第126話 寺院

「……ずいぶん久しぶりだな」


 寺院の前に立ち、俺はなんとはなしに呟いた。


 街の中心部から一本外れた通りにあるこの建物は、冒険者ならば、新人のころは誰しも多少なり世話になる場所だ。


 もっとも、勇者パーティーに入るころにはめっきり来なくなっていた。

 最近だと、サムリが調子に乗ってやらかしアイラが死亡したあの時くらいだな。


 ちなみにイリナとアイラには、魔物討伐のサポートに向かってもらった。

 二人が俺たちの足手まといになることはないだろうが、最前線で戦っている冒険者たちにこそ二人が必要だと判断したからだ。


「すごいねーここ」


「む。おごそかさでは、祭壇の広間の方が上」


 パレルモとビトラが口々に感想を述べる。

 彼女らにつられるように、俺も建物を見上げた。


 建物の上部には天をくようにして尖塔がそびえている。

 歴史を感じさせる数多の彫刻や複雑な装飾を施された石造りの壁面や柱は、壮麗かつ荘厳。


 重傷者や死者を連れてやってきた冒険者たちや礼拝に訪れた商人たちから見れば、さぞかし頼もしく映っただろう。


 だが、平時は万人を迎え入れるべく常に開かれていた鉄製の大扉は、今や戦時の城門のごとく、固く閉ざされている。

 それはまるで、俺たちの来訪を拒絶しているように思えた。


 いや……実際のところ、誰も受け入れるつもりはないのだろう。


 いくらこの寺院――クロノス教会が、俺たちみたいな無法者に限りなく近い『冒険者』という存在に対しても寛容な連中だったとしても、今や魔物が跳梁跋扈するこの街でバカみたいに扉を開けておく道理はないからな。


 それに普段ならば門の側に立っている聖騎士たちは、今はいないようだ。

 おそらく魔物を狩るために街に出ているか、寺院の中で引きこもっているのか、それともあるいは……


「……おーい、誰かいるのか? いたら開けてくれ!」


 仕方なしに、扉に取り付けられた鉄製のノッカーをガンガンと鳴らす。


 見上げるような高さの大扉のほとんどが鉄で出来ているせいか、教会内の空間が打音と共鳴しているせいか、まるで鐘を打ったかのような音が周囲に響き渡る。


「ぴっ!?」


「む……」


 後ろを振り返ると、パレルモとビトラが耳を塞いでいた。

 確かにうるさかったか。


 まあ、すでに敵地の可能性があるだけにバカ正直に挨拶するのもどうかと思ったのは確かだが、黙って侵入するにしても、扉をブチ破るか窓をブチ破るか程度の違いしかないからな。


 それに、正直大して信じてもいない神ではあるが、コソコソと建物に入るのに気が引けたというのもある。



 ――周囲に静寂が戻る。



「…………」


 しばらくそのまま待ったが、誰も出てこない。

 扉の奥にある礼拝堂は、どうやら無人のようだ。


 ……仕方ない。


 ダメもとで、扉を押してみる。


 ギギィ……


「……開いたな」


 扉はあっさり開いてしまった。

 どうやらかんぬきは掛かっていないらしい。


「よし、入るぞ」


 明るい外からだと、中の様子はあまりよく見えない。

 昼過ぎだからか、照明は点いていないらしい。

 一応スキルは発動しているが、今のところ内部に怪しい気配はない。


 覗き込もうと手に力を込めると、重厚な見た目に反し、存外扉は軽かった。

 寺院に務める非力な修道女でも扉を開閉できるよう、蝶番にもきちんと手入れがされているらしい。几帳面なことだ。


 警戒しつつ寺院に足を踏み入れる。


 途端、焚きしめた薫香と埃の匂いに包まれた。

 古い寺院特有の、静謐な香りだ。


 神への信仰心などほとんど持ち合わせていない俺のような人間でも、この匂いにはちょっとばかりは厳かな気持ちがこみ上げてくるものがある。

 まあ、気分的なものだけだが。


 だが。


「……どうやら当たりを引いたらしいな」


 同時に、濃密な魔力が辺りに漂っているのが感じ取れた。

 これはダンジョンの内部、しかもかなり深い階層と同じ濃さだ。


 薄闇にはすぐに目が慣れた。

 礼拝堂は無人だった。

 整然と長いすが並べられており、特に荒らされた様子はない。

 深く沈み込むような静けさだけが、俺たちを取り囲んでいる。


「ほわぁ~……ここ、なんだか懐かしい気持ちになるねー」


「む。確かに私たちの居た祭壇とよく似ている」


 俺の後ろで、二人が感嘆の声を上げる。


 確かに、寺院の装飾と遺跡の祭壇の広間は、似ているかもしれない。

 祀っているのが神なのか魔王の力なのかという違いはあれど、宗教的な意味合いがあるというのは大きな共通点だ。


 装飾が複雑なところもよく似ている。

 もっとも、壁面や天井などに描かれているモチーフは全く違う。


 そもそも祀られている神――クロノスは魔物やら魔王やらとは似ても似つかぬ美女の姿だ。どちらかと言えば、魔王の巫女の方がよっぽど似ているだろう。

 まあ、その辺はあえてツッコむほどのことでもない。


「ねーねーライノ、このきれーな女の人はだれ?」


 しばらく礼拝堂を探索していると、パレルモが祭壇の上に鎮座する女神像を指さし訊いてきた。


「これは主神クロノスだ。俺たち冒険者のケツ持ちみたいな存在だな。といっても、別に復讐神というわけではないが……最高位の治癒魔術なんかは神聖魔術といってこの女神様の加護を受け発動するという触れ込みだ」


「しゅし……くろのす? け……お尻??」


 俺は俺で、身も蓋もない回答で応えてやる。

 一応この国の国教なんだが、数千年地下で暮らしていたパレルモは知らなくて当然か。いや……それは当然なのか? よく分からなんな。


 ……あとパレルモ、なぜそこで顔を赤らめるのかな?

 別にいやらしい意味は微塵も含まれてないからな?


「む。私の時代には多分存在しなかった神。けれども神という存在は、常に時の流れの中で移ろうもの。人々が変わればそれに応じ変化してゆく。きっと私の種族が祀る神でも、パレルモが知る神でもない」


「うーん、よくわかんないかな?」


 なんだかビトラが小難しいことを言っている。

 当然パレルモは小首を傾げるばかりだ。


 とはいえ、神聖魔術の代表格でもある『蘇生魔術』は、一流の治癒術師であるアイラですら、どうやっても使えないらしい。


 どうやらアレは聖職者の上位層で代々継承されてきた古代魔術の一種だとか、大昔に頭のおかしい魔術師が大量の人体実験を行った末に編み出した禁術の類いだとかいろいろな噂を聞いたことがあるが……まあ実際に役立っている分には、そのルーツなんぞ気にしていても仕方がない。


「こんなところか」


 ひととおり礼拝堂を探索し終えたが、術式は見つからなかった。

 この礼拝堂は大規模な術式でも展開できるだけの十分な広さがあるが、どうやらここではないらしい。


 となれば、残るのは奥にある中庭と重傷者や蘇生可能な死者を運び込むための病棟ぐらいなものだが……どちらも、大規模な術式を敷くだけの広さはないはずだ。


 だが、礼拝堂内部に漂う濃密な魔力は、明らかにここがただの建物ではないことを示している。俺の判断に間違いはないと思うのだが。


 うーむ……


「ねーねーライノー、じゃあじゃあ、この魔物さんの絵はー?」


「む、パレルモ。ここが地上とはいえ、無警戒に周囲のものにぺたぺた触れるのはよくない」


 普段訪れない場所で物珍しいのか、パレルモは礼拝堂のあちこちを調べ回っている。そのなかでも、とりわけ壁面絵画に興味津々らしい。


 それらには神やら使徒やら聖人やらが描かれているのが通常だが、疫病や災厄を表わしたり、その逆にそれらを退ける意図で恐ろしい姿形の魔物が描かれているものがある。


「おい、そんなところによじ登ったら、降りてこられなくなるぞ。つーか、はしゃぎすぎだろ」


 気がつけば、パレルモは手の届く場所はおろか、彫像によじ登り、その付近に描かれている小さな魔物の絵に手を伸ばしていた。


 そのときだった。


 ――ガコン


「あっ」


 ゴリゴリと重たい石が擦れ合うような音が礼拝堂に鳴り響き、祭壇の近くの石壁がどんどん沈み込んでいく。


「わわ、わたしは何もしてないよっ!? この魔物さんが勝手に……」


 大げさな素振りで手を引っ込めつつ、あわあわするパレルモ。

 いや、思いっきりツンツンしていただろ……


 だが。


「これは、隠し通路か。お手柄だぞ、パレルモ」


 壁面にぽっかりと空いたその先には、地下へと続く階段が見て取れた。


 ――古い建造物には、戦争や暴動が起こったときに備えて隠し通路を設けているものが存在する。それらは地下から別の場所に繋がっていたり、地下空間を確保して一時的な隠れ家として利用することがあるのだが――


 濃密な魔力は、この奥から漏れ出していた。

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