第四十一話 薄珂失踪
深夜、宮廷の医局は大騒ぎだった。
平穏なはずのこの国で、一人の少年が裂傷を負い血だらけで運び込まれたのだ。
「慶都!! しっかりして!!」
「だいじょうぶだ……立珂ははなれてろ……血のにおいがうつる……」
医局に着いた天藍は呆然とした。
寝台に横たわり手当を受けているのは慶都だ。その傷は明らかに戦闘によるもので、慶都の短刀も血で濡れていた。慶都を抱きしめる立珂の服も手も慶都の血で染まっている。
しかし一番異様なのは薄珂がいないことだ。立珂がこれほどの状態になっているのに傍にいないなどありえない。
「一体どうしたんだ。薄珂はどうした」
「天藍! 薄珂がいない! 薄珂がいないの!」
「何だと!?」
「急に人が襲ってきたんだ! 慶都が守ってくれたんだよ! でも薄珂がお水汲みに行ったまま帰ってこないの! どこにもいないの! なんで、なんでえ!?」
「くそ……俺が連れていかれるべきだったのに……」
「そんなこと言わないで! 慶都が無事でよかったよ!」
「落ち着け立珂。薄珂の獣種は強い。最悪なことにはなりはしない」
「きぃーってなっちゃったら分からないじゃないかっ! 天藍が鳥獣人を隠してるって噂があるんだ! だから連れて行かれちゃったんだあ!」
立珂は、わああっと声を上げて泣き叫んだ。胸を割くような悲痛な声と血まみれの姿には駆けつけた莉雹も顔を真っ青にしていた。
薄珂が自ら望んで傍を離れることなどあり得ない。例え連れ去られても獣化して戻ってくるだろう。
それでも戻ってこないのなら、獣化もできない状態に追い込まれている可能性がある。
敵の狙いは分からないが、連れ去ったということは殺すことが目的ではないだろう。
「大丈夫だ。必ず俺が探し出してやる。それまで宮廷で待っていてくれ」
「俺も! 俺も薄珂を探しに行く!」
「慶都。お前の任務は立珂を守ることだ。立珂の心を休めさせ健康を保つ最重要任務。これはお前にしかできない」
慶都はぐっと唇を噛んだ。顔は悔しさが溢れているが、その目は決して何も諦めてはいない。
「敵の根城は宮廷から西です! 立珂を襲ったのは鷹獣人一人! 奴は西へ向かって飛んで行った!」
「攪乱のため違う方へ行った可能性もある。限定するのは」
「絶対に西です! 獣化した奴の両足を切りました。鷹は自分で手当てができないから人間になる必要がある。でも人間になると獣で負った傷はどこに出るか分からない。だから奴は人間にもなれない。絶対に手当てしてくれる仲間のいる場所へ戻る!」
「ほお……」
獣人は人間と獣の姿は形状も大きさも全く違う。一体どういう原理で姿が変わるのかは有翼人の羽同様解明されていないが、細胞から形状が変化するんだろうと言われている。詳しいことは誰にも分からないが、とにかく体の大きさが変わる。
慶都が切ったのは足だとしても、人間になった時に怪我をした細胞が首に移動してしまったら死に至る場合もある。
だから獣人は獣の姿で暴力沙汰を起こすことを好まない。それだけに獣の能力を活用した犯罪対策というのは後回しになり、今回はまさにそのつけが回って来たのだ。
「奴の血が滴ってるのを見ました。血痕を辿れば根城に着く。高度も低かったから目撃してる人もいるはずだ!」
「立珂を守りながらそれを考えていたのか」
「本拠地不明の先遣隊に出くわしたら殺さず追い返せ。玲章様に教わりました」
おお、とその場の全員がどよめいた。さすが慶真様のご子息だと感嘆し、軍服を着用している数名は即座に走り出した。
「よくやった慶都。後日褒章を与えよう。薄珂が戻るまで立珂を守れ!」
「はい!」
天藍は慶都に一礼し、泣きじゃくる立珂を撫でて医局を出た。
既に捜索の準備は進められているようで、侍女は立珂を守らなくてはと彩寧の指揮で部屋の用意を始めている。
宮廷にいれば慶都も立珂もこれ以上害されることなどありはしない。
「護栄を呼べ! 捜索を始める!」
「そ、それが……」
「どうした。護栄はどこだ」
職員が皆ざわざわと不穏な空気を漂わせている。顔は真っ青で、どうしようどうしようと震えている者すらいる。
すると軍服を着た一人の青年が前に出てきた。殴られたのか顔は痣ができて晴れ上がり、服はあちこち血まみれだ。
嫌な予感がする。
「護栄はどうした」
怪我だらけの青年は一枚の服を差し出した。それは宮廷文官の規定服だ。しかしべっとりと血が沁み込んでいて、あちこちが切り裂かれている。
「孔雀医師の手引きで金剛が脱走。護栄様を連れ逃走中です」
「……何だと?」
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