終 新たな生活

 移住を決めてから数日した今日、薄珂と立珂は天藍に連れられて宮廷内の一室にやって来ていた。

 室内は壁も床も家具も全てがきらきらと輝いている。そのうえ天幕どころか里の小屋すらすっぽりと入ってしまいそうなくらい広い。


「ここがお前たちの部屋だ。好きに使え」

「こんな広いの? もっと狭くていいんだけど」

「これが一番狭い客室なんだよ」

「規模の感覚が違いすぎるんだけど……」


 薄珂は天幕を張れればそれでいいと思っていた。それがまさかこんな大きくて綺麗な部屋を与えられるとは思っていなかった。

 呆然と立ち尽くしてしまったが、立珂も同じようにぽかんと口を開けて立ち尽くしている。


「二人とも寝台に座ってみろ。ふかふかだぞ」

「え、これ寝台なの? この布の塊?」

「ちゃんと寝台だよ。いいから座ってみろ」


 天藍が指差した先には大きな白い布が置いてあった。余りにも大きくてこれが何なのか分かっていなかった。寝台と聞いても呆気にとられて、天藍はそれを嬉しそうに笑いながら立珂を抱いて布団に座らせた。

 だが座った途端、立珂はころんと転がり布団にずぶずぶと埋もれていった。


「んにゃー! んにゃっ、んにゃっ、んにゃっ!」

「立珂! うわっ!」


 埋もれて身動きが取れない立珂を助けようとしたが、手を付いた途端に薄珂も埋もれて動けなくなった。

 二人でもごもごと必死にもがき、体験したことのない状況にひしっと抱き合う。二人ともすっかり髪がぐしゃぐしゃだった。


「ははは。慣れろ慣れろ」

「んにゃぁ……」


 立珂はやはりぽかんと口を開け、薄珂はその愛らしい姿に魅入ってしまう。しかしその時、すっと白く美しい指が立珂の髪に触れた。


「まあまあ。御髪が大変なことに」

「う?」


 柔らかな声に振り向くと、白い指の主は若い女性だった。きちんと結われた髪は艶やかで、長い睫毛にうっすらと上品な化粧をしている。

 見たことの無い整った顔立ちと優し気な雰囲気に薄珂も立珂も思わず見とれてしまう。


(絵本の天女みたいだ)


 立珂も同じことを思ったのか、おひめさま、と小さくこぼしている。余りにも美しい微笑みに照れていると、その後ろからまた穏やかな声が聞こえてきた。


美星みほし。ご挨拶が先ですよ」

「申し訳ございません。あまりにも愛らしくてつい」


 美星とよばれた天女のような女性の後ろにいたのは壮年の女性だった。

 とても上品で柔らかな微笑みはどこか白那を思い出させる。


「紹介しよう。お前たちの世話役だ」

「侍女長の彩寧さいねいと申します。これよりお二人のお世話をさせていただきます。よろしくお願い申し上げます」

「侍女の美星と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます、薄珂様、立珂様」

「「様?」」

「お前たちは俺の客だからな。職員にとっては敬うべき相手なんだ」

「そんな。普通でいいよ。別に凄い人じゃないから俺達」

「殿下がお認めになられたのですから『凄い人』なのですよ。お二方に敬意を示さぬは殿下への無礼。誠心誠意務めてまいります」


 彩寧と美星は深々と頭を下げてくれたがこの挨拶の重要性は分からなかった。

 分かるのは立珂が穴の開きそうなほど美星を見つめていて、これが女性に対して失礼であることくらいだ。薄珂は慌てて立珂の手を引いたけれど、美星はにこりと微笑み立珂の髪を整えてくれる。


「立珂様はお洒落がお好きだとうかがっております」

「大好き。お洒落専門店があるんだって。行ってみたいんだ」


 立珂が大きく頷くと美星はまたにこりと微笑んで、すすっと音もなく歩き部屋の片隅にある戸棚を開けた。中にはたくさんの服がかけられている。


「わあ! お洒落専門店だ!」

「お洒落専門店からいくつか持って来ただけでございますよ。よろしければご覧になりませんか?」

「見る見るぅ!」


 美星に照れていたことはどこかへ飛んで行ったようで、立珂はびゅんっと服に飛びついた。


「こら立珂! 駄目だ!」

「よろしいですよ。皆一目で立珂様に魅了され、我先にと用意したのです」

「立珂のために? わざわざ、あんなにたくさん?」

「薄珂様のもございますよ。お揃いがお好きだとうかがっております」


 彩寧も戸棚から服をいくつか見せてくれた。そのどれもがお揃いで二着用意されていた。


「いいの? 凄い高そうなんだけど」

「いいさ。その分は羽根で支払ってもらってるからな」

「ああそっか。でも羽根足りる? 全部抜くのはちょっと」

「ははは! この程度は一本あれば十分」

「そんななんだ……凄いな……」


 ここで生活する条件は立珂の羽根を渡すことだ。羽根の金額に見合う生活をさせてもらう上で優先したのは当然立珂の望む生活だ。立珂がお洒落をしたいと言ったので色々揃えてくれたのだろう。

 それ以外に望む物と言えば腸詰くらいだが、具体的な要望を出したものが一つだけある。


「警備ってどうなってるの?」

「もちろん専属警備を付けている。あれだ」


 天藍が窓の外に視線をやった。そこには二人の男性が立っている。筋骨隆々で、腰に剣を下げている姿は勇ましい。


「常に二人はお前たちを守っている。宮廷内にも常に警備があるから心配ない」


 薄珂が望むのは立珂の安全だ。最大の懸念である警備が整っていれば他に必要な物は無い。


(これなら安全だ。それに世話役が女の人なのも良い。いざとなれば……)


 ちろりと横目で彩寧と美星を見た。二人とも立珂と遊んでくれていて、まるで姉と母のようだ。

 優しさに満ちた光景だが、薄珂が考えたのは彼女達が敵だった場合に対処できるかどうかだ。警備してくれている兵は獣化しないと難しいかもしれないが、美しい世界しか知らないような穏やかでふんわりとした彩寧と美星なら素手でもどうにかできるだろう。

 そんな不穏な事を考えていると、こんっと天藍に小突かれる。


「攻撃は最大の防御だ。でもその前に」

「敵か見極め味方を増やす、だね」

「ああそうだ」


 馬鹿なことを考えているのは自分でも分かっていた。それでも本当に信用できるかどうかを見極めるまでは保身も怠ることはできない。

 けれどそんな必要は無いと思うほどに立珂は笑顔だった。すっかり彩寧と美星に懐いたようで、お洒落談議に花を咲かせている。

 彩寧も美星も背に羽は無い。人間か獣人かは分からないが、少なくとも有翼人ではない。


「蛍宮は獣人が多いんだっけ」

「ああ。怖いか?」

「分からない。でも世界で有翼人はまだ異端なんだよね」

「そうだな。人と獣の歴史しかないこの世において有翼人が争いの種になるのは事実だ。だが俺は有翼人が種族の境界とは思わない。異種族であっても絆を築けることはお前と立珂が証明している」


 薄珂は立珂が大好きだ。種族なんて考えたことも無かった。可愛くてたまらない弟で、あの笑顔を見るために生きている。

 けれどその笑顔を見せる相手はもう薄珂だけではない。


(里で色んな人と出会った。これからもっと出会うだろう。人間にも獣人にも有翼人にも)


 彩寧と美星は幸せそうに立珂と遊んでくれていた。

 有翼人ではないけれど、有翼人の立珂と仲良くしてくれている。


「お前たちの絆の力を貸して欲しい。この世を全種族平等にするために」


 天藍は握手を求めるように手を差し出してきた。


(俺は世界なんて興味はない。でも立珂が幸せに生きるには世界を知って共生しなくちゃいけないんだ)


 薄珂は天藍の手を握った。立珂の小さな手とは違う、大きくてごつごつとした手だ。


「言っとくけど、最優先は立珂の幸せだからね」

「分かってるよ」


 天藍はくすくすと笑い立珂を見た。立珂は幸せそうに笑っている。綺麗な生地に包まれて、これで何を作ろうかと考えている。彩寧と美星も意見を出してくれているようだ。


「共に境界の無い国造りを始めよう」


 薄珂には国造りなんて難しいことは分からない。

 でも立珂が笑顔でいられるのはとても良いことで、そこに天藍がいるのはとても嬉しいことだった。

 それが揃ってるこの国は、すでに大切にしたい場所になっていた。

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