第十七章 剣仙の登場
突如吹いていた風が止まったかのような感覚と頭上より声が降り注いだ。
「なら、私とならどうかな?」
「!」
声が耳に届くや否や声の主の持った細い銀剣が藥忱の首をとらえていた…が、今まで弟子を攻撃していた剣がいつの間にか師匠の元へと戻り、彼の剣を止めていた。キンッという軽い金属の交わる音が響く。
弟子は立ち止まり口を大きく開いて驚愕した。
(誰⁉)
「…何故お前がここにいる。」
巻物からゆっくりと眼を逸らし後方の彼を見上げる師匠。命を狙われたというのに一片たりとも動揺した様子を見せないのは流石だ。
「ふふ、来ちゃった。」
「
剣を退けて後ろ手で持ち、軽い口調で笑う彼は毛緑の袖口の縛られた上衣と月白色の下衣(ずぼん)を履いている。髪は短く後ろで一つに纏めていた。
彼を見て小さくため息を吐く師匠を見て弟子も思った。
(確かにノリが兄上に似てる!)
突如として現れた者に弟子は興味津々で見入る。ここ最近、師匠のところへはよく人が訪れるな、と。
「久々に手合わせしよ。」
口角を上げて笑うが早いか彼の姿が消えた。
「…!」
弟子が驚いて辺りを見回す中、剣を持って後ずさった師匠から金属音が鳴り響いた。
好戦的な眼光の彼が藥忱に襲い掛かっていく。力の差か剣を止める藥忱の足が僅かに後ろに滑った。
藥忱は焦る様子もなく冷静に剣を捌くと彼に向けて剣を突き出す。青白く光出す剣から無数の青い剣が分裂して彼めがけて飛んでいった。
(うわーー凄い!凄い‼)
弟子は師匠の初めて見る剣術に眼を輝かせて魅入るばかり。
青い剣を全て目にも止まらぬ速さで避けた彼が一瞬にして藥忱の懐まで間合いを詰める。
彼の剣技に派手さはないが確実に藥忱を追い詰めていく。軽そうに見える剣を受け止めつつ後ずさる藥忱の袖が見えない刃に斬られ顔を顰めた。
「相変わらず衣を気にするね。そんなだから剣仙になれないんだよ?」
口元に余裕の笑みを浮かべて容赦なく剣を振るう彼。
「ふん、なりたくもない。あんな下劣なもの。」
藥忱は不快そうに言い剣を全て受けると今度は剣自体を数十本に分裂させて弧を描くように回転させた。
向けられた無数の剣は不規則に彼に襲い掛かる。自由自在に飛び回る剣は彼が弾いても臆する事なく進路を変えてひっきりなしに攻撃を繰り出していた。
(師匠、凄いです!!口だけじゃなかったんだ。)
いつも座って茶しか飲まない師匠が今日は見違えるように神仙らしい。弟子は改めて師匠の凄さを目の当たりにした。
弟子が感動に打ち震えるほどの素晴らしい剣術も彼は余裕の表情でかわしていく。追い詰めたかと思うと忽然と姿を消してまた別の場所に現れるをもう数十回は繰り返していた。このままではいつまでも決着がつきそうにない。
藥忱が身体を宙に浮かせ、手を天に差し出す。すると攻撃していた無数の剣が倍以上に増え、彼を四方八方から囲んだ。もう逃げ場はない、そう弟子は思った。
だが、中心にいる彼は口元を得意げに上げると先程の話の続きをする。
「残念。貴方、結構強いのにさ。」
「まあ、私には劣るけど、ね。」
藥忱の手が動くより早く彼の身体から膨大な気が発せられる。爆風とも思われる気は藥忱の無数の剣を全て吹き飛ばし、岩山の土埃を巻き起こし周辺の視界を奪う。弟子はたまらず顔を腕で覆った。
「っっ」
次の瞬間、眩い光が周囲数里に広がったかと思うと一筋の光の線が空を真二つに裂いたかと思われるほどの音を立てて地上に突き刺さった。
(何が…!?)
土埃が次第と収まっていくのをじっと見つめ弟子は師匠が居たであろう岩の上を見る。
(うわー、うわーっ師匠ー!)
そこには仰向けに倒れ込んだ師匠が袖に一本の銀剣を深く差し込まれいた。
(師匠が誰かに負けるの…初めて見た…)
弟子は動揺を隠しきれない。
この数百年誰とも戦ってはいないので初めてなのは当然なのだが、弟子にとって何だかんだ言って師匠は特別な存在なのだ。
弟子は立ち上がると急いで師匠の元へと駆けつけ男の前に立ちはだかった。
「師匠から離れろ‼」
「ん、あれ、この子が君の弟子?」
威嚇するように睨む弟子を覗き込んで剣を抜き、ニコリと微笑むと爆風で乱れた頭を撫でる。
「まだまだ青いね~、ヨシヨシ。」
(私が、私がもっと強ければっ、師匠を守れたのにっ)
悔しそうに弟子は頭を振って手を退けようとする。背後から身体を起こした師匠が静かにだが不機嫌そうに口を開いた。
「…戯言よ。」
「お前に助けられるほど落ちぶれてはおらぬわ。面倒だから早々に負けてやっただけのこと。」
「え。」
振り向いて師匠に視線を向けるととても不快そうに長衣の埃を叩いている光景が目に映る。
「そうそう、いつも本気だしてくれないんだから。」
彼は抜いた剣をしまうと口を尖らせて、さもつまらなそうにしている。
「おい、弟子。茶。」
「…はあ。」
破れた衣服をそれでもきちんと整えた師匠が弟子に促す。やはり師匠の面倒くさがりは折り紙付きだ。
「てか、私の思考読みましたね⁉」
「しらん。自然と喋ったんじゃないのか。」
「え、そうでしたっけ…?」
ちょくちょく話してもない胸の内に返答してくる師匠を弟子は思い出したかのように問い詰める。師匠はいつもの調子で素知らぬ顔をしていた。
そのやり取りを近くで見ていた彼が顎に手を当てて興味深く聞き入っている。
(へぇーー。)
弟子がお茶を淹れていると彼が師匠の隣に腰掛けてきた。
「あ、自己紹介が遅れたね。私は神仙の
(やっぱり神仙なんだぁ)
お茶を注ぎつつ納得の表情の弟子。師匠と互角…いやそれ以上に凄かったのだから。
「の従者の
「は?従者?」
だが続けられた言葉に弟子は眼を丸くしてお茶を溢しそうになるほど驚いた。
師匠の白い指が弟子の頬を餅を伸ばすようにつねる。
「いたたたたっ」
「口を慎め。従者でもお前の数百倍は偉い。」
「あ、ごめんなさい。」
師匠の叱責に慌てて謝罪する。仙人の上下関係は厳しいと師匠に散々ネチネチと教えられたのだ。
「慣れてるから大丈夫だよ。」
(慣れてる?)
軽く笑う獐鼠に安堵するも弟子は心の中で首を捻る。天仙ほどの者が…?蔑ろにされている??
弟子がまたくだらない思想をあれこれ思い浮かべている間、師匠は袖の中をごそごそと漁り、紙袋を取り出した。
「そうだ。お前これ好きだっただろう。」
「あーー!ひまわりの種‼」
手渡された袋を開けた獐鼠が声を上げて喜ぶ。
途端、彼の頭上に現れたモノに弟子は眼が飛び出すほど開いて驚倒する。
「なっ、み、みみみ、耳ー!」
「ん。あ、興奮したら出ちゃった。アハハ。」
「ね、ね、鼠⁉」
ひまわりの種をそのままボリボリと食べる獐鼠は言われるまで気にも止めなかった丸い大きい耳を動かし照れ笑いをする。
「騒がしい奴め。」
師匠が静かにぼやいた。
「蛇や狐などの動物が修行して仙人になるのなぞ、珍しくもないだろう。」
「そういえばそうでしたね。忘れてました、えへへ。」
「無頓着な奴め。」
「まあまあ。」
ついこの前教えてやった事をもう忘れた弟子に師匠は呆れて物も言えない。否、言っているが。
獐鼠が間に割って入る。
「そんな訳で私は神仙・
「
「
明るく振る舞う獐鼠に弟子もつられて口角を上げるが内心焦りがじんわりと広がるのを感じた。
(鼠なのにもう天仙で…天界に住んでるんだ、凄い…。)
自分は数百年を何もせずに過ごし、最近やっと修行を始めたばかりだというのに…
「あ、でも、天仙様をそんな軽々しく呼んじゃ…。」
「だいじょぶだよ。皆呼んでるし!
「彼以外はね。」
軽い口調で手を振る獐鼠はチラッと横目で師匠を見る。確かにこの師匠が獐ちゃんなんて呼ぶわけがない。
「師匠はなんて呼んでるんですか?」
「煩い。」
「もぅ!」
弟子が気になって尋ねるがまあいつも通りの返答だ。
「そうそう、貴方たち今剣術の修行してるんだよね?」
「良ければ私が教えましょうか?」
「え!良いんですか‼」
獐鼠の申し出に弟子が飛びつくように叫んだ。師匠よりも凄い、–––いや、師匠は本気を出していないらしいが–––、そして優しそうな彼なら手取り足取り教えてくれそうな気がしたのだ。
「うん、剣術なら私のが教えるの上手いだろうし、それに……」
「必要ない。」
獐鼠の申し出を師匠は冷淡に断る。
「師匠ー。」
弟子はガッカリして師匠に縋り付く。師匠以外の仙人から教えて貰うなんて滅多にない事なのに。何より早く強くなって師匠を守りたいのに。
「それに、
「何?」
弟子の強請りなど微塵も気にしない様子の師匠だったが獐鼠の一言に眼光を強くする。
「何故それを早く言わない。」
「言いそびれちゃって。」
静かにだが力強く立ち上がり弟子は急に掴む場所を無くして倒れる。獐鼠は申し訳なさそうに頭をかいた。
「おい、
言うが早いか師匠は身を翻した途端霧のように消えていった。こんなに急ぐ師匠は今まで見た事が無いかもしれない。獐鼠は既にいない背中に声をかける。
「はーい。いってらっしゃーい。」
(神楽って獐鼠の主だよね…、師匠何気にこの鼠と仲良しなんですね……)
突如現れた神仙と天仙、この二人と師匠の関係がとても気になる。師匠の過去をまだまだ知らない。いつか話してくれる日が……いや、こないな。
「それじゃあ、始めよう~か~。」
「はい!」
獐鼠はピョンと跳ねるように身体を起こすと伸びをした。弟子は眼を輝かせて元気よく返事をする。
弟子の修行がまだまだ始まったばかり。
ー続くー
**************
※毛緑:濃い緑
※月白色:薄い灰色
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