第92話 妖刀『ネネ』

「ぬぐうぅぅ……我が生き血……美味、なり」


 口から、さらに大量の血が溢れる。

 同時に男の身体がメキメキと音を立て、膨張を始めた。


 黒装束が破れ、その下から盛り上がった筋肉が姿を現す。

 色は……小太刀と同じ黒だ。人間の皮膚じゃない。


 話に聞いた事がある。


 ごくまれにだが、ダンジョンで果てた冒険者などの武具に魔素や死者の怨念が黴のようにこびりつき、呪いの武具が生まれることがある、と。


 それらには魔剣、妖刀、呪いの鎧など様々な種類があるそうだ。

 だが、一つだけ確かなのは――それを手にした瞬間が、その者の最期だということ。


 呪いの武具を手にした所有者は、自分から決してそれらを捨てることはできない。捨てようと思わない。そうして使ううちに徐々に心を蝕まれ、最終的には魔物のごとく血を求めるだけの存在へと変質しまうのだという。


 手に取った者を、喰らうのだ。その存在ごと。


 そうして魔物と化した所有者は、さらに他者の生き血を啜り、骨肉を食み、さらに力を増してゆくのだという。


 あの小太刀は、そういう類いの存在だ。

 あの特徴的な反りのある片刃は、魔剣と言うよりは妖刀と言うべきだろうか。


 ともあれ、あの男は、それ・・に魅入られたなれの果てというわけだ。

 もっともその代償として、ドラゴンすら凌ぐほどの凄まじい力を手にすることができるそうだが……


 その力を人違いで向けられる方としては、堪ったものではない。


「アアァァッ魔ァ王オオォォッ!」


 男が咆吼し、腹部から一気に小太刀を引き抜く。

 

 べちゃべちゃと濡れた音が周囲に響く。

 引きずり出された黒い刀身は、男の腹の中身でも貪ったのか、今や馬を両断できそうな大太刀へと成長していた。


 ドクドクと脈動するその黒い刀身からは夥しい瘴気が溢れ落ち、それに触れた路地の石畳がグズグズと蕩けている。

 ……アレに触れるのは危険だな。


「マ……マオ……キ、キル……」


 闇夜の中。

 憎悪で滾る紅蓮の双眸が、俺を睨み付けている。

 男もまた、大太刀を持つにふさわしい姿へと変貌を遂げていた。


 額から生える、長く鋭い角。

 涎を垂れ流したままの口元からは鋭い牙が覗き、熱い呼気が漏れている。

 分厚い筋肉に覆われた男の体躯は、縦も横も俺の倍はある。


 見た目は、ほぼ悪鬼オーガだ。

 もっとも得物は棍棒ではなく、刀身だけでも男の背丈を超える大太刀だが。


 クソ。

 ダンジョンの深層ならばともかく、まさかこんな街中で魔物と戦闘になるとは思わなかった。


 この様子では、人違いだと説明したところで聞き入れちゃくれないだろう。

 というか、すでに言葉が通じるか怪しい。


 しかし、コイツを人気のない旧市街に誘いこんだのは正解だったようだ

 ここならば、多少暴れても騒ぎになることはない。


「……パレルモ、ビトラ。食後の軽い運動が必要だといったな。アレはウソだ」


「だ、だよね……」


「む。私は構わない。全力で迎え撃つ」


 しかし、あの巨躯に鉄串が通るだろうか。

 パレルモには『包丁』も預けてあるが、あの瘴気では接近戦は厳しいだろう。


 まあ、やるしかないな。


「ミツ、ミツミツミツケタゾォ……マ、マオオォォ……キキ、キサマダケハ……」


 男はすでに呂律が回っていない。

 だが、半身に構え、大太刀を腰の鞘に納めたような独特の立ち姿からは、周りの空間が歪んで見えるほどの凄まじい剣気が発せられている。


 この男をただのオーガと見くびるのは危険だろう。


「……キ、キキルルrrr……斬ルキル斬ルララ……ぐっ……喝ッ!!」


 次の瞬間。

 男が、ピタリと動きを停めた。


「ぬう、やはり『ネネ』はじゃじゃ馬であるな。そこが吾輩の好みでもあるが」


 先ほどまで紅く滾っていた男の双眸に、理性の光が戻っている。

 妖刀から漏れ出ていた瘴気も、止まっていた。

 なにより、言葉が正常だ。


「おい、大丈夫か?」


 思わず声を掛けた。

 まさか、妖刀の支配から脱したというのか?

 そうであるならば、凄まじい精神力だ。


 だが。


「……魔王。お主の力は絶大だ。かつて吾輩が牙を突き立てたときには、小揺るぎすらしなかった。だが……吾輩は今、この『ネネ』とともに在る。その意味を思い知らせてやろう」


 俺を見据える目は、さきほどから変わっちゃいない。

 そこに宿るのは、理性に満ちた――憎悪の光だ。

 

「刮目せよ、魔王。ついの太刀――『扇』」


 男がぼそりと、そう呟く。

 途端。

 強烈な怖気が俺の全身を這い回り、肌が粟立つのが分かった。


 ――死ぬ。


 脳裏が、その言葉だけで埋め尽くされる。


「《時間展延》ッッ!!」


 俺は反射的にスキルを発動していた。


「パレルモ、ビトラッ!」


 同時に、二人を無理矢理地面に押し倒す。

 数千倍に引き延ばされた時間の中でのことだ。

 身体能力がそれなりに高い二人とはいえ、少なからずダメージはあるだろう。

 だが、そうまでしなければならないと、俺の直感が警鐘を鳴らしていた。


 次の瞬間。


 俺の頭上を、ふわりと黒い何かが通り過ぎた。

 まるでさざ波のように静かに広がる『それ』は、周囲を取り囲む建物に溶け入り――すぐに消えた。


 建物に、変化はない。

 なんだったんだ、今のは。


 パレルモとビトラに覆い被さった格好のまま、後ろを振り返る。


「……ウソだろ」


 悪鬼は、大太刀を振り抜いた姿で動きを停めていた。

 俺はヤツが構えている時点で《時間展延》を発動したはずだ。

 技を行使した後の姿が見えるのは、おかしい。


 いや、違う。

 それが意味するところは――


 あれは、すでに剣を走らせたあとだ。


 ということは……あれは剣閃の余波・・だったいうのか。

 時間を引き延ばしてもなお、あれだけの速度を保ったままの。


 喰らっていたら、どうなっていたのか。

 想像するまでもない。

 俺の背中にぞくりと冷たいものが走り抜ける。


「ぼへっ!? いったーい! なっ、ライノ……そこ、触っちゃだめだよぅ……」


「むぎゅっ。む……ライノ、気持ちは嬉しい。でも、今は、その……戦闘中」


 と、ここで《時間展延》の効力が消滅したようだ。

 押し倒したままのパレルモとビトラが悲鳴と抗議の声を上げる。


「ああ、すまんな。すぐにどく」


 だが、想定していたよりはダメージが軽かったようだ。

 その事実にほっとしながら、ゆっくりと立ち上がる。


 ……心なしか、両手に柔らかくて暖かな感触が残っているような気がしないでもないが、きっと気のせいだろう。


「ぬ……むう。お主、吾輩渾身の『扇』を躱すか。この人外め」


 悪鬼は、その様子に一瞬だけ驚愕したように眉を跳ね上げたが、すぐに元の憎悪の炎を瞳に灯し、こちらを睨み付ける。


「人外に人外と罵られるのは心外なんだが……」


「ほざけ。魔王が人外でなければ何だというのだ!」


「知るか! というか、お前の探している魔王と俺は違う! 人違いだ!」


「……人違い、だと?」


 大太刀を構えた悪鬼の動きが、ピタリと止まった。

 怪訝な顔になり、こちらの様子をマジマジと眺める。


「ああ、そうだ。俺が仮に魔王だとしても、少なくともお前の顔は知らん。そもそも、俺はついこの前まで俺は勇者パーティーにいたんだぞ。魔物を狩った覚えはあるが、人の恨みを買うような真似をした覚えはない」


 一気にまくしたてる。

 まさか、自分が勇者パーティーに加わっていたことが役立つ日が来るとは。

 クソ勇者のサムリはどうでもいいが、アイラとイリナあたりには今度メシをご馳走しておこう。


「ふん。勇者パーティーだと? この期に及んで斯様かような世迷い言を吐くか、魔王。お主のような濃密な魔の気配を纏った英雄がどこにいる。のう、『ネネ』もそう思うであろう?」


 悪鬼はそう吐き捨てると、一瞬だけ慈しむような顔になり、大太刀をそっと撫でた。

 それに呼応したのか、どくん、と黒い刀身が脈動する。

 まるで悪鬼の言葉を肯定するかのように。


「茶番は終いだ、魔王。次は外さぬ」


 クソ、ダメか。

 話が通じそうだと思ったんだが、完全に憎悪で狂っているらしい。

 すでにその怒りをぶつける相手が誰か分かっていないようだ。


 ならば、俺も然るべき対処をするしかない。


 鉄串の数まだ充分だ。

 俺は手に握るその感触を確かめつつ、考える。


 ヤツは人間の状態でも、かなりの手練れだった。

 時間を引き延ばし限界まで加速させたとしても、鉄串をただ撃ち出すだけでは弾かれてしまう可能性が高い。

 だから、狙うのは――ヤツが攻撃を繰り出し、隙を晒したその一瞬だ。


 よし、来い。


 俺の意思に呼応するかのように、悪鬼は妖刀ネネを天高く掲げ――


「お主が撒き散らした怨嗟、吾輩が断ち切ろう。――奥義、『篠突くあ……がはっ」


 吐血した。


「……おい、大丈夫か」


 胸元を血で真っ赤に汚した悪鬼が、ガクンと膝を突く。


「ぬぐ……血が……足りぬ。やはり、まだ届かぬというのか。……無念」


 そう呟き、ぐるりと白目を剥く。

 ドウと地響きを立て、悪鬼はその場に倒れ伏した。


 静寂が辺りを包み込む。


「…………」


「…………」


「…………」


 パレルモ、ビトラと互いに顔を見合わせる。


 しばらく様子を見るが、大太刀を手に握りしめたまま血の海に沈む悪鬼は、微動だしない。

 それどころか、悪鬼の身体がシュウシュウと湯気を立てて崩れ始めた。

 妖刀『ネネ』は、すでに元の長さに戻っている。


「……ぬ……ぐ……」


 ややあって、男がどろどろに崩れた悪鬼の肉の中から露出した。

 意識はないが、どうやら息はあるようだ。


「これは俺たちの勝ちで、いい……のか?」


 不戦勝じみた状況に、いまいち勝利の実感が湧かない。


「……わかんないよー。はあ、いたたた……」


「む。私も少し胸の奥が傷む」


 パレルモが「はふー」と息を吐き、自分の頭をさすった。

 ビトラは悩ましい顔で胸のあたりを両手で押さえているが、こっちは大丈夫そうだな。


「ちょっと緊張したら、お腹空いちゃった……あっ」


 パレルモは、まだ少しダメージが残っていたらしい。

 歩こうとして足がもつれ、近くの建物の外壁に手をついた。


 ――ゴゴ……ゴゴン


「えっ」


 パレルモが手をついた場所から少し下が、建物ごと・・・・奥にずれた。

 ちょうど、彼女の腹ほどの高さで……さきほど男の放った黒い剣閃が通り抜けた位置だ。


「わ、わたしじゃないよっ!」


 慌てて外壁から手を離すパレルモ。


 だが、建物の勢いは止まらない。

 ゴゴゴ……と重い音を立てつつ滑り、別の建物にぶつかる。

 その重みで、さらに別の建物がずれる。

 さらに他の建物にその影響が連鎖的に波及して行き……


 ゴゴゴ……ガガガ……ゴゴン……


 轟音が唸り、周囲の建物全部が崩壊を始めた。


「ビトラ! すまんが植物で防御壁を創り出してくれ! パレルモもこっちへ来い!」


「む。了解」


「う、うん!」


 ビトラがすぐさま虚空から蔦状植物を生成し、俺たちの頭上に屋根のような防御結界を編み上げてゆく。

 同時に降り注ぐ瓦礫が大量の土埃を舞い上げ、周囲の視界が遮られた。




「ごほっ。これは……とんでもないな」


 しばらくして土埃がおさまると、月明かりが俺たちを照らしているのが分かった。今気がついたが、今夜は満月だったようだ。


「すご……」


「む。驚愕」


 二人が目を丸くするのも無理はなかった。

 なにしろ土埃が晴れたあとには、周囲ひと区画分の建物が、まるまる消滅していたのだから。


「……クソ。逃げられたか。なんだったんだ、アイツ」


 近くに倒れていた男の姿は、すでに影も形もなかった。

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