第二十六話 未来の始まり

 翌日、予防接種を受けた薄珂は熱を出した。飲み薬も処方されたが三日ほど発熱が続き、孔雀が言うには体調が整ってきているところだという。

 四日目になると起きれるようになり、五日目には普通に食事ができるようになった。六日目になった今日、ようやく寝台から降り立珂を抱っこして歩けるくらい元通りになった。

 そして初めて自分達のいる場所が蛍宮宮廷であることを認識し、皇太子の来賓という扱いで招かれていると聞かされた。

 それがどれほどの出来事かは分からなかった。しかし立珂が寝るのを惜しむくらいたくさんの高級生地を与えてくれて、それは凄まじい権力が働いているのを感じた。


「ぱんぱかぱーん!」

「可愛いぞ立珂! 今日も立珂が一番可愛い!」

「立珂! 今度俺にもお揃い作ってくれ!」

「駄目だ! お揃いは兄弟の俺だけだ!」

「何でだよ! 決めるのは立珂だ!」


 有り余る生地で立珂は次々に服を作った。腸詰も色んな種類を揃えてくれて、立珂の笑顔はどんどん輝きを増していった。

 めいっぱい遊んでお腹が膨れたら慶都と一緒にお昼寝だ。白那の子守歌で心地良く眠る様子は平和そのもので、ぷうぷう眠る立珂に見惚れているとこつんと後頭部を突かれた。


「具合はもういいのか」

「天藍。おじさんも」

「立珂は寝てるのか。じゃあちょうどいい」

「何が?」

「お前達の父君についてだ。座れ」


 天藍は椅子に腰かけると、こっちに来るようにと机をとんっと突いた。

 あれから、天藍は父が蛍宮へ来ているかどうか探してくれていた。入国してくる者は多いようだったが全て記録されているという。


「人間で名は『薄立』だったな」

「う、うん」

「残念だが入国履歴には無かった。襲われたという経歴持ちもいなかった」

「……そう」


 薄珂の胸にずきりと痛みが走った。

 きっと諦めなくてはいけないことは分かっていた。それでも充実した調査と捜索ができる天藍に一縷の望みを抱いていたが、告げられた言葉は想像と同じだった。

 自然と頭は項垂れていったが、慰めてくれるかのように天藍は頭を撫でてくれた。


「蛍宮には来てないというだけだ。死んだと決まったわけじゃない。いずれ羽付き狩りの調査で東に遠征する。望むならお前達の森も調べてくるがどうだ」

「……うん。お願い」

「分かった。どんな結果であれ必ず報告しよう」

「ん……」


 どんな結果でも。それは遺体が見つかるかもしれないという意味でもある。知りたいような希望が完全に潰えるのなら知りたくないような、そんな思いが渦巻いた。

 それを感じ取ったのだろうか、慶真はそっと抱きしめてくれた。育ててくれた父の腕とは違うけれど、自分の息子と同じように守ってくれたその腕はとても暖かい。


「これからどうするつもりだ」

「俺は蛍宮に移住したいと思ってる。でも立珂は慶都と離れたくないだろうし……」


 立珂を見ると慶都と並んで昼寝をしている。今までなら立珂がお昼寝するのは薄珂の腕の中だった。膝枕をしながらとんとんと背を叩いてやれば数秒で眠りにつき、腸詰と間違えて薄珂の指にしゃぶりつく。

 けれど今は慶都の指を咥えてにまにまと笑っている。新しい腸詰を手に入れた夢でも見ているのかもしれない。

 至福の時間を奪われたけれど、立珂が新しい幸せをまた一つ手に入れたのならそれを手放したくはない。

 けれど里にいればまた同じような事があるかもしれない。それは薄珂が公佗児だからだ。だからといって慶都一家に立珂を預け自分だけ蛍宮へ移るなんてできるはずもない。

 どうしたら良いか答えは出せなかったが、助けるように慶真が手を握ってくれた。


「私達も蛍宮へ移住しようと思っています」

「え⁉」

「正しくは慶真の復職だ。元々宮廷の軍人なんだよ」

「軍人って刑部みたいな? あ、前に蛍宮にいたことあるってそういうこと?」

「はい。あの里は色々複雑で、私は警備を条件に離籍させてもらっていたんです。でも長老様が里全員で移住をするおつもりのようでお役御免になったんです」

「やっぱり危険はあるもんね。全員一斉に来るの?」

「少しずつですね。でも準備のために先んじて一人戻ります。実は里にはもう一人軍属の獣人がいて」

「はーい! 私も復職よっ!」

「ぎゃっ!」


 全員一緒にいられるかもしれない希望で頬が緩んだが、それと同時に何かが後ろから薄珂に抱きつき押しつぶされた。

 さらりと薄珂の顔をかすめる髪からは微かに薫衣草の香りがする。


「まったく! 挨拶も無しなんて薄情ね!」


 不満げに言うその声に、薄珂は覚えがあった。慌てて身を起こすと、そこにいたのは――


「伽耶さん!? 何で!? 里は、長老様は!?」

「だから復職。私も里の警備で潜り込んでた軍人なのよ! 孫ってのは嘘」

「そんな! だって俺たちをはめたじゃないか!」

「は? 何に?」

「薫衣草畑から落ちた穴だよ! 立珂の羽根目当てで捕まえ――ようとしたんじゃないの?」

「あぁん!? 私は君らの護衛! 公佗児のあんたを運んでやったのは私よ! それを犯人扱いとはいい度胸ね!」

「いひゃい!」


 伽耶に力いっぱい頬をつねられる。しかし細い見た目から想像する以上に強い力で思わず身をよじって頬を擦る。


「伽耶さんて何の獣人? 大猩猩ごりら?」

「なんですって!? 白鳥よ! 美しすぎて狙われる白鳥!」

「その辺にしろ。大体護衛のくせに見失ったお前が悪い」

「あれは地震だったんだ。仕方ないよ」

「地震じゃない。金剛が獣化して揺らしてたんだよ」

「へ!? すごい揺れてたよ!」

「だから陸最強なんだよ。数十人集まれば島の一つは簡単に沈められる」

「うわ……」

「悪かったわよ。けど私も助かったわ。あとひと月しても尻尾が掴めなかったら私が売られて現行犯逮捕する作戦だったのよ。ほら私美しいから」

「は!? 本当に売られちゃったらどうするの!? 危ないじゃないか!」

「でしょ!?

 人でなしよねえ、皇太子様は!」

「俺の作戦じゃない。それにやらなかっただろ」

「でも最悪そうなる作戦だった」

「許可してない。やらないって」

「どうだかぁ」


 伽耶はじとっとした目で天藍を睨みつけ、薄珂にしたのと同じように頬をつねっている。それはとても親しげで、皇太子と一部下ではないように見えた。

 やけに距離の近い二人をじっと見つめてしまうが、その視線に気付いた天藍は慌てて伽耶の手を振り払い薄珂の傍に駆け寄った。


「こいつは昔馴染みだ。それだけ」

「別に聞いてないよ。ところでおじさん、あの穴なんだったの?」


 慌てふためく天藍にくるりと背を向け、他人事を決め込んでいた慶真に向き直った。


「金剛たちが作った抜け道です。どうもああいうのを勝手に作ってたみたいで」

「ああ、やっぱりそうなんだ。どう見ても避難場所じゃなかったし」

「気づいてたんですか?」

「壁つるつるなのに備蓄が無いから変だなと思っただけ。狼もやけに太ってたし、あの時に気付くべきだったよ。里で森に出入りするのは自警団だけだ」


 薄珂は全員の前に立ち、深く頭を下げた。

 あの一件で多くの人に心配をかけ里に不安の種を撒いた。それもこれも全て薄珂が狙われていたせいだ。


「俺が里を危険に晒した。ごめん」

「薄珂くんのせいじゃないですよ」

「ううん。俺のせいだ。俺がもっとしっかりしてれば……」

「あんなの子供だけじゃ無理よ。象よ? 犯罪者よ? 大人だって無理だわ。だから軍が出たんだし」


 伽耶はがしっと慶真の肩を組みばんばんと勢いよく叩いた。天藍に続いて慶真も困ったような顔をしていて力関係が見てとれる。

 伽耶はくすっと笑うと薄珂の額を軽く突いた。


「あんたの失敗は大人に頼らなかったこと! 頭は回るようだけど、まだ子供だって自覚しなさいがきんちょ」

「……そうだね。その通りだ」

「これから成長すればいいですよ。話を戻しますが、私たちは一家で蛍宮へ戻ります」

「あ、うん。それって慶都も」

「もちろん一緒です」


 薄珂は自然と笑顔になった。それなら立珂は慶都と離れることは無いし、蛍宮で腸詰とお洒落を楽しむことができる。何よりも安全で、今までのように命を狙われ行き場を無くすようなこともない。

 しかしそうなると別の問題が出てくる。薄珂と立珂は二人で生活する必要がある。家と収入が必要で、それも無から築き上げる必要がある。


(とりあえず移住してどうにかなるのかな。あんまりおじさん達に迷惑かけるのも……)


 優しい慶真が見捨てるようなことはしないだろう。けれどどこまで甘えて良いか、蛍宮での生活がどれだけ大変かもまだ分からない。

 喜び半分不安半分で考え込むと、とんとんっと天藍が机を突いた。


「提案がある。お前たち全員で宮廷に住まないか」

「え?」

「薄珂は分かってると思うが宮廷は羽根が欲しい」

「明恭だよね。取引に使うんでしょ? 羽根あげるから攻撃しないでくれってやつ」

「そうだ。もし立珂の抜け羽根を納品してくれるならお前達の生活は俺が保証する」

「家も食事も?」

「服も警備も何でもだ。羽根に見合う全てを用意しよう」 


 できすぎた話に気圧され、確かめるように慶真を見るとにこりと微笑んでいる。白那を見れば彼女も同じように微笑んで、こくりと小さく頷いてくれた。

 すると、話し声で起きたのか腸詰が食べられなくて起きたのか、立珂がもそりと身を起こした。羽が軽くなったから今では寝返りも起き上がるのも自由自在だ。

 幸せに囲まれている立珂を抱き寄せると、寝ぼけたまま薄珂の指にしゃぶりついた。いつものように腸詰を食べる夢をみているのだろう。ぽんっと指を引き抜くと、立珂はびくりと驚き目をぱちりと開けた。


「……腸詰は?」

「夜いっぱい食べような。それより相談したいことがあるんだ」

「う? なあに? 腸詰専門店? お洒落専門店?」

「違うよ。あのな、慶都はおじさんとおばさんと一緒に宮廷へ引っ越すんだって」

「う!? 慶都も!?」

「天藍が俺達も宮廷に置いてくれるってさ。俺は凄く良いと思う。腸詰も買えるしお洒落もできる。ただ立珂の抜けた羽根をあげなきゃいけないんだ」

「それでいいの? そしたら慶都とずっと一緒?」

「ああ。立珂が嫌じゃなければだけど」

「いいよ! あげる! 慶都と一緒がいい!」

「……そっか」

「慶都! 一緒だって! 一緒だよ! 一緒一緒!」


 立珂はまだ眠っている慶都を揺すり、ぺんぺんっと叩いて必死に起こそうとしている。腸詰よりもお洒落よりも慶都と過ごすことが何よりも嬉しいようだった。

 それに宮廷に住むことは薄珂にとって嬉しいことがもう一つある。


(宮廷にいれば天藍に会える)


 皇太子というのがどんな立場でどれほど偉いのか、軽率に傍にいることを願って良いのかは分からない。そう思えば慶都のように傍にいたいと叫ぶ勇気は持てなかった。思わずぐっと拳を強く握ったが、その手を天藍が握りしめてくれた。


「里に行ったのは皇太子としてやることがあったからだ。だがお前にしたこと、告げたことに偽りはない」


 薄珂の世界が変わったのは天藍が来てからだ。天藍が来なければ金剛を信じ続け、いずれ売り飛ばされ立珂と離れ離れになっていただろう。

 全てを繋いでくれたのは天藍だ。


「一緒に暮らそう。今度こそ俺に守らせてくれ」

「……うん」


 薄珂はじわっと涙を浮かべ、立珂を慶都の傍に置いて差し伸べられた手を取った。

 しかしふと気になることが浮かび上がってきた。


「そういや『天藍』って偽名? 晧月って呼んだ方がいい?」

「……お前本当にどうでもよかったんだな」

「え? 何が?」

「ったく。晧月は皇太子が対外的に使う称号のようなもので呼び名じゃない。天藍が俺本来の名だ」

「そっか。じゃあ天藍で」

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