第78話 都市型ダンジョン

「頼む、もうお前しかいないんだ」


 真剣な顔の旦那が、もう一度言った。

 横を見ると、ペトラさんは俯き気味で、斜め下を見ている。


「…………」


 気まずい沈黙だ。

 いや、どうするかな。


 じつのところ、隠れた名店で働いてくれという申し出は、俺にとって魅力的だ。


 そもそも、この店に行こうと思ったきっかけは、パレルモとビトラの慰労も兼ねて、新しい料理のヒントが見つかればと考えてのことだったからだ。

 魔物メシのレパートリーも、そろそろ頭打ちだったからな。


 頑固一徹、路地の裏でひっそりと料理を作り続けるストイックさ。

 しかしそれでいて、料理の味一本で勝負できる名店なのだ。

 美味い料理を食べながら、そこから何かを見いだせれば良かった。


 そこで、店に立って料理を作らせてくれるという申し出だ。

 僥倖というほかない。


 ……もちろん先代がいれば、の話だが。


 残念ながら、すでに料理を作っていた本人が店に立っていなければ、技術を盗むも何もない。レシピくらいはあるだろうが、その通りに作れば同じ品質の料理が出来上がるかといえば、そんなことはないからな。

 食材の目利きからはじまり、繊細な刃物さばきや細やかな火加減など、直接見て覚え、自分の身体で再現しなければ身につかない類いのものだからだ。


 とはいえ……名店と呼ばれた店がこのまま消えてしまうのは惜しい。

 

 新しい料理人が見つかるまで、つなぎで店に立ってみること自体はいい経験になると思うし、やぶさかではない。

 それに、別に俺が冒険者だからといって、ダンジョン探索や魔物討伐依頼の受託をギルドから義務づけられているわけでもないからな。

 そういった意味でも、差し迫った用事があるわけもない。

 というか、どちらかというと暇ではある。

 

 うーむ……


 ペトラさんを見る。

 目が合った。なんかウルウルしている。

 捨てられた子猫みたいな目でこっちを見てくる。

 怜悧な顔立ちと、そんな表情のギャップでちょっと胸がキュンとなった。


 だが旦那。

 お前は目をウルウルさせても気色悪いだけだからやめろ。




 俺は散々迷ったあげく、結局二人の申し出を受けることにした。




 ◇




「ここが店か……これ、仮に教えられていても普通のヤツがたどり着くの不可能だろ」


 俺は人ひとりがやっと通れるかという狭く暗い路地に立ち、率直な感想を吐いた。


「申し訳ありません……その、祖父の強いこだわりで……」


 申し訳なさそうなペトラさん。


 『彷徨える黒猫亭』は、商業区の端にある倉庫街のさらにその先、入り組んだ路地のさらにその奥の奥にひっそりと店を構えていた。


 ここにたどり着くのに、倉庫横の資材置き場の横や民家と民家の狭い隙間を洗濯物を押しのけて通ったり、じめじめしたダンジョンもどきの地下通路を通ったり、しまいには工事中やら通行止めの看板を押しのけて人ひとりがやっと通れるような路地を抜けてきたりした。意味が分からない。


 というか、道順複雑すぎだろ!

 こんなの、地図か案内人なしじゃ熟練の冒険者でも到達できないぞ。

 ダンジョン探索に自信のある俺ですら、イマイチ道順を覚えきれていない。

 そもそもギルドの知り合いに教えて貰ったルートと全く違う。


 しかも途中からこのままだと帰る道すら分からなくなりそうだったのでマッピングし始めたら、工事やら資材の置き状況とかで、この道順は毎日どころか刻々と変化するとペトラさんに言われた。

 おまけに店舗は三つあり、日々ランダムで営業している場所が異なるそうだ。

 本当に意味が分からない。


 だがこのペトラさん、この道を迷うことなく案内してくれた。

 もちろん店主だからルートを熟知しているというのもあるのだろうが、それを差し引いても恐るべき方向感覚だ。

 飯屋を経営するよりも、絶対冒険者の才能があると思う。

 もちろん職業は盗賊職シーフだ。


 というわけで、『彷徨える黒猫亭』の由来だけは、この身をもってよーく思い知らされたわけだが……


「すごーい! お空が見えるのに、ダンジョンみたいだったねー!」


「む。魔物も罠もないダンジョンとは斬新。強いて言えば、途中の『猫溜り』が罠と言えなくもなかった。あれはとても危険」


 二人は存分にこの冒険を楽しんだらしい。


 ちなみにビトラの言う『猫溜り』とはいわゆる『猫の寄り合い』だな。

 普段は単独行動の猫が、なぜか一カ所に集まって寛いでいるという、アレだ。

 しかしパレルモとビトラは二人とも可愛いもの好きだったらしい。


 だがよくよく考えてみれば、別に意外なことではない。

 彼女らが特殊な生い立ちで人外の戦闘能力を有し、さらに不老不死に近い存在だとしても、心そのものは年頃の女の子とそれほど変わらないからな。


 ちなみに猫たちはなぜか俺たちをあまり怖がらなかった。

 おかげで二人が猫たちと一緒にその場で寛いでしまい、動かすのに苦労した。


 ともかく。


「……明らかに普通の民家っぽいこの扉でいいんだよな? 開いたら一家団欒でその中を通り抜けて別の場所に向かうとか、そんなことはないよな?」


「え、ええ。大丈夫です。ここが、今日の営業店舗で間違いありません」


 俺が念を押すと、ペトラさんはさらに申し訳なさそうな顔になった。

 その様子に少し胸が痛んだが、俺も疲れたからな。


 一応、その建物の内部から伸びている排気口ダクトからはなにやら美味しそうな匂いが吐き出されている。

 ここで間違いはなさそうだ。


 というか、営業しているのか?

 誰かいるのだろうか?


 店主のペトラさんが香辛料屋に来ていたから、一度店を閉めてきたのかと思っていたが。


「……それじゃあ、邪魔するぞ」


 ごくりと生唾を飲み込んで、扉を開く。


「はーい、『彷徨える黒猫亭』へようこそー……うん? ずいぶんと見覚えのある顔ぶれだねえ」


 明るい中年女性の声が、薄暗い店内から響いてきた。

 こちらもずいぶんと聞き覚えのある声だ。


 目が慣れてくると、それが誰か分かった。




 フライパンを持ったまま出迎えてくれたのは……

 香辛料屋のオバチャンだった。




 そういえば、旦那が近所の店に手伝いに行っていたとか言っていたな。

 どうやらそれが、この店だったらしい。


 ちなみに先客はゼロだった。

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