第52話 勇者パーティー 中編

「――せぁッ!! せいッ! はあぁッ!」


 裂帛の気合いが、遺跡にこだまする。

 幾条もの青白い剣閃が、遺跡の闇を刹那の間だけ斬り払う。


 イリナの魔法剣だ。


 ガギンッ! ガイン! ガギギン!


 その閃光と同時に、甲高い金属音が後衛に控えるアイラの元まで響いてくる。


『―――ッ』


 イリナが戦っているのは、巨大な蟹の魔物だ。

 現在アイラたちが探索している第二十五階層に現れたこの巨蟹は、人の背丈をゆうに超える巨体と分厚い甲殻を持ち、片腕は胴体と同じほどの大きさの鋏が付いている。


 アイラはこの蟹型の魔物の持つ鋏が、今いる広間の支柱を易々と砕くのを目撃したばかりだ。

 人間が挟まれたら……どのような目に遭うか、想像に難くない。


 だがそれでも、アイラはイリナに対する不安はない。

 

「む、硬い。さすがはダンジョン深層に生息する魔物だ。第二十五階層ともなれば、一筋縄ではいかないものだな。だが……私の魔法剣の前では、その強靱な甲殻も無意味だ」


 イリナは魔物から少しだけ距離を取ると、血を払うように剣を一振りした。

 すると刀身からは青白い火花が舞い散り、虚空に溶け消える。

 同時に、淡く発光していたイリナの剣から光が消えた。


「……ふむ」


 剣から魔術付与エンチャントが消失したことを見届けたイリナは、魔物に背を向け、剣をカチンと鞘に収めた。


『……?』


 その様子に一瞬戸惑いを見せる魔物。 

 たったの一撃、それも前腕部に浅い傷が付いただけだ。

 それなのに、敵は後ろを向き、無防備な姿をさらしている。


 それは魔物にとって、絶好の反撃の機会に見えたことだろう。


『――ッ!』 


 背を向けたイリナ目がけて、隙ありとばかりに魔物の巨大な鋏が迫る。

 が、そのとき。


 ――ボシュッ


 魔物の鋏から、青白い火の手が上がった。

 剣閃と同じ、青白い炎だ。


『……ッ!?』 


 何が起きたのか分からず、慌てたようにブンブンと鋏を振り回す魔物。

 だが、青白い炎は消えることはない。

 鋏、前腕部全体、そして胴体。

 青白い炎は瞬く間に業火と化し、魔物の全身を焼き尽くしてゆく。


『――――ッッ!』


 数秒ののち。

 魔物のいた場所には、ひと掴みの灰だけが残されていた。


「ねえさま、お疲れ様です。お怪我はありませんか?」


 アイラは魔物の死亡を確認すると、イリナに駆け寄った。


「見ての通り、かすり傷ひとつ負っていないぞ。そちらは無事か?」


「ええ、おかげさまで。……それにしても、ねえさまの魔法剣は凄まじいですね。あれだけの巨体が、あっという間に消し炭です」


「高位火焔魔術を付与した魔法剣は、見た目だけは派手だからな。だがその魔法剣とて、万能ではないさ。魔物の属性を見極め、最適な魔術を付与する必要がある。間違った属性を付与された魔法剣は、魔物どころか羽虫すら斬れぬなまくら・・・・と化すからな」


「謙遜では? ねえさまに斬れぬものなど、ないように思えます」


「いいや。魔法剣とは、そのようなものだ」


 照れ隠しなのか、イリナは苦笑しつつ鞘に収めた剣をぽん、と叩く。


「それにアイラ。お前の強力な治癒魔術があってこそ、私たちは安心して戦闘に打ち込めるのだ。そういう意味では、皆を支えるお前こそがこのパーティーの要なのだぞ」


「ねえさま、それは言い過ぎです。私なんて、少し治癒魔術が使えるだけの一般人ですから。ねえさまやサムリ、それにクラウスさんみたいに戦えるわけじゃないので」


「ふふふ。笑わせてくれるじゃないか! 欠損した手足を再生させる・・・・・最高位の治癒魔術を扱えるお前が一般人だと? それこそ謙遜以外の何物でもないな」


「《再生治癒リ・ジェネーション》は、治癒術師ならば修行を積めば誰だって使えるようになります!」


 アイラが抗議するが、それを見たイリナが愉快そうに笑い、続ける。


「ほう? 私の知る限り、《再生治癒》とやらを使えるのは、寺院の神官長か、今年十三になる我が自慢の妹だけなのだが……まあ、そうお前が言うならそうなのだろう。お前の中では、な」


「ねえさま!」


「……おお、ウワサをすれば、奥の二人も魔物を倒し終わったようだぞ。おーい」


 イリナはアイラの抗議には答えず身体の向きを変えると、大きく手を振った。

 これ以上押し問答(?)に取り合うつもりはないようだ。


 広間の奥でサムリとクラウスが手を振りかえしている。

 さらにその奥には、真っ二つに断ち切られた巨蟹が数体、横たわっているのが見えた。

 

 どうやら周囲の敵は一掃されたようだった。





 ◇




「おう、お疲れ! イリナ、アイラ、そっちはどうだった?」


 サムリとクラウスがアイラたちのもとに戻ってくる。

 クラウスは身の丈を超える大剣グレート・ソードを肩に担ぎつつ、もう片方の手を軽く上げた。


 よほどいい戦いができたのだろう。

 ずいぶんといい笑顔をしている。


 アイラには、その感覚がイマイチ理解できなかったが。 


「ああ。クラウス殿はずいぶんと楽しんだようだな。こっちも、なんとか魔物を倒すことができた。さすがに階層が深くなるにつれ、強力になっていくようだ」


「ふん。たかが遺跡の二十五階層じゃないか。僕はまだまだ大丈夫だよ? それにこの聖剣『アロンダイト』が囁くんだ。『十全の力を発揮するには、この程度じゃまだまだ足りない』ってね」


 サムリが背負った長剣を、肩越しに触る。

 聖剣『アロンダイト』は、彼の身の丈ほどもある、いわゆる両手剣だ。


 (たしか、この剣を抜いたせいでサムリは領地を追われることになったんだっけ)


 柄や鍔に施された装飾は美しく、なるほど『聖剣』にふさわしい佇まいだ。

 なんというか、見る者を引きつける神々しい魅力がある。


 だが、この『聖剣』のせいで、サムリや彼の兄貴分のクラウスはおろか、世話係のイリナやアイラまで巻き添えを食って領地を追われることになったのだ。


 アイラはその剣があまり好きではなかった。


「ははは、確かにサムリ殿の力ならば、この程度の魔物では物足りないだろうな」


「そうかー? 結構強かっただろ、さっき魔物。つーかアレ、大鋏陸蟹ジャイアント・クラブだろ。前に別のダンジョンで戦ったことがあったろ? でもなあ、あんなデカかったっけ?」


 クラウスがそう言って、くいっと顎をしゃくる。

 その先には、クラウスとサムリが真っ二つにした魔物の残骸がある。


 身の丈を優に超える体高の巨蟹だ。


「ねえさま、ジャイアント・クラブって、確か最大の個体でも人間と同じサイズでしたよね? この遺跡固有の種でしょうか」


「ふむ。どうだろう。確かにあの肥大した前腕部は、ジャイアント・クラブのものだが……私も魔物の分類にはとんと疎くてな」


「ふん。魔物の細かい種別なんてどうでもいいよ。問題は、どんないい素材を持っているか、だよ。なあ、クラウス?」


「ん? ああ、そうだなサムリ! そういう意味では、コイツは当たりだぜ」


「どういうことだ?」


 サムリとクラウスが、互いにニヤリと笑い合う。

 イリナが、訝しげに二人の様子を見守る。


「じゃーん、どうだ! こんなデカい塊、今まで見たことねーぜ!」


 クラウスが得意げに、腰の袋から何かを取り出した。


「これは……魔石? 綺麗ね」


 それは拳大ほどの、赤く透き通った貴石だった。

 アイラの頭上で灯る魔力光を受けて、キラキラと輝いている。

 それが、二人が倒した数だけある。


「ああ。たまに魔物を倒すと出てくるだろ? たいていは小指ほどのサイズだからな。だから最初、あの大蟹の腹から出てきたときはたまげたぜ」


「ほう、これは特大サイズだな。これをギルドで換金すれば、当分は朝、夕食事込みのうえ、浴場付きの高級宿で暮らせるな」


「ねえさまは湯浴みが好きですからね」


「ああ、湯浴みは最高だ。身体だけでなく、疲れ切った心すら癒やしてくれるからな。そうか、こんなことなら魔法剣で塵芥になるまで焼かなければよかった……」


 イリナが天を仰いだ。

 大蟹を跡形なく消し去ったことが、よほどショックだったらしい。


「まったくねえさまは現金なんだから。大丈夫ですよ、次の階層にもきっとわんさかいますって」


 アイラがそうフォローすると、イリナは少しだけ元気を取り戻したようだ。

 いつものキリッとした顔になった。


 それから広間の先に顔を向け、


「う、うむ、そうだな。湯浴みのためだ。よし、そろそろ先に……誰だ!」


 険しい表情で、広間の奥の闇に向かって声を飛ばした。

 同時に、腰に帯びた剣を抜き、構える。


「ねえさま?」


「イリナ? どうしたんだ?」


「なんだあいつ、松明も魔素灯もなしに……どこから来たんだ? もしかして調査隊の一員か? おいあんた! 大丈夫か?」


 アイラも視線を三人と同じ方向に向ける。

 闇の奥に一つ、人影が見えた。


 ここからでは、アイラの魔力光も他の三人が持つ魔素灯の光もよく届かない。

 けれども、その輪郭だけは分かる。


 全身鎧の、騎士だ。

 怪我をしているのだろうか、歩き方がぎこちない。

 手に持った剣も、引きずったままだ。


 ゆっくりと――こちらに向かって近づいてくる。


「クラウス。あれは聖騎士だろうか? たしか、調査隊は冒険者と寺院から派遣された聖騎士の混成部隊だっただろう」


「ああ。おそらくそうだ。胸当ての紋章は寺院のものだな。こいつはツイてるぜ。まさか生存者がいたとはな。俺はてっきり遺体の所在を確認するだけの仕事だと思ってたぜ。いやーよかったよかった! なあ騎士さん! 仲間はどうした! あんただけか?」


『――――、』


 クラウスがホッとしたように騎士に声かけるが、反応がない。


「おい、あんた?」


 クラウスの再度の声かけに、騎士が立ち止まった。

 騎士はこちらを伺っているように見えるが、フルフェイスの鉄兜の中の表情までは分からない。


「おいあんた、大丈……夫か?」


『…………ゴボッ、ル゛ッ、イェ゛ッ』


 クラウスの声に反応したのか、その場でがくり、がくりと震えだす聖騎士。

 そのたびに奇妙な音が鎧の内部から聞こえ始め――ピタリと動きが止まった。


「サムリ! イリナ! くるぞ!」


「わ、わかってる!」


 クラウスはすでに戦闘態勢だ。

 サムリも慌てて剣を抜き、構える。


「アイラ。私の後ろに!」


「はい、ねえさま!」


『ゴオおぉルるぉおォぉ――!!』


 聖騎士がクラウスに襲いかかるのと、アイラがイリナの背後についたのはほぼ同時だった。


 ――ガシュン!


「……え?」


 だから、アイラからはよく見えなかったのだ。


 クラウスの片腕が、聖騎士の鉄兜を突き破って飛び出た禍々しい顎によって、無残にも食いちぎられた――その瞬間を。


「お、俺の腕が……ッ! クソがああぁぁぁッーー!!」


 クラウスの絶叫が、遺跡の広間に響き渡った。

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