食時に打ち合わせ済みだ。
といってもまあ、『俺の合図で二人が魔術を撃ち込み術式を破壊する』だけの極めてシンプルな作戦だが。
「二人とも……今だ!」
「あいさーっ! ほやあああぁぁっ」
俺の合図で、パレルモが即座に空間断裂魔術を連打する。
――ガガガ……ズズン……
霊廟内の石棺が真っ二つに断ち割れ、さらにその先にある石柱が崩れ落ちる。
当然、その下に描かれた魔法陣は瓦礫の下だ。
『ちょ……待ち――!?』
ヴィルヘルミーナの慌てた声が崩壊音でかき消される。
だが、これでもパレルモは相当手加減をしているはずだ。
彼女が本気の本気で魔術をぶちかましたら、ダンジョンそのものが崩壊しかねないからな。
「む、私も負けてはいられない。――来て」
それを見て、ビトラの対抗心に火が点いたようだ。
むふん、と鼻を鳴らすと両手を天高く突き上げた。
シュルルル……
霊廟の中心付近の虚空から無数の蔦が現われ、物凄い速度で人型に組み上がってゆく。
「おお、すごいなそれ」
ものの数秒で、上背が人の三倍ほどもある、すらりとした体躯の植物ゴーレムが組み上がった。
だが、その両腕だけは別だ。
まるで攻城槌のような太さである。
そんな植物ゴーレムの両腕が、ゆっくりと振り上げられる。
「む……特大の一撃をお見舞いする」
ビトラの両手が勢いよく振り下ろされた。
それと同時に、天井近くまで掲げられた植物ゴーレムの両腕が凄まじい勢いで石床にたたきつけられる。
轟音。
一瞬遅れて、衝撃が俺たちの足元を激しく揺さぶる。
『ちょっ、やめっ、貴方た――!?』
またもやヴィルヘルミーナの悲鳴じみた声がかき消され――
植物ゴーレムが両腕を叩きつけた場所を中心として石床に亀裂が入り、あるいはめくれ上がり、さらにその余波を受けていくつもの石柱がまるで枯木の細枝のようにポキポキと折れてゆく。そして――
ゴゴゴゴゴ……
支柱を失ったせいか、霊廟の天井が崩壊を始めた。
それと同時に魔法陣や呪文から光が失われる。
床は、すでに瓦礫で埋もれている。
やがて、霊廟内に渦巻く魔力の気配が急速に薄まってゆき――消えた。
どうやら術式の破壊は成功したようだ。
「やりいー」
「む。完璧な仕事」
パレルモとビトラが笑顔でハイタッチ。
『…………! …………!』
なにやらヴィルヘルミーナが叫んでいるが、断続的に続く崩壊音でよく分からんな。
「二人ともよくやったぞ」
「えへへ」
「む……ほんの少し本気を出してしまった」
てへぺろと舌を出して誤魔化しているが、やはり魔王の巫女は魔王の巫女だった。
まあ、こういった複雑な術式にはこういった純粋な暴――もとい武力がもっとも有効だからな。そういう意味では、パレルモもビトラも最大限の戦果を上げたと言って過言ではない。
「よし、さっさとこんな辛気くさい場所から撤退するぞ」
「りょーかい!」
「む、魔力を消費したらお腹が減った。夕飯は早めがいい」
「分かっているって。でもその前に、いったんギルドで報告だ」
土埃煙る通路で、俺たちが踵を返そうとした、そのとき。
「――待ちなさい」
怒気を孕んだ女の声が響いた。
今度ははっきりと方角が分かる。
霊廟の――内部からだ。
「……そこに居たのか」
てっきりここから離れた安全な場所に隠れて監視しつつ、魔術か何かで声だけを飛ばしていたのだと思ったのだが。
土埃が晴れる。
そこには、すらりとした体躯の女が立っていた。
涼やかな顔立ちをした、東国風の美女だ。
年のころは二十代前半、といったところだろうか。
俺とそう変わらないように見える。
――なるほど。
こいつが、ヴィルヘルミーナか。
「よくも……やってくれたわねェ。なかなかいい攻撃だったわァ。この私がァ、褒めてあげる」
間延びした抑揚だが、ヴィルヘルミーナの唇は震えている。
うん、まあ相当にお怒りですね。
俺だって同じ目にあったらそうなると思う。
だが……それよりも、だ。
「チッ。やはりダメか」
霊廟は、再生していた。
石棺も、術式も……何からなにまで先ほどと変わらず完璧な状態で、だ。
パレルモとビトラがもたらした破壊の痕跡は、何一つ見当たらなかった。
「ラ、ライノー?」
「む……これは面妖。まさか、幻覚?」
「いいやビトラ、これは現実だ」
この展開を予想しなかったわけじゃない。
だが、多少は損傷を与えられると思っていた。
それが、こうも完璧に元通りだと……さすがにガックリ来るな。
さすが、『魔王の巫女』の操る古代魔術というわけか。
この場合、取り得る手段は……ひとつしかない。
「パレルモ、ビトラ。地上に戻るぞ」
「こうまで虚仮にされて、黙って見逃すとでも思っているのかしらァ!? ――《解除》」
ヴィルヘルミーナがヒステリックに叫び、片手を振り上げた。
――ふぉん。
聞き慣れない音が鳴り響く。
同時に、床に描かれた術式がひときわ強く輝きを放ち――
『『『ゴアアアァァッ!!』』』
ガーゴイルに、
夥しい量の魔物が霊廟全体に描かれた魔法陣から湧き出し、空間を埋め尽くしてゆく。
「ラ、ライノライノっ、どうしようっ!? 魔物さんが、魔物さんが……じゅる……いっぱいだよぉ!」
「パレルモ、驚くか嬉しそうにするかどっちかにしろ! とにかく、今は撤退が先だ! 二人とも走れ!」
「う、うん!」
「む、とにかく了解」
二人の背中を強く押す。
「行きなさい、お前たち! あの不遜な侵入者どもをォ、残らず肉塊に変えなさァい!」
『『『ヴオォォォオオオッ――!』』』
ヴィルヘルミーナの喚き声と魔物たちの咆吼を背中に浴びながら、俺は二人のあとを追って駆け出した。
正直、魔物を相手にするのは容易い。
今の俺ひとりでも、あの程度の数なら余裕をもって殲滅可能だろう。
だが、ヴィルヘルミーナ本人の実力は未知数だ。
魔王の巫女ならば純粋な戦闘力がパレルモやビトラに劣るとは考えにくいし、手持ちの能力もダンジョン化の術式や魔物召喚だけではないだろう。
おまけに、行動を共にしているはずのナンタイの姿はいまだ見えない。
今、このまま事を構えるのはあまり得策とはいえない。
ゆえに、これは戦略的撤退だ。
それに、あの術式が再生するならば……その魔力の供給源は『嫉妬の遺跡』以外ありえない。
ならば、なおさらのこの場所に用はない。
「ねえねえライノ、これからどうするの?」
パレルモが併走しながら聞いてくる。
見れば、お腹を押さえている。どうやら空腹らしい。
だがパレルモ、もうちょっとの我慢だ。
「――このまま『嫉妬の遺跡』に向かうぞ」
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