第十六話 旅立ちの決意

 穴を調べて戻るとやはり立珂は心配して半べそをかいていた。

 孔雀の診療所まで探しに来たようで、薄珂がいなかったから混乱したらしい。慶都の薄珂を見る目線は責め立てているようで厳しい。


「ごめんな。薫衣草を採って来たんだ」

「あ! くんくん草!」

「立珂好きだろ? でもまたあんな事になったら危ないし」

「大好き! 有難う薄珂! でももう置いてかないでね。黙っていなくなっちゃ嫌よ」

「ああ。ごめんな」


 立珂を車椅子から抱き上げると、薫衣草に埋もれながら頬ずりをしてくれた。


(この笑顔さえあれば俺は生きていける)


 幸せしかない今この瞬間だけが続けばいいのに――そんなことを想って立珂の温もりに浸っていると、後ろから少し強めに頭を小突かれた。


「思ってた以上にわんぱくでしたね」

「孔雀先生!」


 振り向くと困ったように微笑む孔雀がいた。

 肩をすくめてじろじろと薄珂の怪我のほどを見る。


「ちゃんと診ましょう。膿んだりすれば大変です」

「もう大丈夫だよ」

「だめだよ薄珂! 診てもらって! 診てもらうの!」


 もうすっかり動けるようになっているのだからいいだろうと思っていたが、立珂は真剣そのものだ。それくらい心配させたのだろう。立珂が言うのなら仕方がない。


「先生、診てもらってもいい?」

「はい。じゃあ来てください」


 薄珂があっさりと言うことを聞くと孔雀はくすくすと笑い診療所へ入った。

 薄珂は立珂と並んで診察台に腰かけると、孔雀は怪我だらけの身体をまじまじと診て怪訝な顔をする。


「本当に崖から落ちたんですか?」

「うん。こんな怪我したの久し振りだよ」

「本当ですか? それにしては怪我が少ないような……」


 孔雀は黙り込んで不思議そうな顔をしていた。

 里に来た当初も怪我をしていたが、どんな経緯でそれだけの怪我を負ったかの経緯は孔雀も知らないから『よく無事でしたね』と納得してもらえた。

 だが今回は違う。実際にどういう崖でどんな怪我になるかの想定ができてしまう。


(まずい。人間ならもっと大怪我になるんだ)


 公佗児の皮膚は人間より硬いので怪我をしにくいのだが、それは隠しているので説明する事はできない。薄珂は少しだけ目を泳がせると、あはは、と誤魔化して笑って見せた。


「運が良かったよ。あの辺は木も多いしね」

「木、ですか……そうですね……」


 口では納得した単語を吐いたが疑惑は拭えていないようでぺたぺたと触診を続けた。

 このまま診察を続けられるのは危険に感じたけれど振り払うのも不自然で、どうしようか迷っていると立珂が間に割って入って来た。

 不満げに口を尖らせ、その目は薄珂に触るなと訴えている。

 それをどう捉えたかは分からないが、孔雀は苦笑いをして立珂を撫でた。


「問題無いようですね。でもしばらくは激しく動かないようにして下さいね」

「立珂が見張っててくれるから大丈夫だよ」

「見張る! ぎゅーして見張ってるよ! 動けないよ!」


 立珂はぴったりと薄珂にくっついて、すりすりと頬ずりをしてくれた。

 薄珂のいい加減な誤魔化しには騙されてくれなかったが立珂の愛らしさには誰も敵わない。

 孔雀は何か言いたげな顔をしていたけれど、諦めたのか鞄に視線を移して何か取り出した。


「頑張る立珂君にご褒美をあげましょう」

「腸詰?」

「もっと良い物ですよ。こっちを向いて下さい」


 孔雀はするりと立珂の首に手を回してすぐに手を引いた。するとその手から銀色の小さな板が付いた首飾りが姿を現した。


「入国審査が受理されました。その許可証です」

「きょかしょー! お洒落なの!」

「天藍のと形が違うね」

「これは一度しか使えないんです。私は代理人なので本物を貰えなくて、正式な物は入国の時に貰えます。さあ、薄珂君も」

「有難う」

「おそろーい! 薄珂とお揃い!」

「これはみんな同じ物ですよ」

「でもお揃いだよ! お揃い!」


 さっき睨んだことなどもう忘れたのか、はしゃいでぐりぐりと頬ずりをしてくれる。不安なことがあっても怪我が痛くてもこの笑顔があればすべて吹き飛んでしまう。

 守るべき笑顔に幸せを貰っていると、孔雀が二人の頭を撫でてくれる。


「今日はもう一つ良い報告があるんです」

「辛い腸詰!?」

「買ってありますよ。でももっと良いお話です。実は有翼人のお医者様に会ってきました」


 ぴたりと薄珂と立珂は頬ずりを止めた。

 孔雀は医者だが人間で、獣人についても学んでいる。けれど有翼人については詳しくない。それは孔雀が不勉強なのではなく、世界的に解明されていないからだ。


「有翼人のって、有翼人専門のお医者さんがいるの? いたの?」

「ええ。ご本人も有翼人なので色々な事をご存知でした」


 孔雀は床に膝を付き、薄珂と立珂の手を握り微笑んだ。


「立珂君の羽、小さくできるそうですよ」

「う!?」

「え!?」

「羽に苦しむ有翼人は多いそうです。その方はご自身で小さくしたそうなんですが、同じ施術で歩けるようになった有翼人にも会いました。それも一人や二人じゃありません」


 薄珂と立珂はぽかんと口を開けて孔雀を凝視した。

 羽からの解放と自由は薄珂と立珂が求め続けていた事で、同時に諦めていた事でもあった。驚きで声が出なかったが、孔雀がぎゅっと強く握ってくれるので現実だと実感できる。


「蛍宮に行けば施術してくれるそうです。行ってみませんか?」

「い、いく! いく! ちっちゃくする!」

「行こう! 先生すぐ行こう!」

「中継ぎの船が三日後なのでそれで行きましょう。団長と慶真さんにも相談しておかないと」


 三日後には大好きな腸詰とお洒落時よりも、最も立珂が必要とするものが手に入る。

 薄珂と立珂は突進するように孔雀へしがみ付いた。


「先生。立珂は車椅子がなくても歩けるようになる?」 

「歩けますよ。筋肉が少ないので運動と練習をしないといけませんが」

「運動すれば僕も自分の足で歩けるようになる?」

「そうですよ。腸詰も服も、何でも自分で買いに行けます」


 孔雀はぎゅっと二人を抱きしめて、ぽんぽんとあやすように背を叩いてくれた。その振動が胸に広がり、それと同時に薄珂と立珂の目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。

 ぷるぷると小さく震えながら顔を見合わせると、こらえきれずに抱き合った。


「立珂!」

「薄珂ぁ!」


 立珂はわんわんと声を上げて泣きだした。立珂はこれまで不満は全く口にしなかった。迷惑をかけまいとしているのだろう、わがままを言ってくれることも無くなっていた。

 そんな立珂の辛さが伝わってくるようだった。

 けれどそれも終わるのだ。立珂が涙を堪えることも無くなるだろう。二人はお互いを強く抱きしめ続けていたが、何かがこんっと薄珂の後頭部を小突いた。小突いてきたのは天藍だ。


「泣いてる場合じゃないぞ。蛍宮に行くなら考えることがあるだろう」


 それは『危険』についてだろう。今までぼんやりとは考えていたけれど、全く考えられていなかった事をこの一件で思い知った。


「蛍宮の警備体制ってどうなってるか教えてほしい。立珂が安全に過ごせるか知りたいんだ」

「そうだな。だが何で警備なんだ? 身を守る手段は他にもあるだろう」


 警備については今回の襲撃を受けて考えたことだった。

 恐らく里の近辺に人間がいるだろう。あの狼も手下で、隠し通路もその連中が作ったのかもしれない。

 だが自警団はそれに気付けていなかった。狼が肥えるほどの生活を許しているのだ。


「確実な手段が欲しい。そのために『お金を貰って働く警備員』が欲しいんだ」

「へえ。面白い事を言うじゃないか。何でだ?」

「公吠伝に書いてあったんだけど、明恭は傭兵を使う。でも戦う理由は明恭じゃなくて給料のためだ。だから警備員を雇いたい。俺達に世間的な価値があっても無くても守ってくれる」

「悪くないな。なら蛍宮の警備は最適だ。軍がやってるから素人とは技量が違う。そこでだ」


 天藍は背を壁に付けにやりと笑った。

 赤い瞳は灯りを反射して宝石のように輝いている。


「二人で蛍宮に移住したらどうだ。生活保護制度があるから身一つでいい」

「何それ」

「国が家と生活費くれるんだよ。仕事も探してくれるから自活もできる。それにお前たちは人間との生活を経験しておくべきだ」


 人間と聞いて立珂はびくりと震えた。立珂にとってそれは敵でしかない。

 薄珂は震える立珂を抱きしめて、立珂もぎゅうっと薄珂を抱きしめた。


「怖いか? けど考えてみろ。お前達が危険な目に遭うのはいつも人間のいない場所だぞ」

「う?」

「命を狙われたのは親子三人しかいない森で、今回手当できなかったのは孔雀先生がいないから。どっちも人間がいない時だ。なら人間との生活を経験してから決めてもいいだろう。それに人里で犯罪被害に遭うのは大体人間だ。何でだと思う?」

「う~……んにゃ~……?」

「難しいか。薄珂は?」

「……お金を持ってるから?」

「お、正解。その通りだ。じゃあその理屈で、で一番狙われないのは?」

「あ! 自活できない有翼人!」

「惜しい。正解は『生活保護受給有翼人』だ」

「え? どう違うの? 同じじゃない?」

「関係者の質。生活保護受給者は国が様子を見てる。犯罪に巻き込まれれば即判明即逮捕だ」


 立珂はやはり話の内容が分からないのか、こてんこてんと何度も首を傾げた。

 しかし薄珂は天藍の説明にひどく惹かれた。


(立珂が最も安全ってことだ! それなら常に飛んで逃げる用意だけしておけばいい!)


 孔雀や慶真がいくら安全だと言っても鵜呑みにはできない。けれど薄珂と立珂に関与しない第三者の提供を受け取るだけなら、それをどうするかは薄珂が判断することだ。そう思うと移住というのは悪くない気がした。

 そしてそれを後押しするかのように、天藍がぷにっと立珂の頬を突いた。


「それに腸詰もいっぱいあるぞ。専門店だってある」

「腸詰専門!? 腸詰しかないの!?」

「お洒落な商品専門の商人もたくさんいるな」

「お洒落専門!? お洒落しかないの!?」


 立珂は目を光らせしゅばっと天藍に飛びつき張り付いた。天藍は腰の鞄から髪飾りや首飾りを取り出し立珂に付けていく。立珂の目も輝きを増していった。


「まずは孔雀先生の買い出しに付いて行ったらどうだ。嫌だったら二度と行かなきゃいいさ」

「うんうん! 薄珂!」

「そうだな。見に行くのはいいかも」

「わあい! 腸詰専門! お洒落専門!」


 ついさっきまで落ち込んでいたとは思えない喜びようで、その笑顔を見たら薄珂も笑顔になった。安全かどうかはまだ分からないが、里を離れる選択肢が存在感を増すには十分だった。


(ちゃんと考えよう。立珂にとって一番良い選択をしなきゃ)


 薄珂と立珂の部屋は立珂の作ったお洒落な服でいっぱいだ。もはや立珂の可能性はこの里だけでは収まらない。世界を知って知識欲が生まれ、成長するにつれ表情も豊かになった。

 立珂の未来は選択肢が増え続けている。けれどそれは薄珂もだ。


(……蛍宮にいれば天藍にも会える)


 薄珂はそんな不純な考えを隠すように立珂を強く抱いた。

 立珂はまた少し太った。けれど慶都がたくさん遊んでくれるから健康的に太っていて、それは幸せを体現したように思えた。両腕で強くその幸せを抱きしめたけれど、今の薄珂の視界には天藍がほほ笑む姿も確かに存在した。

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