第83話 パレルモはつよつよ


「さて、ライノ殿。私たちはそろそろお暇しようと思う」


 俺が眠りこけるパレルモとビトラから飯代を徴収しようと四苦八苦していると、近くに来たイリナとアイラが声を掛けてきた。


「……いいのか? まだ何も解決していないだろ」


「いや、そうでもない」


 イリナはそう言って、隣のアイラに目を向けた。


「食事を取ったおかげか、動転していた気持ちが大分落ち着いた。アイラの姿はまだ元に戻らないが、考えてみれば、今のところ日常生活を送るのに支障はないようだ。それにこのまま安静にしていれば、変化が解けるかも知れない。これまでの冒険者生活で稼いだ蓄えもある。もう数日ほど様子を見ることにするよ」


 アイラもイリナと顔を見合わせるとこくりと頷き、


「今日はありがとう、にいさま。『カリー』、美味しかったわ」


 にっこりと笑顔を見せた。

 彼女も食事を取ったことで、平静さを取り戻したようだった。


「それはよかった。また来いよ」


「ええ。ダンジョンじみた複雑怪奇な道順は辟易するものがあるけど……今度はこの姿が元に戻ってから来るわ!」


「私も、この料理が気に入ったからな。またアイラと一緒に来るとしよう。……それで、勘定はいかほどか?」


「二人で銅貨六枚だ」


「……存外に安いのだな」


「それほど特別な食材を使っている訳ではないからな」


 俺はそんな会話を交わしつつ、手早く二人の勘定を済ませる。


「さてアイラ、そろそろ行こうか」


「はい、ねえさま」


 二人が満足げにうなずき合い、連れだって店を出ようとした……そのとき。


「う~ん……もう、食べら……ライノ~、おかわり~……」




 ――がしっ。




 部屋の隅っこ――出入り口付近で眠りこけていたパレルモが、突然アイラのローブの裾を掴んだ。


「ちょっ……パレルモちゃん!?」


「ライノ~……次……ワイ……骨付きステーキ……食べ……る」


 どうやら夢の中で俺に料理のおかわりをせがんでいるらしい。

 今に始まった事ではないが、まったくこいつはどんだけ食い意地が張っているんだ……


 だが、パレルモ。

 お前が掴んでいるのはワイバーンの骨付きステーキじゃない。

 それは半魔化してドラゴン娘に変化してしまっただけのアイラだ。


「ちょっ、パレルモちゃん? 私たち、もう帰るから……あっ、ちょっ、ローブ引っ張らないで!?」


 ぐいぐいと自分のもとへたぐり寄せようとするパレルモ。

 アイラが慌てて抵抗するが、彼女の力は存外に強いようだ。

 まったく手をほどくことができていない。


「アイラ、すまんな。ちょっと待ってろ。いま何とかする……くっ、固え! こいつ、どんだけ思い切り握りこんでいるんだ!」


 俺もアイラに加勢するが、パレルモがローブを握り込む力がやたらと強く、全く引きはがすことができない。


「骨付きステーキ……逃がさないよ……じゅるり……」


「ちょっと!? この子、半魔化した状態の私より力が強いわよ!? 一体どうなってるの!?」


「知らん! うぬぬ……全然取れん」


「わ、私も手伝おう! ……くっ、この細腕のどこにこんな力が……っ! うわっ!?」


「うえへへへ……ごはん……いっぱい……しあ……わせ……」


 そうこうしているうちに、パレルモがとうとう二人をその両腕で捕まえてしまった。


「あっ、やめっ! 私はご飯じゃないわよ!? んあっ!? ちょっ、耳たぶをハミハミしないでっ……っ!」


「パ、パレルモ殿っ!? 何をするっ!? このような無体はさすがの私も……んんっ!?」


 パレルモはやたら幸せそうな寝顔をしているが、その両腕の中でジタバタと抵抗するイリナとアイラはかなり必死な形相だ。


 い、いかん。

 このままだと、二人がパレルモに捕食されてしまう。


 もちろん文字通りの『捕食』ではなさそうだが……

 このまま放っておくのは、何かとても危険な気がする。


 ……なんか二人から聞いたことない変な声出てるし。


 くっ……仕方ない。

 正直、これはなるべくやりたくなかったが……最終手段だ。


「イリナ、アイラ。待っていろ、もう少しの辛抱だ」


 俺は断腸の思いで厨房に引き返し、貯蔵庫の中に保管していた皿を手に取った。

 仕事上がりの楽しみにとっておいた、まかないカリーである。


「ほーらパレルモー。お前の大好きな『カリー』だぞー」


 涙目になったアイラの拗くれた竜角をもごもごとしゃぶっているパレルモの鼻先に、カリーの皿をちらつかせてやる。


「……んん……この匂い……! カリー!!!!! ……あ、あれっつ?」


 カッ!!


 パレルモが目を見開いた。

 と同時に、目も覚めたようだ。

 左右に侍らせているイリナとアイラをきょときょとと見比べ……


「あれ……ごはんと……ごはんが……イリナさんとアイラちゃんになっちゃった……」


 心底悲しそうな顔で、そう呟く。


「ごはんと比較されてそんな顔をされるのはすごく複雑な気分だけど……とりあえず離してもらえるかしら?」


「あっ、ごめんね!」


 慌てて二人を解放するパレルモ。


「ま、まさかパレルモちゃんに食べられそうになるとは思わなかったわ……」


「ふむ……。しばらくの養生で、身体が鈍ってしまったようだ。パレルモ嬢の力がが存外に強かったとはいえ、不覚だ。少し、鍛錬の量を増やさねばなるまいな……」


 イリナとアイラが疲れた顔でよろよろと立ち上がった。


「す、すまんな。次来たときは、二人とも俺のおごりにしておく。……パレルモ、お前はそっちでこのカリーを食べて待っていてくれ」


「やたっ! いただきまーす! おいしー!」


 シュバッ! と電光石火の早業で俺の皿を奪うと、パレルモはその場でカリーを頬張り始めた。

 ……なぜか胸元からスプーンが出てきたが、突っ込んだら負けだ。


 ……ふう。

 とりあえず仕切り直しだな。


 俺はイリナとアイラに向き直る。


「……いろいろあったが、またな」


「え、ええ。また来るわ!」


「ライノ殿、また来るぞ」


 改めて二人を見送ろうとした、そのとき。


「あの、ライノさん? そちらのお客様は……」


 背後から、遠慮がちな声が聞こえた。

 今度はなんだよ……


 ゲンナリした気持ちで振り返ると、ペトラさんが口に手を当てたまま、アイラを凝視していた。


「……あっ」


 アイラが自分の頭を両手でバッ! と押さえる。


 ……しまった。

 そういえば、さっきの騒動でアイラのフードは脱げたままだった。


 今や彼女のふわふわの金髪の間からは威風堂々な感じで竜の角が突き出ているし、ローブの裾からは竜鱗に覆われた太い尻尾が完全に露出している。


 だれがどう見ても、アイラは尋常な人間の姿ではなかった。


「こ、ここ、これはその、ち、違うのっ!」


 アイラが慌ててフードを被り直し、ローブの裾に尻尾を隠すが、時すでに遅し。


 ……これはうかつだったな。

 二人をパレルモから救け出すのに忙しくて、ペトラさんの存在を完全に失念していた。

 だが、見られてしまったものは仕方がない。


「す、すまんがペトラさん、実は彼女はダンジョンに潜った際にトラップに掛かり、『半魔化の呪い』を受けてしまってな。それがまだ解けていないんだ。別に害はないから、このことは内密に――」


 冒険者ではないペトラさんならば上手く誤魔化せるだろう。

 そう思っての、口からの出任せだったが……


「まさか、そんな……お客様『半魔化の呪い』を?」


「…………は?」


 この人、今なんて言った?

 ペトラさんの言葉に覚えた違和感の正体を理解するのに、しばらくの時間を要する。


 ……『お客様』?


「おいペトラさん、それはどういう……」


「ああ、申し訳ありません。驚きのあまり、少し取り乱してしまいました。この『呪い』、日常生活が不便ですもんねえ……全然治らないし、気を抜くと元に戻っちゃうし。私の場合は、たくさん毛が散らかるのですごく大変なんですよ……んにゃっ」


 ペトラさんが目をぎゅっと瞑り、なにやら力を込めた瞬間。


 彼女の身体を淡い光が包み込み――すぐに収まった。

 それはほとんど一瞬のことだったのだが……


「おいペトラさん、まさかその見た目は……」


「にいさま、この人って……」


「隠しているつもりはにゃ・・かったのですが……実は私、おさにゃい頃にダンジョンにまにょい込んでしまったことがありにゃして……その当時の記憶は曖昧にゃんですが、どうやら呪い系のトラップにかかってしまったにゃしくて……気がついたら『半魔化』していたんです……にゃ」


 顔を赤らめ、照れくさそうに笑みを浮かべるペトラさん。

 その口元には鋭い犬歯がきらめいている。

 彼女の手はふわふわとした黒い猫毛に覆われており、艶やかな黒髪が流れる頭部には、尖った猫耳がピンと立っている。

 さらには、彼女の穿いた丈が短めのスカートからはちょろりと猫尻尾がのぞいていた。


 うん。

 これは猫……の半魔だろうな。

 イントネーションとか語尾とかが何かそれっぽくおかしくなっているし。


「どうしよう、にいさまっ! この店員さんの耳に尻尾、それにあの手足……ものすごーくもふもふだわっ!」


 今までの慌てようはどこへやら。

 アイラが瞳をキラキラと輝かせ、一瞬でテンションが爆上げ状態になった。


 アイラ、お前本当に……どんなときでもブレないな!

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