第24話 シロ、自覚する

 わらわと茜の生活はそう長いものではない。わらわの生きてきた年月を考えれば、出会ったばかりと言っても過言ではない。

 しかし、今となっては人との関係において、時間など関係ないのではないかと思える。茜はいつでも朗らかで、柔らかで、笑顔を絶やさない。わらわの全てを知って、わらわの傍にいてくれる。そんな茜を好きにならないはずがなかったのだ。


「しーろー、んふふ」


 わらわを抱きしめて幸せそうに笑う。そんな茜の笑顔を見ると胸が温かくなる。

 今までただの猫として可愛がられてきた。沢山の人間がわらわを可愛がった。じゃが、それはただの猫であり、吸血鬼のわらわではない。

 吸血鬼のわらわに茜は笑顔を向ける。抱きしめて、温めてくれて、一緒にご飯を食べて、楽しそうに笑ってくれる。それを思うだけで、わらわはどうしようもなく幸せな気分になる。


 今までも満ち足りていたと思っていた。平凡なただの猫として可愛がられること、十分幸せだと思っていた。だけど、全然足りなかった。

 茜と一緒にいる幸せを実感してしまうと、もう、なかった頃には戻れない。


「さーて、じゃ、元気もらったしお仕事頑張るね」

「んにゃ」


 朝からさんざんわらわを抱きしめてから、茜は気合をいれてパソコンの前に座る。そんな茜の膝に、わらわは身を滑らせる。

 ほんの最近茜から頼まれてそうするようになったはずなのに、もはやわらわは自分がそうしたいからしている。


 こうして茜と絶えずくっついて過ごしていると、弱くなった自分を自覚せざるをえなかった。もう言い訳なんてできない。離れる覚悟なんてとっくに砕けていた。


 茜とずっと一緒にいたい。もし茜が嫌がっても、泣き落としてでも一緒にいさせてもらいたい。プライドなんか元からないけれど、茜の為ならそうしたいと思う。もっともっと、好かれる様に努力をしたい。

 そう思うが、どうすれば好かれるのかよくわからない。猫としてなら、わらわは黙っているだけで好かれてきた。じゃが、吸血鬼として、わらわとして好かれるのはどうすればよいのか、とんと見当がつかない。


 うぬぼれが許されるなら、茜は相当わらわが好きじゃ。好き好きめちゃくちゃ言われておるし、人の姿でも猫っ可愛がりされておる。だからこそ、どうしてかわからない。

 命の恩人だからと言うなら、もう少し敬意や遠慮があっていいだろう。猫として愛してくれていたからこそ、人としての姿は距離感が変わっても仕方ない話だ。わらわの何をそんなに好いてくれているのだろうか。


「んふふ」


 茜はわらわを一撫でしてから、楽しそうに仕事を始める。いてくれるだけでいいとでも言いたげに。


 こんな日々が続けばいい。そう思っていると、茜がついに念願の収益化? を果たしてから数日後、茜は珍しく物憂げな顔色をしておった。

 今までどうなるか目途も立たなかった時は元気じゃったのに、いざ順調になると不安になるとは、小心者な面もあるのじゃな。

 なんというか、普段は意識せぬがやはりまだ年若い娘なんじゃな。可愛らしいところもあるではないか。


「……シロさん、お願いがあるのですが」


 などと思っていると、なにやら神妙な顔で何か言い出した。前回、お願いと言いつつ膝に乗って、という内容だったので、また大したことではないだろう。

 と思いながらも促すと、茜はこびをうるようにわかりやすく笑みを浮かべながら遠慮がちに口を開く。


「えへへ、そんな優しいシロだから言っちゃうのですが、その、ちゅーしてもいい?」

「にゃあっ!?」


 が、予想外すぎて思いっきり驚いてしまった。


 は? ちゅ、ちゅーしてもいい? そんな、軽いノリで。口づけを求めるとか、そんな、は? お、落ち着け。茜の気持ちはわかっている。茜はわらわが大好きじゃから、つまり、そう言うことで、これは、告白だ。

 よ、予想外だった。もちろん好意を感じて心地よく感じていたが、純粋に友情と言うか、家族と言うと面はゆいがそう言うプラトニックなものだと思っていた。

 だけど考えてみれば予想しておくべきだったのだ。普通の友情で、あんなに毎日好き好き言う訳がなかった。茜は普通にわらわに恋愛感情も込みで好きでずっと気持ちを伝えてくれていたのだ。


 考えたこともなかった。だけど考えてみれば吸血鬼と明かしても一切好意が変わらなかったのがおかしかったのだ。人としての姿を見せて、猫の時と同じということはだ、人の姿を見せた時に一目惚れされてしまっていたのだろう。それなら吸血鬼であっても猫であっても態度が変わらないのも納得だ。


「あ、あの、もちろん無理強いしたいわけじゃなくて、その、シロがすごーく可愛くて、だーい好きだから、その、ちょっとちゅってしたいなって言うか。その、愛しさの表現と言うか」

「……」


 思わず返事ができず固まってしまうわらわに、茜はそう焦ったようにしながら言い訳をする。無理に恋人になりたい、というのではないようだ。ただ本当にわらわが好きだから、もう少し深い関係になりたいと言うことなのだろう。

 なんという、いじらしい女なのか。おおざっぱで能天気なばかりかと思っていたが、恋情においてはこのように奥手で健気な態度を見せるとは。


 きゅう、と胸がしめつけられるようだった。太陽のような、曇ることのない温かな人だと思っていた。それがこのように、愛らしいことをされると、わらわはそのような気はなかったとはいえ、思うところがないわけがない。


「べ……別に、構わんぞ」


 だからわらわはそう言った。恋人、などとはとても考えられぬ。茜のことは好きだ。愛おしいとも思う。じゃけど、わらわはそのような感情と縁遠く生きてきた。恋人のような関係になるわらわのことが想像できない。

 それでも、茜が少しだけと言うなら、それに応えたいと言う気持ちはあった。恋人にはなれないけど、気持ちを受け止めるくらいはできる。


「えっ!? ほ、ほんとにいいの!?」

「耳元でうるさいのっ! 聞き返すでない!」


 茜は自分から言いだしたくせに驚いていて、聞き返されることで自分の発言が恥ずかしくてついそう怒鳴ってしまった。

 でも茜はそんな大人げないわらわにも嬉しそうにしつつ、それでもさらに、本当にいいのかと確認してくる。

 自分だって告白なんて照れくさくて勇気を出しただろうに、連れない態度をとってしまうわらわをさらに気遣う茜に、わらわは己も好きだと言ってあげたくなって、だけどそれはとても恥ずかしくて、ただ精一杯の素直な気持ちを伝える事しかできなかった。


「別に、我慢などしとらん。驚いたが……嫌ではない」

「し、シロぉ……嬉しいっ。大好きっ。シロ好きっ」


 感激したように茜はわらわを抱きしめ、後頭部にキスをする。その遠慮がちで健気な愛情表現に、わらわは心臓がいつもより早く動き体が熱くなり、顔が赤くなってしまうのを感じて、茜の顔が見れなかった。









 わらわは自分の気持ちがわからなかった。茜の気持ちに伝えたい気持ちはあった。しかしわらわはできれば茜とずっと一緒にいたい。なればこそ、茜と恋人関係になってしまうと、喧嘩したり別れてしまうような、そんなことも起こりうるのではないか。そうも思ってしまう。

 そもそも、わらわは茜をどう思っているのか。好きは好きと言っていい。それはもう認める。それに茜からの思いを知ってからはキスをされたりする度にその思いを感じて、なんじゃかむずがゆいような、嫌じゃない気持ちになる。

 恋愛感情かはわからないけれど、恋人になってこれ以上茜から愛されると言うなら、それはそれでとても幸せな事にも感じてしまう。


 それでもやはり、そう簡単に恋人に、などとは考えられなかった。関係がかわってしまうことは恐ろしかった。今が幸せであるほど、ずっと、もっともっとずーっと、何百年と茜と共に居たいと、そう望んでしまうから。

 そんな悩んでいる間にも、時間は待ってくれなかった。


 猫であったなら時間は無限のようですらあったのに、茜といるとそうは言っていられない。茜の妹君がやってきたのだ。


 彼女の存在は何となく聞いていたが、結果、妹どころか二人の両親も含め、家族で感謝をされて受け入れてくれるなんて思いもしなかった。

 茜は変わり者と思っていたが、家族もまた変わり者だった。わらわのせいで茜は人ではなくなったのに。吸血鬼なんていいものではないのに。助けてくれてありがとうと、わらわに頭をさげるのだ。変わった娘を、疑いはしたが、信じてしまえば受け入れ変わらぬ愛を維持していた。

 

 時代の流れと言うものはあるのだろう。昔ほど人は怪異を恐れなくなったのかもしれない。だけど現代の人間が皆こうだとも思わない。きっと、茜の家族は、その家系は、みな大らかで愛情深い者だったのだろう。

 そう思うと、自分もその中に入れてもらえたようで嬉しくて、そして同時に、そんな彼らの娘を人でなくしてしまったことが、申し訳なかった。もちろん、誰もそうは言わない。茜本人も、全く気にしていない。じゃが、わらわがその一因であることは間違いないのじゃ。


 それを改めて、後悔させられる。いつまでも気にしても仕方ないとは思う。これから共に過ごすからこそ、わらわが気に病んでいては茜も気をつかうじゃろう。

 表には出さないようにして、日々を過ごす。茜は鈍いのか全く気付いていないようだった。


 生放送もした。相手のコメントによって話すことが変わる生放送はなれないが、茜が楽しそうなのでわらわも楽しい気分になるし、目に見えてお金がもらえるのはやる気につながる。

 それはよかったが、気になることがあった。

 最初に調子に乗った茜が、投げ銭してくれた者に愛してる、などと軽率に愛を叫んだのだ。


 画面越しで顔をあわせたこともなく、本名も知らない、ただのリップサービスだ。お金をもらうための愛想。わかっているのに、嫌な気になってしまった。

 わらわがいるのに、他の者に愛してるなどと。なんて、そんなことを感じてしまった。


 いくら人間関係や恋愛に疎いわらわでもわかる。こういうのは、嫉妬と言うのだ。

 思わず注意すると、茜は笑って、わらわがを一番愛してるなどと言うことを言う。そんなこと、こんな、衆目環視の中で言うことではない。そうは思うが、嬉しい、そう感じてしまう心は止められなかった。

 それから平静を装い、なんとか無事生放送も終わった。じゃが、わらわはとっさにでた自分の本音に、自分でも少し戸惑っていた。


 そんなわらわに、茜はにんまり笑った。


「今日、一緒に悪いことしない?」


 わらわはその笑みにドキドキしてしまって、もはやこの思いは手遅れなのではないか。そんな予感に襲われた。

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