第四十二話 金剛再び

 薄珂と立珂の自宅はできるだけ涼しくなるようにしている。立珂は羽に熱が籠り汗疹になりやすいからだ。

 外に出る時は窓に日除け用の布をきっちりと張り、在宅中は全ての窓を開けて風通しを良くする。木々に隠れているので家自体が熱くなることはほぼ無いが、打ち水をすることも忘れない。

 一番良いのは氷だ。氷が手に入る時は必ず立珂の傍に置いている。これが一番ひやりとしてとても涼しい。

 それと同じような涼しさを感じて、薄珂は意識を取り戻した。


「う……」


 身体を起こすと頭に痛みが走った。

 きょろきょろと辺りを見回すと、天井も壁も土で洞穴のようだったが格子戸の扉がある。

 そのまましばらくぼうっとしていたが、次第に何があったかを思い出してきた。


(そうだ。水汲んでたら殴られたんだ。家で物音がして……)


 倒れる前に、家の中で何かが割れるような音が聴こえた。家には立珂がいたはずだ。


「立珂!!」

「うるせえな。ここにゃいねえよ」

「何――……え?」

「よう。久しぶりだな」

「金剛……!?」


 声の主を振り返ると、そこにいたのはかつては父のように慕い、しかし裏切られ宮廷に逮捕されたはずの金剛だった。


「どうしてお前が! 掴まったはずだろ!」

「出してもらったんだよ。こいつにな」


 こつんと足跡が響いた。金剛の後ろに見えたのは金剛の仲間ではありえない男の姿だった。


「開口第一声が弟の名とはさすが薄珂君」

「……孔雀先生?」


 金剛と並び立ったのは、金剛が逮捕される決定打となった傷を負わせた孔雀だった。

 里を出た今でも変わらず良くしてくれていて、どれだけ孔雀に助けられたか分からない。薄珂と立珂が手放しで心を許せる数少ない相手だ。

 けれど孔雀は目を細めてくすくすと笑い見下ろしてきた。


「脱獄させてくれたのはこの先生様だよ」

「嘘だ。先生は金剛から俺達を守ってくれた」

「こいつとは仲間じゃありませんよ。私は有翼人売買組織の頭目に声を掛けて頂き参加することにしたんです。今回は利害の一致で協力してるだけ」

「まさかもう立珂を売ったのか!?」

「金の生る木を売る馬鹿はいません。慶都君がこっちの鷹獣人をこてんぱんにしてくれたおかげで二人とも宮廷に保護されましたよ」

「……そっか、慶都も無事か」


 薄珂はほっと安堵のため息を吐いた。

 立珂が慶都に命を救われたのはこれで二回目だ。それでも慶都は驕ることなく、立珂と過ごす時間を減らしても学舎で勉強を続けてきた。その努力が立珂を守ったのだ。


(問題は俺だ。天藍と護栄様が助けに来てくれるまでここに留まらないと)


 殺さずにつれて来たのなら売るつもりなのだろう。ならここから移動してしまう可能性がある。

 他にも鳥獣人がいるのなら飛んで移動するかもしれない。そうなれば追いかけてくるのは難しいだろう。

 だが薄珂にはもう一つ懸念があった。

 鳥獣人は捕まえても利用できる場面が少ない。それを一度捕まった蛍宮という大国を敵にしてまでやるとは思えないのだ。


(俺を人質に天藍を呼び出すんだろうな。じゃなきゃ少しでも遠くへ行くはずだ。二足歩行で移動できる距離はそう長くない)


 鳥獣人なら追い付けない距離を飛んで逃げられるが、孔雀は人間だ。

 金剛が獣化しても象はそこまで足は速くないうえ、大きすぎる足音と地響きで居場所が分かってしまう。陸最強と言われてもその力は数が揃ってこそ最大限発揮されるものでもある。単数で暗躍には不向きなのだ。

 金剛と孔雀は薄珂が何を考えているとも思っていないのか、笑いながらのん気に話をしている。


「まあそっちの都合はどうでもいい、俺は薄珂さえ手に入ればそれでいいんだ」

「え? 俺? 俺が欲しいの?」

「できれば皇太子殿下は消しておきたいですねえ」

「できれば?」


 薄珂は眉をひそめた。

 その言い方は天藍が薄珂のついでのように聞こえる。では今ここに留まっているのは天藍を呼び出すためではないということだ。

 ならばやはり売る目的で薄珂を捕まえたのだろうが、しかしそれならこんなのんびりと洞穴でお喋りをするとはとても思えない。


「よく分からないけど、天藍は殺せないよ。護栄様がいるんだから」

「どうかな」


 金剛はくくっと笑って左を見るように促してきた。

 視界を左へ動かすと、他にも格子戸がいくつかあった。どれも洞穴に閉じ込められるようになっているようだ。

 しかし薄珂はその一つを見て目を疑った。一人の男が倒れている。それは今まさに名を呼んだ護栄だった。


「護栄様!? 何で! 護栄様に何をしたんだ!」

「私がお連れしたんです。金剛の牢の鍵を出して頂いたついでにね」

「そんな……!」


 そこにいたのは実質蛍宮の全てを握ると言っても良いであろう、天藍の絶対的な守護者である護栄だった。

 護栄さえいれば天藍に負けはない。立珂も守られる。

 けれどその護栄までもがこの二人の手に落ちたとなると薄珂の事情も大きく変わってくる。


(落ち着け。逃げるには絶対に獣化が必要だ。でもこの狭さじゃ全身獣化はできない。やるなら部分獣化だけど正気を保てるのは数秒だ。なら爪で牢を壊してすぐ人間に戻って、外に出たら全身獣化で飛ぶ。それなら護栄様を連れて逃げられる。問題は出口だ。探しながら逃げられるかどうか……)


 薄珂は焦りつつもどうすべきかを必死に考えた。

 まさか護栄が掴まることがあるなど思ってもいなかった。焦りが募るが、それを見透かしたように孔雀はにやりと笑い一歩横に立ち位置を変えた。


「あちらをごらんなさい」


 孔雀は薄珂と向かい側にある格子戸を指差した。

 横並びにいくつか並んでいるが、その全てに誰かが入れられている。そこにいるのは全員薄珂にも見覚えのある人たちだった。


「……薄珂? そこにいるのは薄珂か」

「長老様!? みんなも! 何でここに!」

「いつまでもあんな餌場に残ってるなんて馬鹿じゃねえの」


 捕らえられていたのは以前薄珂が身を寄せていた獣人の隠れ里の面々だった。

 長老と他にも子供が数名が泣きべそをかいている。


(この人数を爪で掴むのは無理だ……)


 しかも薄珂は獣化が得意ではない。立珂を掴んで飛んだ時もどれくらいの力で握ればいいのか分からず苦戦したのだ。

 それなのに身体の大きさが違う者を何人もいっぺんに掴むのは、できたとしても圧死させる可能性もある。かといって緩く掴むと途中で落とすことも考えられる。

 一気に窮地へ追い込まれたが、金剛は何故か椅子に腰かけた。


「さあて。役者が揃ったところで吐いてもらおう。牙燕はどこだ!」

「……誰?」

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