第十話 ひと時

 薄珂と立珂は祭りで里の住人と打ち解けたが、打ち解けた者は他にもいた。


「伽耶。これでいいか?」

「うん! 天藍以外と力あるね。兎なのに」

「普通だよ。肉食獣人と比べるな」


 獣人同士ということもあり、様々な知恵と商品を持つ天藍が受け入れられるのはあっという間だった。それに里は若い男性が少ない。若い女性の方が多く、つまり積極的に天藍に接触するのは伴侶を得たい女性達だった。


「天藍さん。夕飯うちに食べ来てよ。お酒もあるし。飲めそうな顔してるわよ」

「お酒ならうちもあるわ。年代物よ」


 女性陣はなかなか巡り合わない若い男性に目の色を変えてもてはやしていた。だがその様子をじとっと睨んでいるのは立珂と散歩をしていた薄珂だ。


「薄珂こわい顔してる」

「え!?」

「どうしたの? どっかいたい?」

「い、いや、別に」


 無自覚だった薄珂はむにむにと頬を伸ばした。立珂はこてんと首を傾げていて、無垢な視線から逃げるように遠くへ目をやった。


「そういや慶都どこ行ったんだろうな」

「お魚釣るから川行くって言ってたじゃない」

「あ、そうだったな。今日は慶都の当番だもんな」


 里は自給自足のため各家庭が協力しあって食料を調達する。

 里共有の畑を耕したり当番制で釣りをするが、車椅子の立珂には農作業も釣りも難しい。調理場に立つこともできないので洗濯や裁縫など座ってできることをやっている。

 だが薄珂は農作業等も手伝うため、立珂が一人にならないよう当番は慶都と交代になるようにしてもらっていた。


「お魚捕れてるかな」

「立珂が食べたいって言ったんだからたくさん捕ってくるぞ」

「慶都は釣りじょうずだものね! あ、あそこ天藍いるよ。天藍ー!」

「えっ!? 待て! 待てって立珂!」


 何も気付いていない立珂はぶんぶんと手を振った。女性陣も立珂の無邪気な笑顔には敵わないようで笑って天藍を送り出し、天藍はまっすぐ立珂の元にやって来てくれた。


「車椅子もすっかり慣れたな。楽しいか?」

「うん! 自分でくるくるできるよ!」


 見ててね、と立珂は車輪に手をかけえいえいと回して進んでいく。運動不足だったので腕の力は弱く、すぐに疲れてしまうがそれでも元気いっぱいの笑顔だ。

 天藍に褒められてきゃあきゃあはしゃいでいるが、それを邪魔するように慶都の声が聴こえてきた。


「立珂! 立珂立珂立珂!」

「あ! 慶都帰って来た!」

「釣れたぞ! 今日は俺が捕ったの食べるんだぞ!」


 慶都が抱えている桶には大きな魚が二匹入っている。後ろでは里の男達も桶を抱えて戻って来ていて、各家庭に分けて回っている。孔雀と天藍の分もあり、いつもは誰かしらが診療所まで持って行く。

 だが今は孔雀が留守だ。天藍は一人でどうにかしているらしいが、出入りが許されているのだから誰かの家で食べても良いのだ。


(……夕飯一緒に食べようって言ったらどうするかな)


 ついさっき女性陣に声を掛けられていたからまた今度と言われるだけだろう。そんなことは分かっているが、自然と薄珂の口はつんと突き出ていった。

 そうしてぼんやり立珂と慶都を眺めていると、突然天藍がぷにっと唇を押してくる。


「うわっ! 何するの!」

「尖ってるからつい。いい加減弟離れした方がいいぞ」

「……しない。立珂は俺の立珂だ」


 立珂を取られて拗ねていると思われたのだろう。天藍はくくっと笑うと、子供をあやすように薄珂の頭を撫でて女性陣の輪に戻ってしまった。

 その夜はなかなか寝付けなかった。

 窓から外を見れば夜更かししている大人たちの騒ぐ声が聴こえてくる。中には天藍もいるのだろう。

 何となくその灯りを見つめていたが、寝ぼけた立珂が腸詰を探し求めていたのでいつも通り咥えさせて横になった。


 目が覚めたのは里のほとんどが眠っている早朝だった。立珂も慶都一家も眠っている。

 薄珂は家の前に出て大きく伸びをして欠伸をした。やけにだるくて目をこすっていると、ふいに軽く笑う声がした。振り返ると、そこにいたのは不眠の原因だった。


「すごいあくびだな」

「天藍。何してんのこんな早くに」


 天藍の髪はぼさぼさだった。服もしわくちゃでみっともない。それに天藍は広場を背にしている。つまり広場の向こう、里の中から出て来たのだ。だが天藍の住居である孔雀の診療所は里の外だ。天藍が里の中から出てくることは無いはずだ。いつもなら。


「……誰かのとこに泊まったの?」

「ああ。昨日飲んでてそのまま」


 ぴしっと薄珂の額にひびが入った。

 天藍を誘ったのは独身の女性たちだ。里から出たい人なら天藍の存在はさぞかし魅力的だろう。

 遅くまで飲み明かしていることは想像していたが、まさか泊っているとは思っていなくて薄珂はぷんっと天藍に背を向けた。


「薄珂? 何だよ。どうした」

「別に。水汲んでくるから退いて」

「え、お、おお」


 薄珂は天藍から顔を背け必要でもない水汲みに行こうとしたが、一歩速く起きて来た慶都の母が桶を手に取った。


「薄珂ちゃん起きてたのね。天藍さんも」

「どうも」

「水なら俺汲んでくるよ。重いでしょ」

「じゃあお願いしちゃおうかしら。天藍さん、朝ご飯食べてく?」

「いいんですか? じゃ有難く」

「朝帰りなら食べてくればよかったのに」

「あら。誰かのところにお泊りだったんです?」

「伽耶と飲んでたんですよ」


 薄珂の額のひびが広がった。大人二人は何も思ってないようだが、薄珂には笑って流すことができない程度には大きな問題だった。

 天藍を振り返ることなく井戸で水を汲み、家に戻ると居間で天藍は呑気にお茶を飲んでいた。

 座れというように手招きされたが、無視して自室に戻るといつも通り寝ぼけた立珂が腸詰を探している。変わらぬ愛らしさにほっと息を吐き、いつもなら起こす時間を過ぎても立珂の温もりにしがみ付いていた。

 それからしばらくして、本物の腸詰不足に耐えられなくなった立珂が飛び起きた。こうなれば寝台に籠る理由もなく、渋々居間へ行くとやはり天藍はまだ座っていた。


「ようやく起」

「立珂。今日は何して遊ぶ? お洒落か?」

「うん! 萌葱色と合う色を探す!」

「おい。無視するな」

「萌葱色って何色だ?」

「萌葱色は萌葱色だよ」

「おいこら」 


 顔を見るとやはりいらついて、薄珂は立珂を抱っこして膝に乗せた。

 わざと立珂の顔を覗き込み立珂にだけ語りかけると、立珂は嬉しいのかきゃっきゃとはしゃいで頬ずりをしてくれる。

 食事も立珂にべったりでやり過ごしたが、とうとうそうはいかなくなってしまった。


「いってらっしゃーい!」

「いっぱい釣ってくるからな」

「今日は薄珂のお魚だね!」

「立珂のお野菜も一緒に食べるからな」

「うんっ! 慶都と引っこ抜いてくる!」


 今日の薄珂は釣り当番だ。立珂の傍を離れたくないだろうから無理をするなと言ってくれたが一方的に世話になるのも心苦しい。

 それに金剛も慶真も慶都も、皆が立珂を守ってくれているから里の規則には従うようにしていた。

 だが一方的に世話になっているのは薄珂だけではない。


「手伝う」

「天藍は当番関係無いんだからいいよ」

「そうはいかない。孔雀先生の薬代分くらいは何かしないと」


 天藍も里のためにあれこれと手を貸している。商品を無料で配ったり建物の修繕をしたりとそこそこの貢献をしている。魚釣りを手伝う必要はない。

 だがそれを決めるのは天藍であって薄珂ではない。釣り要員をまとめる里の男性は男手が増えるのは歓迎だと肩を組んで招き入れている。薄珂はぷいっと背を向けて、釣り場に着くと少し離れた岩場に腰を下ろした。


「向こうの方が釣れるんじゃないか?」

「大人数で集まったら釣れにくくなる。天藍は皆と一緒に釣りなよ。慣れてないでしょ」

「泊まったこと拗ねてるのか?」

「……は?」


 急に話したくない話題に方向転換されて、薄珂は低く唸った。天藍はくすっと笑うと薄珂の隣に座り釣り針に餌を付け始めた。


「ごめんって。今度は断るから」

「何で? 別に俺の許可いらないじゃん」


 薄珂はぷいっと目を逸らしたが、自分の言葉で気が付いてぱちくりと瞬きをした。


(……そうじゃん。何で俺が怒ってるんだ)


 天藍とは少なからず距離は近くなっていた。それは家族三人だけでは経験しえない接触や感情だったが、それがどういうことかなんて天藍と語り合ったことは一度もなかった。それがどういうことか、これがどういう状況かは薄珂には分からない。ただ顔は自然と俯いていった。

 けれど天藍は笑うことも意地の悪いことも言わず、ぎゅっと手を握ってくれた。


「お前に嫌な想いさせてまで飲もうとは思わないよ」

「別に、俺は……」


 俺は子供だ、と薄珂は痛感した。

 最初から天藍は悪くないしこんな我がままを聞く必要もないだろう。けれど、それでも「気にしなくていい」の一言を出すことができなかった。

 引っ込みがつかないというのもあるが、やはり気にしてほしいのだ。

 薄珂は黙るしかできなかった。天藍も黙ったが、思い出したように腰の鞄から布の端切れを出してきた。


「何それ」

「生地見本だ。立珂に好きなのやるから機嫌直せよ」

「直った」


 薄珂は釣竿を放り出して生地見本をわしっと掴んだ。つるつるしていたりでこぼこがあったりと見たことのない生地ばかりだ。

 立珂はきっと大喜びをするだろう。想像するだけで嬉しくなり、胸のもやもやが吹き飛んでしまった。

 それが思惑通りだったのか、天藍には微笑ましいものを見るように笑われ頭を撫でられる。

 馬鹿にされたようで悔しくて、口を尖らせると天藍は何の前触れもなく親指で薄珂の唇をぷにっと押した。そのままふにふにと遊ぶように薄珂の唇を弄んだ。


「あのさ、くち、触るのやめて」

「何で?」

「何でもなにも……」


 止めさせるには『嫌だから』と返すのが一番だ。けれど薄珂は何も言い返さず、天藍が触れてくれるのをそのままにしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る