第10話 焼いてみることにする

 俺は、魔物の肉を食わなければならない。

 じゃあどうすれば、コイツを美味しく頂くことができるのだろうか。


 すぐそばに横たわる大蛇を視界に入れないように、考える。

 正直、今は見るのもイヤだ。

 視界に入れたら最後、またあの地獄のような飢餓感が襲ってくる気がする。


 もちろん空腹そのものは、おそらくどんな生き物にも当然備わっている感覚だ。


 だが。

 アレは『空腹感』なんて言葉で言い表せるほど生優しいものじゃなかった。


 例えるのは難しい。

 あえて言葉にするなら……『溺れる』というのが一番近いだろうか。

 陸にいながら深い沼の底で空気を求めてもがいているような……そんな抗いがたい渇望だった。


「…………」


 俺は手に握ったままの包丁を眺める。

 何の変哲もない、ただの肉切り包丁だ。


 だが、俺はコイツを握った途端炎に巻かれ……そして強力な力を手に入れた。

 ミノタウロスですらひと呑みにできそうな大蛇を、簡単に討伐できた。


 ありえない戦闘力だ。


 あんな巨体の魔物、サムリら勇者一行が総掛かりで戦っても勝てるかどうかというところなのに。


 だが。

 その代償が、さきほどの地獄のような飢餓感らしい。

 これがただの飢餓感ならば多少は救いようがあるんだが……


 《ステータス:貪食  魔物の力を取り込み中……残り50%》


 目の前に浮かび上がった光る文字を考えると、とてもそうは思えない。

 魔物を食わなければ、満たされない飢餓感。


 あのまま魔物を食わないでいたら、俺はどうなっていたんだろうか。

 あまり考えたくはない。


 まあ、あんな強烈な感覚を耐えたうえで試してみるほど価値がある行為とは思えないが。


 しかしこれはまた、厄介な力を手に入れてしまったな……


「ま、そんなこと言ってても始まらないか。切り替えていこう」


 俺はため息と一緒にそんな言葉を吐き出した。

 それから両手でバチン! と頬を叩く。


 ――イイィィィィン……


 残響が広間に響き渡る。

 おお、結構いい音が出たな。

 肉体が強化されたせいかな?


《肉体損傷率:0%》


 …………。


 頭が、少しだけすっきりとした。

 ……よし。


 どのみち、この力が呪いだろうが祝福だろうが、今の俺には無効化する手段が分からない。

 それに、今すぐバケモノになるとか、死んでしまうとかでなさそうだしな。


 ということで、いまのうちに残る一体の調理方法を考える必要があるが……


 正直、生がダメだったのはよく分かった。

 まあ、当たり前だな。


 というか、魔物の肉を生のままかぶり付くとか……

 初めて体験するような異常な飢餓感で追い詰められていたというのをさっ引いても、さっきの俺はどう考えても完全に頭がおかしかった。


 ただ、そういう状態は冷静になってからじゃないと分からないものだ。


 まあ、その話はいい。

 前向きに考えよう。


 問題は、どうやってコイツを美味しく頂くかということなんだが……

 まずは加熱して、臭みが飛ぶか試してみよう。


 というか、今できそうな調理方法がそれしかない。

 煮炊きは水を入れる容器が必要だが、あいにく手持ちにそんな都合の良いものはないからな。

 

 幸い、火種だけはこの広間にたくさんある。

 俺は広間の支柱から、薪にできるだけの松明を集めてきた。


「よーし。松ヤニとか煙が臭み消しに一役買ってくれるといいんだが」


 松明を一カ所に集めると、すぐに大きな火になった。

 そこに、火を消した松明に刺した大蛇肉をかざしてみる。


 すぐにジリジリと肉の表面が音を立て始めた。

 同時に、肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。

 香りの中に若干泥臭さが感じられるものの、悪くない匂いだ。

 お? これはもしかしていけるんじゃないか?


 さらにしばらくすると、肉が焦げ始めた。


「おっと」


 さすが松明だけあって、かなり火の勢いが強いな。

 少しだけ、火から遠ざける。


 きちんと火を通したいところだが、なかなか調節が難しい。

 生焼けもイヤだが、真っ黒焦げはもっとイヤだ。


 しばらく火にかざしていると、十分肉に火が通ったようだ。


「どれどれ……」


 匂いは……まあ、泥臭さが目立つものの、無視できるレベルだ。

 熱でジュウジュウと油が滴り落ちていて、見た目はかなり美味そうに見える。

 経験上、肉の臭みというのは加熱しただけじゃ消えないものだが……


 コイツはどうだろうか。


 まあ、これはまだ本番じゃない。

 どれだけ食べられるようになったかの、実験だ。


 実のところ、まださきほどの飢餓感に襲われているわけじゃないが、それでもかなり腹が減っているのは事実だ。

  さっきまるっと一体平らげたあとばかりだというのに、一刻も早く何かを腹に収めたいという気持ちがある。


 よし。


「……はぐっ」


 目をつむって、肉の端っこの方を囓り取ってみた。


 もにゅ……もにゅ……


 …………。


「……まだ泥臭いな」


 口の中に、またもや沼や泥を思わせる臭気が満ちあふれる。

 だが、生で口に入れるよりは、はるかにマシになっているようだ。

 松明の炭や煙のお陰でかなり臭みが抑えられているのも大きい。


 腹一杯食べたいとは思えないが、我慢できないレベルではない。

 生のときのように噛み切れないわけではないし、臭みの中に、肉の旨味のようなものもわずかだが感じ取れる。


 俺はちびりちびりとだが、松明に刺した肉を食べきった。


 《ステータス:貪食  魔物の力を取り込み中……残り49.99%》


「よし」


 ほんの少しだけだが、数字が減った。

 減少はごくわずかだが、何かしらの調理方法で味の改善ができることが分かったのは大きい。

 ということは、調理方法次第でなんとかなるかも知れないな。

 希望が湧いてきた。

 よしよし。


 魔素の影響については、特に感じられないな。

 『猛毒無効」とかいうスキルを習得している最中らしいが、そんな状態でも効果があるのだろうか?


 これが、今の俺の状態によるものなのか、それとも他の要因なのかは今の段階では分からないな。

 検証が必要だが、自分の身体で毒耐性やら毒無効のスキルを試すのはちょっと気が引けるな……


 もしかしたら、皆が忌避していただけで、魔物肉はきちんと調理すれば無毒だったりして、案外イケるものなのかも知れない。


 どういうわけか、俺の身体はあれだけ大量の肉を食べたのになんともない。

 大蛇と戦って勝った時点で、普通じゃないのは確かだが……

 というか、あれだけの巨体、一体俺の体内のどこに消えたんだろうか。

 謎だな。


 謎といえば、大蛇どもがどこからこの広間に入ってきたか、分かった。


 見れば、俺の落ちてきた水場が消えていた。

 あの包丁を手に取ったからかは分からないが。

 元々そういう仕掛けだったのかもしれない。


 いずれにせよ、水場の水位がさがったせいで、元々の出入り口が現れたのだ。

 通路はところどころ天井が崩壊している箇所があったが、なんとか人一人がくぐり抜けられそうな高さはある。


 蛇の身体なら、特に問題なく侵入できただろう。

 あとで、出入り口はなんとかする必要があるな。

 際限なく魔物に侵入されるのはあまり気持ちのいいものじゃないからな。


 話を戻そう。


 結論からいうと、大蛇の肉は耐えがたいレベルで泥臭い。

 まずは、この臭みをどうにかする必要がある。


 一般的に、肉の泥臭さを消すには、食材が生きたままの状態で、何日か絶食させておくのがいい。

 だが、この大蛇はすでに仕留めてしまったあとだ。

 だからその方法は試せない。


 となれば、あとはハーブの類いか。


「……そう都合よく生えてたりはしないよなぁ」


 まあ、遺跡の大広間だからな。

 雑草の類いすら生えていない。

 祭壇や壁面彫刻はさきほどの戦闘で壊れてしまったが、もともとパレルモはキレイに清掃していたようだし。


 ……ん?


 そういえば、パレルモって、俺が大蛇の攻撃からかばったあと、どうなってたんだったかな?


 激しい戦闘とそのあとの飢餓感のせいで、すっかり頭から彼女のことが抜け落ちていたな。

 まあアイツどう見ても人外だし、多分大丈夫だと思うが。


 ……一応、様子見ておくか。


 俺はパレルモが転がっていった先の、祭壇の裏に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る