第76話 店主と店主と冒険者
「うわー! このお肉、すごく赤くてきれーだねっ」
「む。食欲をそそる色」
ひととおり部屋の探索が終わって飽きたのか、パレルモとビトラがキッチンまで様子を見にきた。
二人はダイニングからキッチンカウンター越しに、俺の調理作業を見物している。ときおりじゅるりんっ、と何かを啜る音が聞こえてくるが、スルーだ。
牛肉自体は屋敷でもたまに出しているから、珍しくはないだろう。
だが、この分厚いフィレ肉ブロックの鮮烈な赤が食欲をそそるのは間違いない。
俺たちが主食にしている魔物肉も赤いといえば赤いのだが、種類によっては魔素や毒素のせいで微妙にどす黒かったり、どぎついショッキングピンクに発光していたりするからな。
「二人とも、そこのテーブルかソファで待ってろ。すぐできるからな」
「ほーい」
「む。了解」
二人は大人しく居間のソファに座った。
パレルモはよほどソファが気に入ったのか、溶けたスライムみたいに沈み込んでいる。ビトラは行儀良く座っているな。
さて、こっちも本格的に調理を始めるとするか。
とりあえず、牛肉は厚めにスライスして、軽く塩と胡椒をまぶしておく。
野菜類については葉物洗ったり、湯引きが必要なものは軽く熱湯にくぐらせたりと、すでに下処理ずみだ。
ほんの少しだけ待って肉がなじんだら、バターを引いてカンカンに熱したフライパンに投入。
ジュウウ……と油の爆ぜる音とともに、バターと胡椒、それと肉の焼ける香ばしい匂いが辺りに広がってゆく。
「ふわあー……いい匂いすぎて、よ、よだれがとまらないよー。ひ、ひとくちお肉たべれば、とまるかもー」
「むむむ……この匂いの中で待つのは、もしかしなくても拷問。これはいけない。一刻も早くひと欠片でも肉を口に入れなければならない」
居間から大根役者みたいな棒読みセリフが二人分聞こえるが、スルーだ。
今しっかりと肉の焼き加減を見ておかなければ、台無しになるからな。
投入から三十秒ほど経った。
うむ。
良い感じに焼き目が付いている。
肉をひっくり返す。
裏面も、もう三十秒ほど強火で焼く。
「よし、これくらいか」
もう一度肉をひっくり返したらフライパンを火から離し、蓋をかぶせた。
「あれっ? もうできたのー? じゅるり」
「む。それでは内部は生になってしまう。じゅるり」
「おわっ!?」
存外近くで声がしたので振り向くと、パレルモとビトラがキッチンカウンターの上に顎を載せて俺の手元を凝視していた。
こいつら、いつの間に……
しかし二人とも目がキラッキラしているな。まあ、気持ちはわかるが。
「もうちょい待て。しばらく肉を休ませる必要がある」
ビトラの言う通り、まだ肉の内部は生だ。
だが、こうして火から離したフライパンで弱い熱を肉内部にじわじわと浸透させることにより、きちんと火が通っているのにもかかわらず柔らかくジューシーな状態を保つことができるのだ。
ちなみにこれは余談だが、魔物肉の場合は完全に強火で処理しなければダメだ。
中までしっかりと火を通しきらないと、毒素や魔素が抜けてくれないからな。
もちろん毒や麻痺無効スキルを持つ俺たちが毒に
そういう意味では普通の獣肉は単純に料理の幅が広くていい。
極端な話、生でも食べられる種があるからな。
だからそこ、腕の振るいがいがあるというものだ。
「さて、もういいか」
数分ほど待ってから、フライパンの蓋を取る。
胡椒と塩、それにバターだけで焼いただけでも、とんでもなく食欲をそそる香りがふわりと部屋中に広がる。
「ふわあ……」
「む……」
パレルモとビトラはすでに言葉なく恍惚とした表情だ。
俺もつまみ食いしたいところだが、ここはグッと我慢する。
肉を一枚だけナイフで二つに切りわけると、中身は赤みを残しているものの、きちんと火が通っているのが確認できた。
うん、焼き加減は上々だな。
あとの手順は大したことはない。
さっさと片付けたら、旦那を呼んでくるか。
◇
旦那を呼びに階下に降りると、事務所で旦那と若い女が話し込んでいた。
ちなみに表を見ると、案の定客はゼロだった。
「……そうか。来月分はどのくらいで考えているんだ?」
「そうですね。ここのところ、客足がかなり落ち込んでまして……このままですと、先月の三割がいいところでしょう。難しいところです」
女の方は、年の頃は二十歳前後だろうか。
面立ちは端正で、金色の吊り目はしかしくりっと大きく、あどけなさと凜とした心の強さを併せ持っているような印象を受ける。
端的に言って、かなりの美人だった。
服装は、シックな制服の上にこれまたシンプルなデザインのエプロンを身につけており、厚めの三角巾で
見た感じ、仕事中の飲食店を抜け出してきた店員といった出で立ちだ。
旦那の取引先だろうか。
なかなか仕事のできそうな感じのクール系美女である。
しかし二人とも、なにやら難しい顔をしているな。
会話に割って入っていいものかと少々迷ったが、他所様の家の食材で作ったメシを俺らだけで頂くのはさすがに気が引ける。
仕方なく、話しかけることにした。
「よう旦那、飯ができたぞ。……取り込み中なら、あとでにしようか?」
「おお、ライノか」
旦那は今気づいたというようにハッと顔を上げると、そう言った。
どうやら俺が声を掛けるまで、気づかなかったらしい。
かなり深刻な話のようだ。
「ちょうどよかった。ライノ、すまんがもう一人分昼飯追加できるか?」
「どうせあんたの家の食材だし、それは別に構わんが……そちらさんの分でいいんだな?」
俺が視線を向けると、若い女がこちらを向き、ゆっくりと立ち上がった。
「ペトラ・ハンスキといいます。『彷徨える黒猫亭』の店主をしております。ええと……ライノさん、でしたっけ。どうも、初めまして」
言って、スッと頭を下げるペトラさん。
彼女の折り目正しい所作は、まさしく接客業のそれだ。
「ライノ・トウーリだ。普段は冒険者をやっている。今日は香辛料を卸しにきたんだが……なぜか今日限りの料理番を務めることになった。お手柔らかに頼む」
「なるほど、貴方が……」
「俺が何か?」
「いえ、こちらの話です。失礼しました」
ペトラさんは少しだけ驚いたように目を見開いたあと、何かに合点がいったかのように軽く頷いた。
なんだ? 気になるな。
「そういう訳でしたら、是非私もご相伴にあずからせて頂ければと思います。ライノさん、ご馳走になりますね」
人好きのする接客スマイルの中で、なぜかペトラさんの目がキラリと光る。
金色の、綺麗な目だ。
その瞳を見ていると、なんというか……形容しがたい妙な居心地の悪さを覚える。
なんだこれ?
まさか、この俺が緊張しているのか?
確かに同年代だし、ペトラさんはかなりの美人だ。
こう言ってはなんだが、ウチの巫女さま二人には無い、大人の魅力が彼女にはある。
「あっ、すいません! ……つい」
視線を逸らせずにいると、ペトラさんがハッとしたように顔を横に向け、それから申し訳なさそうに頭を下げた。
その途端、身体が弛緩する。
「……い、いや。こちらこそ何かすまん。初対面の女性に不躾だったな」
俺も、頭をかきつつ応じる。
なんだったんだ、今の。
まるで状態異常系魔術を掛けられたような、不思議な感覚だった。
一応、めぼしい状態異常は無効化スキルを所持しているはずだが。
……というか。
その『彷徨える黒猫亭』ってこのあと行こうと思っていた飯屋だぞ。
冒険者の間では知る人ぞ知る隠れ家的名店という扱いで、頑固一徹で料理バカな店主の渾身の一皿を堪能できるとのことで、かなり楽しみにしていた。
ちなみにこの店は商業区の端っこの路地裏にひっそりと構えているうえ、看板すら出さないという徹底ぶりで、誰かに教えてもらうか偶然たどり着く以外で行くことはできない(ちなみに俺はギルドの知人づてで教えてもらった)。
そんな商業主義に迎合しないどころか完全に反逆する姿勢がストイックで個人的に高ポイントだったのだが。
……その名店の主に、なぜ俺がご馳走する流れになっているんだ?
というか、今ランチタイムまっただ中だよな?
いくら隠れ家的な店と言っても、口コミ客の一人や二人は来るだろう。
放っておいて大丈夫なのか?
そもそも店主は結構歳のいったじいさんだという話だったが。
なんだか、とても嫌な予感がしてきたぞ……
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