召喚されし俺

しろめしめじ

第1章 俺、コンビニに行きたかっただけなんだけど

 俺は玄関のドアをゆっくりと閉めると、静かに施錠した。別に不法侵入をやらかしたわけじゃない。ここは普通に俺の家だ。ただ、深夜2時を過ぎているので、家人を起こさないために気を使っただけなのだ。

 これから家出?

 そうじゃない。ただただコンビニに行くだけ。無償に炭酸が飲みたくなったのだ。ジュースじゃねえぞ。アルコールの入っているやつな。

 俺のスペック、気になる奴いる?

 残念だけど男だよ。某掲示板だったらスレ立てた途端にこの時点で解散てとこか。

 二十二歳無職。時代はニートと言うやさしい称号を俺に与えたもうた。身長百七十三センチ、体重七〇kg。高校まで野球やってたから、体は筋肉質。多少腹はたるんできたけど。イケメンかブサメンかは、彼女いない歴イコール年齢ってとこから察してくれ。自分じゃそんなに悪くはないとおもているんだけど、妹達からはキモオタっていわれている。ネトゲやってたらキモオタかよって声を上げて抗議したいが、看護師目指して真面目に看護大に通う上の妹と、保育士目指して受験勉強に明け暮れる下の妹からすれば、一日中部屋にこもってネトゲ三昧の俺は、別次元の存在なんだろう。分かるなあ、何となく。でも何を言われようが俺自身は何とも思わないし。

 俺も一応、少し前までは大学には行ってた。二浪して、第二志望だったけど某地方の国立大学に進学した。最初は何となく先行きが定まってほっとしたけど、大学での生活を送るうちに、俺が思い描いていた大学の授業と現実とのギャップに、耐え切れない位のストレスを抱えるようになった。一年目の講義はほとんどが高校の延長的内容で面白みがなかったのだ。教養課程とはよく言ったものだ。そりゃあ専門的な講義もあったけど、全体的なスケジュールからすれば、そんなのほんの僅かな単元だけだ。

 二年次になれば、一年次よりも専門的な分野は増える。大学が面白くなるのは二年次からだと聞いたことがある。専門分野に取り組む前に、一般的な教養知識を学び、学習する基礎を固めておく――とでも、大学側は言いたいのだろうか。教養課程は高校三年間で十分じゃないのか。ましてや受験勉強で、高校生の後半はかなり濃い教育スケジュールの中をかいくぐってきたのだ。それなのに、この一年を高校の延長強化バージョンで過ごす意味があるのだろうか。

 もったいない気がした。

 かえって、やる気満々で入学して来た学生のモチベーションを、ごっそり削ぐようにすら思えて仕方がなかった。

 まあ、俺には元々そんなモチベーションも無かったんだけど。心底行きたいと思っていた学校でも無かったし。

 俺以外にも、同じこと感じていた奴がいたんじゃないかな。その証拠といやあ語弊はあるけど、講義中結構ざわざわとざわついているし、寝てる奴はいるし、こっそり抜け出す奴はいるし・・・高校の時でもこんなにひどくはなかった。

 講義をまともに受けられるような環境じゃない――少なくとも俺はそう察した。

 そう思い立ったら後は早かった。退学届けを提出してアパートの部屋を引き払うと親に中退したことを告げた。それも、家電や何やかや荷物の山が実家に運ばれ前夜に。親の反論を予期しての口封じが目的だった。

 案の定、両親は激高したが、もう後には引き返せない。

 それでも荷物の到着と同時に実家に戻った俺を、両親は黙って迎え入れてくれた。

 どちらかというと、母よりも父の方が動揺していたと思う。平静を保とうとしながらも、俺を見る目が不自然に泳ぎ、固く結ばれた拳がぶるぶる震えていた。

 父に殴られると思った。余り感情を表に出さない、ましてや俺や姉妹、もちろん母にも手を上げた事の無い父に。

 けど、父は殴らなかった。ぐっと噛みしめていた奥歯が,きしきしと鳴いていた。爆発寸前の感情を必死に抑えているのが、俺には痛いほど分かった。

 父はただ一言、俺に『お帰り』と声を掛けると、脇を抜けて外で待機している引越し業者に荷物を運び入れる場所の指示をしに向かった。

 意外にも母の方が落ち着いていた。泣き叫びながら半狂乱になって俺を叱咤する姿を想像していたのだが、いつもと変わらない表情で『早く家に上がりな』と、ばつが悪くて躊躇する俺の背中を押してくれた。

 後で聞くと、母は俺が大学生活に疑念を抱いている事を何となく感づいていたらしい。母は時折俺に電話を掛け、何か必要なものは無いかと尋ねたりしてくれてたのだが、その時の俺の態度や愚痴を聞いて何となく予期はしていたらしかった。まさに恐るべしは母の直感。

 あれから二年。俺は自堕落で平和な時間を過ごしている。初めはアルバイトでもいいから働けって事あるごとにジョブを繰り出す両親だったが、今はもう何も言わない。俺がその気になるのをあきらめたのか、それとも俺が一念発起するのをやさしく見守ってくれているのか。

 分からない。

 親の真意を見抜く程、俺は感が鋭くない。

 そんなこんなで、俺は俺なりに家族に気を遣って生活しているのだ。

 足音を忍ばせながら、エントランスを抜ける。

 コンビニは歩いて数分の所に一軒。車を出すまでも無い。

 だもんで服装もついついラフな格好で行ってしまう。今夜も黒のスエット上下にグレイのパーカーを羽織っただけの、いわゆるパジャマでお出かけのスタイル。

 家の門を静かに開け、歩道に抜ける。

 季節柄、まだ肌寒い時期だけど夜風が心地いい。

 昼夜暗転している俺にとっては、今は普通に活動時刻だった。

 誰もいない住宅街を闊歩していると、まるでこの街には俺しかいないような錯覚に陥る。

 孤独は嫌いじゃない。

 実際には家族と同居しているから、物理的には孤独じゃないはずだ。だけど俺の心象風景では、いつも誰もいないゴーストタウンの一室で寝起きし、生活しているようなイメージが付き纏っている。

 最後に、妹達と会話したのはいつだったっけ。よく考えれば、顔すらまともに合わせていない日々が続いている。

 日の出と共に床に就き、仕事や学校で誰もいなくなった昼過ぎにごそごそ起きて食事をとる。SNSで時間を潰した後に昼寝をし、おきだした頃には夕食は終わっている。以前は誰かが起こしてくれたのに、今はほったらかしになっている。食事の時ぐらいは顔を出せと事あるごとに言っていた父親も、今は何も言わなくなった。

 姉妹が自室に戻り、父親が風呂に入ったタイミングで遅い夕食を取る。母はテレビドラマを見ながら、時折、言葉短に声を掛けてくれていたのだ「が、それもそういつまでも続くことは無かった。

無言で食事をとり、無言で食器を洗い、自分の部屋に戻る。

 流石に最低限の情けなのか、無収入の俺に間違いを起こされては困ると思ったのか、月末にはテーブルの上に小遣いをおいてくれている。

 あの家には帰りたくないな。でも、他に行く所が無いし。

 家族の元で暮らしていると言うより、寄生に近い今の俺の立場は実感しているし、情けないとも思っている。

 でも、何かをやろうと奮い立つ起爆剤が、今の俺にはなかった。見えない目標、見えない生甲斐、見えない未來・・・何もしたくない・・・何をしたらいいのか分からない・・・そんな、混沌とした虚無に支配された内世界の虜囚にまで落ちぶれてしまった自分には、SNSにすがりつくしか自己の存在を見いだせていなかった。

 何て言えばいいのか、どう言えばいいのか・・・俺の感情を完璧に表現してくれる語彙が見つからない。見つからないから、尚更俺の苛立ちはマックスを迎えていた。

 自分の部屋に籠る様になると、それは更に増長され、行き場のない感情の暴走を止めることが出来ず、俺は時々意味も無く部屋の壁を殴ったり蹴ったりするようになった。

 隣室の妹達は、最初は激しく俺を罵ったが、そのうち何も言わなくなった。と同時に、俺とは眼を合わそうとも、会話しようともしなくなった。

 妹達は怯えていた。

 俺の存在を忌み嫌うだけでなく、畏怖していた。

 そして。

 気が付けば、俺は完全に孤立していた。

 あの家に、俺の居場所は無い。唯一存在することを許されているのは、六畳一間の洋室だけ。

 やり直せるのなら、やり直したいと思う。それこそ中学生の頃に戻りたい。

 あの頃は、一日一日が充実していた。まだ何になりたいってものも無く、将来に夢も手探り状態だったけど、それはそれで満足してた。

 これから出会う「何か」への期待感が半端無かった気がする。

 はっきりと枠組みした将来への希望よりも、無限に広がる選択肢の中から見つけ出すクエストの方が、なんだかワクワクする――てより、していた。

 でもあの時、もう少し自分の将来について真面目に考えていたら、今の俺の生き様にまた違う方向性が示唆されていたかもしれない。

 まじ厨房時代に戻りてえ。

 まあ、無理だけど。

 自然と苦笑が浮かぶ。

 おかしかったんじゃない。余りにも無責任な自分の思考に心底呆れ果てただけだ。

 このままじゃ、俺はいくつになっても子供部屋おじさんだ。

 ふと、言い様の無い寂寥感に苛まれるも、次第に近付きつつあるコンビニの照明に程なく癒され、殺伐とした現実の中に安ど感を見いだしていた。

 コンビニで酎ハイを三缶買うと、俺はそれを抱え、店舗を後にした。途中、我慢しきれずに一缶リングプルを引き上げる。ぷしゅっと小気味良い音がささやかな至福の旋律を奏でる。

 一口、二口、三口――ふいーっ、たまんねええええっ!

 のど越しに感じる爽快な喜びに身悶えしながら、俺は家路を急いだ。

 現実逃避かもしれんけど、酒飲んでりゃ不完全燃焼な俺でも一時は幸せになれる。

 ただ、いつまでもこんな生活が続けられるわけもなく、何れ破綻するのは目に見えている。

 どうにかしなきゃ。

 じゃあどうしたらいい?

 分からない。

 分からないから、考えたくない。

 だから。

 とりあえず、呑むしかない。

 人生ダメダメなすっとぼけ野郎の、あるかないかわからん将来に乾杯。

 再び缶に口をつける。

 およっ?

 俺は思わず立ち止まり、行く手に立ちはだかる存在を凝視した。

 一瞬にして全身の産毛がそそり立つ。

 決して見間違いじゃない。夜のはずなのだが、周囲は薄明かりに照らされ、おぼろげながらも視界に肌色の立体を浮きだたせている。

 見間違いや目の錯覚じゃない。

 明らかにそれは、俺の目の前にいる。

 もしこれがDQNだったらまだよかった。DQNとは言え一応人間だもの。言葉位は通じるだろう。よくあらば全裸でGOしているぶっとんだネキならもっと良かった。

 だが、今、俺の目の前にいる輩は、どう見ても話が通じる相手には見えない。

 坊主頭のおっさん。それもただのおっさんじゃない。全裸のおっさんだ。見たくはないが、生々しい肌色が否応なしに俺の目に飛び込んで来る。

 おっさんは細い四肢を器用に折り畳み、四つん這いで身構えながら俺を凝視している。

 違う。四つん這いじゃない。八つん這い?

 本来の手足に加え、胴体から左右に二本の計四本、うにょんと生えている。つまりは、手足が計八本生えているのだ。

 おかしいのは四肢だけじゃない。顔つきも明らかに普通じゃないし、大きさも俺の二倍くらいはある。

 カマキリの様な逆三角形の顔。その中央には、明らかに顔のサイズからしてアンバランスなくらいの巨大な黒い眼が、ぎょろんと零れ落ちんばかりに見開き、俺を興味深げに見据えている。

 おまけに、額からヤギのそれの様な二本の白い角が生え、半ば開きかけた口からはサメの歯の様な鋭い牙がこれ見よがしに覗いていた。。

 耳と鼻がリアルに常人の形態だけに、人外的パーツとの歪な不協和音が、妙な不気味さを醸していた。

 リアル蜘蛛男――いやあ、でもちょっと違う。中途半端に人のパーツが融合しているからか、何とも言えない違和感を感じる。ただ不気味さと畏怖を醸すには十分過ぎる風貌だった。

 いやちょっと待て。おかしいのはつるりんこ蜘蛛親父だけじゃない。

 ここはどこだ?

 夜のはずに、周囲は昼並みに明るいし、見渡す限りの風景は、実家近くの住宅街ではなく、灰色のごつごつとした岩が不規則に連なっている。

 荒野の果ての岩山って感じか。

 どうなってんのこれ?

 酒に酔っぱらって夢見ているのか・・・いや待て、まだそんなに飲んじゃいねえぞ。

 ひょっとしたら、俺、現実から逃避し続けているうちに、とうとう頭がおかしくなっちまったのか。

「我に召喚されし大地の聖霊よ、我らの行く先を阻む罪深き妖を排除し給え……」

 俺の背後から、何やら中二病めいた呪文らしき戦慄が聞こえ始めた。

 俺以外に誰かいるのか。

 それも若い女の声。不思議な韻を踏むその声は、緊迫したこの瞬間を凍てつかせるかのように朗々と言霊を紡いでいた。

 声の主は一体何者なのか。振り向いて確かめたいけど、今目を逸らせたら、目の前のつるりんこ蜘蛛親父に頭から齧られそうで、怖くて動けない。

 それにさっき、背後の声主、大地の聖霊が何だかっていってたよな。

 俺の背後に、そいつがいるってことかよ。

 俺は思わず想像した。俺の背後で腕組みをしながら、つるりんこ蜘蛛親父――以下、つるりんこ――を威嚇している筋肉ガチムチの巨漢の姿を。

 恐らく背後の声主は、その大地の聖霊とやらとつるりんこ蜘蛛親父を戦わせようとしているらしい。

 てことは、俺を助けようとしてくれているのか?

 ありがてえ! 助かるぞっ!

「おい、何を躊躇している。さっさと悍ましきものを倒せ」

 声主の言葉の節々に苛立ちが見受けられる。

 おい、どうした? 思う存分に暴れてこいっ!

 俺は背後にいるはずであろう大地の聖霊に、無言の声援を送った。

「おい、どうした? 思う存分に暴れてこいっ! 」

 えっ? 俺が考えてたのと同じセリフが背後から聞こえた。

 俺はぎょっとして振り向いた。

 濃い紫色のマントを羽織り、フードを目深に被った人影が目に入る。額を隠す前髪の向こうから覗く切れ長の眼が、怒りと苛立ちの入り混じった殺気立った輝きを放っていた。色白の肌に薄い唇。ぶかぶかした衣裳のせいでシルエットははっきりし合いが、胸のふくらみから察するに若い女の様だ。

 ただし、でかい。

 横にではなくて縦にだ。少なくとも俺の二倍近くはあるから、三メートルは優にある。

「何こっちを見ている。敵は向こうだ」

 彼女は憮然とした表情で不機嫌そうに俺を睨みつけた。

 俺に言っているのか?

 のようだ。

 俺が、大地の聖霊?

 俺は小太りだがガチムチの巨漢じゃねえぞ。それも彼女よりも遥かにちびだし。

 まさか、よく分からんけど知らんうちに異界に紛れ込んじまって、それも大地の聖霊に転生したとか。俺のイメージじゃあ、大地の聖霊なんて言うくらいだから大男をイメージしていたけど、実はちっちゃなおじさんくらいの奴なのかもしれん。

 ちょっと待て。

 俺が、大地の聖霊だと仮定して、だな。

 この訳の分からん世界に転生したんだとしたら。

 俺って――何らかの理由で死んだって事かよ。

 特に車が突っ込んできたとか、突然意識が飛んじまったとか、そんな前兆は無かったはず。

 まさか、な。

 恐る恐る自分の手を見る。

 細いじゃん。

 てか、反対に細過ぎる。

 俺の手、こんなに細かったっけ?

 これが大地の聖霊の手?

 こんな体でつるりんぱげのうじゃうじゃ手足の生えた人外と戦えってのか?

 そげなこと無理だお。

 不意に、生臭い匂いが鼻孔を埋め尽くす。

 目と鼻の先に奴がいた。それこそ、毛穴まで識別出来るくらいの所に。

 まずった! 目線を逸らせた隙に間合いを詰められた!

 逃げないと!

 焦りまくる俺だったが、金縛りにあったみたいに体が麻痺って動かない。

 体が、四肢が、笑ってしまうほど諤々震えて力が入らない。

 ガクブルッてこんな感じなんだ。

 押し寄せる戦慄の囁きが、俺の脳裏に無言の終幕を告げる。

 終わったんだ。

 そう、俺は理解した。

 理解と言うより、諦めに近かった。

 想像を絶する不条理な現実に翻弄さた挙句、意識を支配するに至った死に裏打ちされた恐怖が、俺の神経系をも完全に掌握していた。

 にやりと勝ち誇った笑みを浮かべるつるりんこを、俺はただ茫然と見つめた。

 目線を逸らすに逸らせず、逃げ出すことも出来ず、ただじっと奴のグロテスクなフォルムを凝視し続けた。

 蛇に睨まれた蛙と言うか、蜘蛛に睨まれた昆虫と言うか…まさにそんな感じだった。

 俺が恐怖に打ちのめされて動けないと知ってか、つるりんこは舌なめずりをすると、余裕綽綽の表情でぱっくりと大口を開いた。

 途端に、生ごみの様な悪臭が、むあんと鼻孔を突き上げる。

 耐えられん。臭過ぎて笑うしかない。まるで生まれてから今まで歯を磨いたことないだろうってくらい強烈な口臭だ。歯垢が幾層にも重なり、茶色く黄ばんだ鋭い牙が、粘り気のある透明な唾液の糸を長々とひいている。

 やべえ。

 まじ喰われるっ!

 ふっと体が動く。どうしてか・・・多分、奴の口臭に充てられて目が覚めた?

 金縛りが解けたのは喜ばしいけど、危機的状況には変わらない。

 考える余地がない!

 俺は咄嗟に右手に握りしめていた缶チューハイをつるりんこの口に投げ込み、即座に後方に飛んだ。

 奴は勢いよく口を閉じ、牙を缶に食い込ませる。ぷしゅっと酎ハイが溢れ出る小気味良い噴出音と、ぐしゃりと缶の潰れる不快な金属音が続けざまに響く。

 つるりんこは至福に眼を細めると、口内にあふれ出した酎ハイを嚥下した。

 拳ぐらいある巨大な喉仏が、上下に動く。

 やがて奴はまずそうに顔をしかめると、口角を下げ、不満気に酎ハイの缶を吐き出した。

 ぺっちゃんこにプレスされた酎ハイの空き缶が、地面のから顔を出す岩に当たり、乾いた奏でる。

 つるりんこは、缶こそ気に入らなかったものの、中身はまんざらではなかったらしく、舌なめずりをしながら、もっとよこせと言わんばかりにゆっくりと近付いて来る。

「おいっ! 早く何とかしろっ! 我との契約により、我が命に従えっ! 」

 中二病女が目くじら立てて喚き散らした。

「うっせえっ! 俺は大地の聖霊じゃねえし、お前と契約した覚えもねえっ! 」

 あったまきたし、俺、思わずその女を一喝してやった。

「ひっ! 」

 中二病女は短い悲鳴のような声を上げると、まじまじと俺を見つめた。

 途端に、我に返ったかのような表情を浮かべると、大きく見開いた瞳が涙で揺らめいた。

「大地の聖霊じゃない・・・」

 中二病女は唇をぎゅっと閉じるとぽろぽろ涙を流し始めた。

 ちょっと待て。そこまでまじまじと顔見んきゃ分からんのかよ。

 泣きたいのは俺の方だぜ。

 俺は踵を返すとつるりんこと対峙した。

 酎ハイはあと二本ある。一時はこれで何とか凌げそうだが、どうなるか。中二病女はもはや戦力外だし。

 不意に、つるりんこの動きが止まった。

 かっと見開いた無い黒一色の眼で、俺をじっと見据えている。

 ぐえふっ!

 奴の表情が硬く強張る。

 俺は何となく嫌な予感を察して更に後方へと飛び、中二病女の真横に着地した。

 つるりんこは、不意に、ぐあばっと下顎をめいっぱい下げると、激しく胃の内容物を岩肌に吐瀉した。幸い? にも、何も食っていなかったのか、白い泡と緑っぽい胃液のようなものをぶちまけただけで、グロさはさほどでもないのが唯一の救いだった。

 奴はこめかみに血管を浮きだたせながら体をふらつかせると、力尽きた様に地に伏せた。

 力尽きた様に、と言うよりも、まじ力尽きていた。

 体はぴくりとも動かないし、呼吸もしていない。

 くたばったみたいだ。どうやら、酎ハイの成分が奴にとっては毒に匹敵する代物だったらしい。アルコールか? それとも炭酸?

「倒したの・・・? 」

 振り向くと、中二病女が驚きの表情を浮かべながら、顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして俺を見つめていた。

「ああ、何とか。それよりも、ここ何処、奴は何? 」

 俺は中二病女に質問を矢継ぎ早に浴びせた。

 中二病女は戸惑う素振を見せると、徐に唇をわなわなと震わせながら泣きじゃくり始めた。

「ごめんぬあざい・・・」

 彼女はしゃくりあげながら、ぼそぼそと呟く。

 けど、俺の問い掛けの答えになってねえし。

「あのさあ、怖かったとは思うけど、俺だってめっちゃ怖かったんだかんね。頼むから教えて! ここはどこ? 」

 俺は苛立ちながらもそこは押さえて、出来る限りやさしく彼女に話し掛けた。

「またやっちまったよう・・・ごめんなすううううっ」

 中二病女はまたまた俺の意図する回答とはとんちんかんな台詞を紡ぐと、錫杖のような杖を握りしめたままするすると泣き崩れた。

 ずしゃあああっ

 何?

 振り向くと大きく跳躍して空を駆るつるりんこ。こいつは角が一本。

 さっきのとは別の個体だ。

 他にもまだいたのか。

 まずい。缶酎ハイを投げる間がない!

 刹那、俺の視界を人影が過ぎる。

 長い黒髪を馬の尾の様になびかせて、人影は中空で奴と交差した。

 人影は柔らかな身のこなしでそばの岩に着地。

 一本角のつるりんこは、体勢を崩して俺の目の前に落ちて来た。

 否、体勢どころの話じゃない。

 体が真っ二つになっている。まるで、失敗したアジの開きの様に。

奴は、黄緑色の体液を派手にまき散らしながら、CTスキャンの画像の様に断面をさらして息絶えていた。四肢が小刻みに痙攣しているものの、もはや反撃してくる可能性は無いだろう。

「こいつら、何なんだよ・・・」

「『あびぬぎ』よ」

 呆然と佇む俺の横で、落ち着きのある女声が響く。

「えっ? 」

 驚いた。いつの間にか、俺の隣に一人の人物が立っていた.

 俺とためか少し年下かと思しき女子。

 だが身長は、でかい。中二病女と同じ位か。

 長い黒髪を無造作に束ね、モスグリーンの厚手のシャツの下に鎖帷子を着込んでいる。上半身はそこそこ防御率が高そうだが、ボトムは革製の茶色のミニスカートで足元は焦げ茶色の革製ブーツといった、見るからに防御率の低そうな格好だった。

 それと、さっきつるりんこ――否、『あびぬぎ』をぶった切った剣は何処に消えたのか。彼女の手には黒光りする細い竹製の杖が一本握られているだけだ。

 顔は美形だが派手過ぎず、かといってどっぷり可愛い系ではなく、ちょいきれちょいかわちょい清楚と言った感じか。色白の中二病女とは違い、ほどほどに日に焼けていていかにも健康的な感じ。

 良く言えば全てにおいてバランスがいいと言うか、ネガティヴ視線では秀でた特徴が無いと言うか、RPGじゃモブキャラ属性半端ない風貌だな。村の綺麗なお姉さんってかんじか。まあ俺もどっちかってえとモブキャラどっぷりな残念な存在だから、偉そうに言えんけど。

 その後ろで項垂れて泣きじゃくっている中二病女も俺と同じくらいだが、こいつは残念過ぎるくらいに超美人だ。澄んだ眼にすっきりした鼻筋、薄い唇といった整った顔立ち。肌は病的なまでに透明感のある白さで、清楚さと艶っぽさ兼ね備えた最強の色香を醸している。

 ただ明らかにメンタル面で問題がありそうだ。

「君さ、こいつにさっき何を喰らわせたの? 」

 健康的風貌女子がぶっ倒れている角二つバージョンのあびぬぎを顎先で指示した。

「これだよ」

俺は小脇に抱えていた残りの酎ハイ2本を彼女に手渡した。

「酎ハイじゃん。これ、どこで手に入れたの? こっちじゃ手に入らない代物よ? 」

「え、コンビニで買ったんだけど」

「コンビニ? コンビニかあ…って、それもこっちの世界にはないんですけどおっ? 」

 彼女は眼を引ん剝くとギロンと中二病女をねめつけた。

「ごめんぬ。やちまたお」

 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、中二病女は唇を震わせた。

「――そう言う事か。ったく、あの時の悪夢の再来だわ」

 彼女は伏目がちに大きく吐息をついた。

「それって、どう言う事? 」

 俺は上ずった声で彼女に問い掛ける。

 なんだかよく分からんが、俺は間違いなくとんでもない事態に巻き込まれたらしい。

「君さあ、気を確かにして聞いて欲しいんだけど」

 彼女は神妙な面持ちで俺の顔を覗き込んだ。

「ここが、元々君のいた世界じゃないって事は薄々感じているよね?」

「うん。まあ、何となく」

「この世界に召喚されちゃったの。ちょっとした手違いで」

「え、召喚? 」

 俺は眼を見開いて彼女の顔を見つめた。

「そう。あの術師がね、やらかしちゃったって訳」

 彼女は吐息をつくと、憂いを湛えた眼差しで今だ泣きむせぶ中二病女――術師を見据えた。

「やらかしちゃったって・・・どこをどう間違えばこうなるの? ふざけてるの? 馬鹿なの? ××なの? ▲◎※なの? 」

 俺は彼女に質問をぶつけた。ぶつけまくった。それこそピー音不回避な用語までもここぞとばかりに紡ぎ倒した。

「そうよ」

 彼女は、俺の無差別級連続式言霊攻撃を、顔色一つ変えずにあっさり一言で交わした。なかなかの強者のようだ。

 だが俺達の会話御聞いていた術師は、俺が容赦無く繰りだした罵詈雑言を仲間が認めた事がショックだったのか、再び眼を涙で膨らませると、止めどもなく涙を流し始めた。やがてぶつぶつと自分を諫める言霊を紡ぎ始める。

「ここは、何て世界? 」

 自己嫌悪中の術師には構わず、俺は杖使いに再び問い掛けた。

「何て世界って言われても、特に呼び方は無い。ただ場所は日本よ」

 これまたあっさり。

「え、そんなわけないじゃん」

 迷わず即答した彼女に、おれは猜疑心たっぷりの目線を注ぐ。

「でもしゃべっている言語は日本語でしょ」

「確かに」

 ぐうの音も出なかった。

 彼女の言い分は的を得ている。てことはあれか。パラレルワールドみたいなものか? いや、でもない気がする。

「名前言ってなかったね。私、都野重里依紗。あちらの術師は隠形紫音。君は? 」

「小城遙」

「はるかちゃんね。私はりぃでいいよ。あ、あの人は紫音だけど私は『しーちゃん』って呼んでる」

 はるかちゃんて・・・何だよそれ。そりゃあ、俺はおまいらと比べりゃ小さいかもしれんけど、それは体躯だけで、俺が見た感じでは歳はほぼ同じ位だぜよ。

 俺はむすったした表情で不満気に俯いた。が、里依紗は少しも気にとめず、首を傾げて俺の手の中の缶酎ハイを見つめていた。

「でも、よくコンビニで売ってくれたよね」

「え、何で? 」

「年齢確認とかあったでしょ」

「あったけど、問題無いよ」

「不思議。どうみてもお子様なのにお酒を売るなんて信じられない」

 里依紗は半ば呆れながら宣った。

「どういう意味だよそれっ! 確かに童顔だけどさ」

 あったまに来た。俺、童顔だし、それは自覚しているし、実際の年より若く見られるのは日常茶飯事だけど、そこまで若くは見られたことないぞ。

 里依紗は不機嫌な俺を不思議そうに見つめると、突然我に返ったような表情を浮かべた。

「ちょっと来て」

 里依紗は軽く跳躍すると、大人二抱え強の岩陰に降り立った。見ると、彼女の足元に登山用のでかいリュックが転がしてある。元々黒だったんだろうが、相当使い込んでいるらしく、ところどころ色褪せ、煤けたようになっていた。

「これでよく自分を見てみ? 」

 里依紗はリュックから小さな手鏡を取り出すと、俺にそっと手渡した。

 俺は訝し気に思いながらも鏡を受け取ると、恐る恐る鏡面を覗き込んだ。

 俺の顔――じゃない!

 でも見慣れた顔。妹達の顔つきにに似ている。それも、小学三、四年生位の頃の。

 んな馬鹿な事って・・・じゃあ、こいつらがでかいんじゃなくて、俺がちっちゃくなっちまったって事か。それに何か見た目が女の子みたいな顔してるし。

 もしや。

 俺は慌ててスエットパンツとトランクスを引っ張って中を覗き込んだ。


 世界が終わったような気がした。

 

 俺は愕然としたまま、トランクスの中のデリーケートエリアを凝視し続けていた。

 在り得ない、あるはずの無い現実を俺は無言のまま咀嚼し続けた

「無い・・・」

 かすれるような呻き声が、俺の声帯を僅かに震わせた。

「そらそうでしょ。まだ早いと思うし」

 動揺する俺を、里依紗は呆れ顔で見た。

 そこじゃない。

 俺を呆然自失に追い込んだのは、そんな次元じゃない。

「それだけじゃなくて・・・何も無い」

「え? 」

「何もって言うか、ナニもない・・・」

「何って何? 」

 里依紗が首を傾げる。

「ナニだよ」

「それって、ひょっとして、ちん――」

「わーっ! それ以上言わんでいいっ! 」

「マジか? 」

 里依紗は眼を大きく見開いて俺を凝視した。

「マジだ」

 俺は表情を強張らせたまま、小さく頷く。

「本当に? もしかして元の世界じゃ男の子だったの? 」

 里依紗が念押しするように問い掛けて来る。信じられないのかもしれないけど、事実なんだから仕方がない。

「ああ。でもさ、男の子でも男の娘でもないよ。大人の男だよ。二十二歳の」

「へっ? こんな事ってある訳? 」

 里依紗は首を何回も傾げながら紫炎に目で訴えかけた。

 だが、紫音も首を傾げるだけで、それ以上は答えを返してこない。彼女にとってもこの事態は予期せぬ出来事だったらしい。

「私ん時は性別は変わらなかったんだけどな」

 里依紗は困惑顔で苦笑いを浮かべた。

「私ん時って? ひょっとして? 」

 俺は里依紗を食い入るように見つめた。そういや、さっきまでの会話に中で節々に妙な点があった。この世界にはないコンビニを知っていたり。缶酎ハイもそう。こっちじゃ手に入らないって言ってたし。それを知ってるって事は――間違いない。

「そうよ。私も別の世界から召喚されたの。しーちゃんの術でね。たぶん、私がいた世界も、はるかちゃんがいた世界と一緒かもしれない」

「いつ、こっちの世界に来たの? 」

「いつだっけなあ・・・結構長いよ。もう何年になるか。ねえ、しーちゃん、私がこっちに来たのって何年前だっけ? 」

「ごめんぬ。覚えてない。失敗はすぐにリセットして気分を切り替えるので」

紫音は何故か腕組みしつつ堂々と言い放った。さっきまでの憂いに満ちた翳りは無く、澄んだ瞳には自信に満ちた輝きを湛えている。ご都合主義と言うかなんというか。すぐに気持ちをリセット出来るわりには、さっきまで奈落の底を突き破って黄泉の国まで到達するくらいにまで落ち込んでいたけど。

 あ、そうか。とことん自分を追い詰めて自己嫌悪に浸りきった結果、全てを浄化? したって事かよ。この女、意外や意外、メンヘラどころか超絶なメンタルしていやがったよ。

 ちょっと待て。肝心な事をスルーするところだった。

 里依紗が何年もこっちの世界にいるって事は・・・

「ひょっとして、元の世界には戻れないのか? 」

「うん」

 恐る恐る尋ねてみた俺の禁忌の問い掛けを、りぃはいとも簡単に肯定した。

「そんなあああっ! 召喚したんだったらちゃんと戻せよっ! 」

 俺は怒りの三角目で紫炎を睨みつけた。

「お前が戻らないだけの事。普通の召喚獣なら、ひと暴れしたら勝手に帰ってくんだけど」

「なんだとおおおっ! 」

 紫音の他人事めいた返答に俺は完全にブチ切れた。

 怒りに髪の毛が激しく逆立つのをモロ実感。これが怒髪天を突くってやつなのか。

「落ち着いて! しーちゃんをしばき倒しても現状は変わらないんだから」

 身を挺して間に入るりぃに免じて、振り上げた言葉の拳を無理矢理引き下げる。

「りぃは帰りたくないのかよ。元の世界に」

 俺は不満を露にぶつくさとりぃに愚痴った。

「そりゃあ、思ったよ。最初はね。でも、向こうの世界じゃ良いこと何も無かったっし・・・こっちの世界で生きるのもいいかなって」

 里依紗の顔に暗い翳りが浮かぶ。彼女に抱いていた快活なイメージが一転して正反対の姿を曝け出していた。

 闇深い発言だった。

 俺は言葉を呑み込み、黙って頷いた。

 彼女の闇の軌跡をここで追及したところで傷つけるだけだ。体は子供だが頭脳は大人、それくらいの配慮は出来る。

 それによく考えたら、俺も元の世界じゃ良い事なんて一つも無かったんだ。家族からは冷たい眼で見られ、妹達からは存在すら否定され、唯一の居場所が狭い自室だけ。あのまま生活し続けても、何の変化も進展も望めなかった。まあ、俺自身が一歩前に踏み出そうとしないのが一番の悪だけど。

 心機一転してこちらで暮らすのも悪くは無いかもな。子供に戻ったのも新たな人生をやり直すって考えりゃ良い転機なのかもしれんし。

 ただ、結審し切れない点が一つ。女になるなんて・・・心も思考も男なのに。

 この世界で生きていくとしても、だ。

 いつまでも子供のままじゃないだろうから、成長して大人になる訳で、そうすりゃ俺を口説こうとする男も現れるのだろう。

 結婚して、ナニして、子供出来て――いや待て。流石に男とはしたくない。それに結婚前にもナニするだろうから――うげえっ! それだけは絶対にやだ。例え相手が超イケメンでもやだ。

 新たな人生の岐路に立たされて困惑する俺をよそに、里依紗は息絶えて横たわるあびぬぎの角を、黒竹の杖で根元から叩き折ると、大事そうに袋に詰めている。

「何やってんの? 」

「あ、これ? 町の薬屋に買ってもらうの。結構高く売れるんだ」

「へえええ。どんな効能があるの? 」

「え、まあ、元気になるっていうか」

 俺の問いに、里依紗は何故かきょどるとぽっと顔を赤らめた。

「滋養強壮精力絶倫。これを粉にしてひとなめすれば、一週間ぶっ通しで子作りに精を出すことも可能。雄の角は男に、雌の角は女に効くと言われている」

 顔色一つ変えずに淡々と答える紫音を、里依紗がじろりと睨みつける。

 一見お子様の俺には教育上不適切とでも思ったのか。

 配慮は不要。魂は二十二歳のニキだから全くもって問題無し。

「雄と雌って、どうやって見分けるの? 」

 変に気まずくなった空気を溶かすべく、俺は里依紗に囁いた。

「細角二本が雌で太角一本が雄。たまに三本の奴がいて、これはレア獣って言われてるわ」

「へええ」

 里依紗の説明を聞きながら、あびぬぎの亡骸を観察する。俺が倒したのは、どうやら雌の方らしい。どう見てもどちらも栄養状態の悪いおっさんの様な顔をしているけど、ばばあだったのか。じゃあ、三本角のレア獣は両性具有?

 不意に、ぶるっと寒気がする。いや、寒気と言うか、生理現象というか。

「りぃ、あのう・・・トイレに行きたい」

「トイレって言われてもねえ。ここじゃその辺の岩陰でするしかないから」

 里依紗が困った表情を浮かべる。

「分かった、そうするよ」

 俺はそそくさと近くの岩陰に移動した。決して隠れられるような場所じゃないものの、文句なんか行ってらんない。もはや膀胱は決壊寸前で、とやかく注文を付ける余裕は微塵も無かった。

「あ、そこでやるのなら水たまりがあるから気を付けてね」

「水たまり? 」

「それ、さっき私が仕掛けたトラップだし」

「トラップ? 毒か何か? 」

「私のしっこ」

 里依紗は恥ずかしげも無く宣った。

「なぬっ? 」

「あびぬぎは人の排泄物や汗の匂いを嗅ぎつけて集まって来るのよ」

 どおりで。何となく里依紗の登場が遅れた理由が分かったような気がする。俺があびぬぎ♀と対峙していた時、彼女はいたした直後だったのだろう。てことは、あの二匹、里依紗のしっこの匂いにつられてやって来たのか。

 変態じゃん。あ、でも、山でいたすと何処からともなく蝶が集まって来る、あれみたいなもんか。

 大自然の神秘だ。

 岩陰を見ると、あったあった水たまり――と言うか、里依紗のしっこ。

 それを避ける様に立ち止まると、俺は安堵の吐息をついた。少しばかり飲んだ酎ハイのせいではないと思うんだけど、膀胱はもはやはち切れんばかりにパンパンになっている。

 ここでするか。

 俺はトランクスに手を突っ込む。が、そこには空虚が詰まっていた。

 無いんだっけ――そうか、もう立ちションは出来ないんだ。

 そう思うと何故かとてつもなく寂しい。

 事実として捉えてはいるものの、エキセントリックな現実だけに、なかなか実感出来無いでいた。

 言い様の無い喪失感が、どっぷり俺を咥え込む。

 不意に。

 生臭い臭いが俺の鼻孔を刺激した。

 俺は顔を顰めた。どこからともなく立ち込めて来る、生ごみの様な耐え難い悪臭。

 里依紗のしっこの臭い? ――じゃない。

 この臭い、前に嗅いだ事がある。

 それも、ついさっき。

 冷たい刃の様な戦慄が俺の背筋を駆け抜けた。

 俺は恐る恐る岩の周囲に眼を向けた。

 不気味なつるりんこ頭が、俺をじっとねめつけていた。

 それもいっぱい。両手の指を使っても数えきれない程のあびぬぎが、ワンボックスカー位の岩に所狭しと貼り付き、蠢いているのだ。体色がさっきの奴らと違い、岩の色に似た灰色に近い――と思ったら、見る見るうちに肌色に変わる。

 こいつら、岩に擬態してやがった。

 次々と擬態を解くあびぬぎ達の行動とともに、更なるおぞましい現実が明らかになった。

 岩そのものが、あびぬぎだった。てより、あびぬぎの集合体だった。奴らは幾重にも重なり合いながら巨大な岩を成し、息を潜めていたのだ。恐らくは、獲物が通りかかるのをじっと待ち伏せていたのかもしれない。

 声の無い叫びが喉から迸る。

 同時に、体中の筋肉を小刻みに寸断されたかのような、不快な無力感が全身を凌駕する。

 俺はその場にへたり込んだ。

 腰が抜けていた。

 もはや、目の前に迫り来る恐怖に、身を委ねるしかない。そんな、諦めに似た喪失感が、永久の闇へと俺の意識を引き摺り落していく。

 あびぬぎ達が一斉に俺目掛けて飛び掛かる。

 涎をたらしながら間近に迫る無数の牙と臭い呼気が、秒刻みで俺の人生に終止符を番えようとしていた。。

 不意に、視界が大きくスライドし、奴らの姿が視界から遠のく。

 里依紗だ。間一髪のところで、彼女は俺を小脇に抱えて大きくサイドに跳躍したのだ。

 凄い。俺を抱えて結構な距離を跳んでいるぞ。子供体型に変化しているとは言え、人一人抱えて約数メートルは跳躍している。冷静に考えれば超人的な体力だが、この時はその驚きよりもあびぬぎの衝撃の方が大きく、冷静な能力分析など微塵も考えつかなかった。

「嘘! あびぬぎは群れを作らないはず」

 里依紗は俺を地面に降ろすと、黒い竹杖を握り、杖先をあびぬぎ達に向けた。

「しーちゃん! 」

 里依紗が切羽詰まった表情で棒立ちの紫音に声を掛ける。

「分かった。大至急、ガチムチ選りすぐりの精霊達を召喚しよう」

「そんな余裕無いってっ! 」

 里依紗が叫ぶ。

 同時に、あびぬぎ達が動いた。

 里依紗の眼に紅蓮の輝きが宿り、筋肉が緊張に膨れ上がる。

 一斉に飛び掛かるあびぬぎに、里依紗は黒杖を大きく薙いだ。

 瞬時にして五匹のあびぬぎが吹っ飛ぶ。

 弾き飛ばしたのか!

 それもいっぺんに五匹も。それも、綺麗に胴体が上半身と下半身に分かれている。

 何てパワーだ・・・筋肉質とは言え、決してガチムチじゃない体躯で。しかも獲物は細っちい竹の杖だぞ。見た目四国八十八か所巡りのお遍路さんが使う杖の方が、もっと頑丈そうに見える。

 さっきあびぬぎ♂をぶった切ったのも、剣じゃなくてこれだったのか?

 まるで鋭利な刃物で一気に切りつけたみたいな綺麗な断面だったけど。

 気でぶった切った? まさか・・・。

 ただ在り得ない現実を事実として裏付けるかのように 彼女の身体から近寄り難いオーラが厚い層を成して立ち上っていた。

 ただのオーラじゃない。闘気だ。明らかにあびぬぎ優勢の雰囲気を制するだけの圧力を秘めた気迫が、目に見えぬ屈強な結界を築いていた。

 これだけの異形の敵と対峙しても、彼女は少しも怯んじゃいないのが手に取るように分かる。

 不意打ちの敵に動揺し、怯えるどころか、むしろ、相手を圧倒するほどの自信に満ちあふれていた。里依紗も俺と同じ別世界の住民。元々はスキルもスペックもそうそう大差はなかったと思う。

 でも経験値が違うのだ。

 全くの普通の現代っ子女子が、人外妖魔の類や召喚魔法が存在するこのファンタジックな世界を生き抜いてきたのだ。きっと俺の想像を遥かに超えるハードな人生を送ってきたに違いない。

 俺は尊敬の眼差しで彼女を見上げた。

 敵の数に圧倒されて戦意を喪失した俺にとって、彼女の存在がとてつもなく心強く覚えた。

 あびぬぎ達の群れも彼女の放つ闘気にただならぬものを感じ取ったのか、動きを止めて俺達を凝視している。

 不意に、後方にただならぬ気配。

 思わず振り向いた俺の眼に、信じがたい悲報が飛び込んで来る。

 十匹以上のあびぬぎが背後から俺達に襲いかかってきたのだ。

 同時に前からも一斉に進撃を開始。前方から襲いかかる数匹を、奴らの動き以上の速さで里依紗は切り捨てる。が、背後の敵まではどう考えたって手が回らない。

 俺は笑った。

 何もおかしくは無い。

 ただどうしようもない状況に置かれては、もはや平静を保つのは不可能だった。

 そんな俺の狼狽え振りに勝機を確信したのか、あびぬぎ達は悍ましい程に不気味な笑みを満面に浮かべた。

 が、次の瞬間、それは一転して驚愕へと変貌した。

 あびぬぎ達の動きが止まった。

 奴らの顔が苦悶と戦慄に歪む。

 次の瞬間、奴らの上半身がずりりと落ちた。グロい断面から夥しい体液をまき散らし、脚部をぴくぴくと痙攣させながら、ごろりと地に転がった。。

 何が、どうなったのか。

 呆然とする俺の眼に、錫杖を手にあびぬぎの屍の中に立つ紫音の姿が映っていた。

 紫音は軽く跳躍すると、音一つ立てずに俺の傍らに着地した。

「しーちゃん、ありがと」

 敵を見据えたまま、里依紗は紫炎に声を掛けた。

 里依紗の前にも、縦横真っ二つに切り裂かれたあびぬぎが数えきれない程転がっている。

「残念だが、まだ終わってない」

 紫音は抑揚の無い声で呟いた。

 俺はその意味を否応無しに目の当たりにしていた。紫音の言葉を裏付けるかのように、無数の悍ましい人外が俺達を取り巻いている姿が、視界いっぱいに映し出されていた。

「ハル、ここを動くな」

 俺は紫音を見上げた。優しい微笑む彼女の表情に、俺は黙って頷いた。

 さっきまでの狼狽え泣き荒む姿からは想像出来ない自信に満ち足りた風貌に、俺は素直に安堵感を覚えていた。

 紫音は徐に錫杖を俺の傍らに突き立てると、ぶつぶつと言霊を紡ぎ始めた。

「・・・盟約に基づき我に力を与えたまえ・・・」

 不意に、俺の周囲の空気が変わった。

 何かいる!

 半透明の、海月みたいなふわふわした奴が。それも無数に隊列を組み、俺を取り囲んでいる。

「ハル、安心しな。これは私が召喚した風の精霊達。彼奴らが御前を守ってくれる。但し、この錫杖を握っていろ。これを握っておれば、風の精霊達はおまえを守るべきものと理解する。いいな?」

 召喚したって・・・俺の為に?

 ちゃんと召喚術使えるんだ、この人。

 なんだか、胸が熱くなる。

 俺を守ろうとしてくれる紫音の心意気に驚きつつ、その能力を見くびっていた自分の態度に申し訳なさを覚えていた。

「りぃ、一気に片づける」

「御意のままに」

 里依紗が黒杖をくるくる回しながら、先陣切ってあびぬぎの群れに飛び込んだ。

 鬼気迫る彼女の気迫に押されてか、たじろぐあびぬぎ達。明らかに戦意喪失モードに陥っている。

 だが、彼女はそんな哀れな人外達をも容赦はしなかった。間合いに捉えたあびぬぎ達を、躊躇う素振を一切見せず、次々に叩き斬っていく。

 後続のあびぬぎ達が一斉に中空へと高く跳躍した。

 頭上から里依紗を仕留めようと考えたのか。

 だが、その群れの中に一陣の黒い影が過ぎる。

 紫音だ。でもその手には武器は何も握られてはいない。

 彼女は俺を守るためか錫杖に盟約を刻んで俺のそばに突き立てて行ったのだ。

 丸腰の紫音に気付いたあびぬぎ達は、急遽標的を彼女に変えた。

 いやらしく伸びたあびぬぎの凶爪が、次第に紫音に迫る。

 だらりと下がった紫音の両腕が動く。

 不意に、マントの両袖口から銀色の閃光が過ぎる。

 剣? 細身の刃が袖口から真っ直ぐに伸びている。

 あんな所に隠し持ってたのか。

 あびぬぎ達の表情が瞬時にして強張る。かっと見開いた両眼と震える頬が、己

達の選択した行動が人生の終止符を迎える序章となった事を悟った後悔と苦悩を造形していた。

 紫音の剣が空を薙ぐ。

 白銀色の冷たい軌跡が時空を刻むとともに、あびぬぎ達は次々に絶命し、地に沈んだ。

 紫音の動きは、舞に似ていた。否、舞そのものだった。無音の旋律を奏でながら、彼女は無駄のない動きで、間髪を入れずに両剣を操り、あびぬぎ達を地に沈めていく。

 人間離れした動きだった。里依紗も十分人間離れしているが、表情一つ変えずに剣を振るその姿は、崇高さすら感じられる立ち振る舞いだった。

 圧倒的な強さを誇る二人を避け、示し合わしたかのように数匹のあびぬぎ達が俺に襲いかかる。

 刹那、精霊たちの身体が青白く光ると、いくつもの稲妻が空を駆り、あびぬぎ達を直撃した。

 想定外の反撃を喰らい、逃げ惑うあびぬぎ達。致命傷にまでは至らないようだが、俺にとってはありがたいディフェンスだった。

 超人的な二人の活躍で圧倒的優勢に転じたのと、精霊達の強固なディフェンスに安心したからか、俺は周囲の状況の冷静に把握しつつあった。

 そして、あることに気付く。

 あびぬぎ達の動きが、妙に統制が取れているのだ。

 一斉によってかかって来るのではなく、里依紗と紫音の隙を伺いながらフォーメーションを組んで攻めて来るのだ。俺への攻撃がほとんどないのは、精霊を召喚した紫音を倒せば、簡単に倒せると考えているのだろう。

 恐らくだけど。誰かが指揮している。

 俺は周囲を見渡した。戦況を把握しながら指揮をとるとしたら・・・高い所。あびぬぎ達が擬態していたフェイクの後ろの岩か・・・違う。

 俺はあびぬぎ達の目線を追い、耳を澄ませた。

 奴らが指揮官の姿を確認しつつ、指示を受けつつ動いているに違いない。それは雄叫びや咆哮に紛れ、着実に奴らに指令を飛ばしているのだ。

 そうでなければ、指揮官の思念を直接脳で傍受しているのか。

 何となく分った。

 後者の説じゃない。

 飛び交う怒号の中に、明らかに離れた位置から発せられている声がある。極端に遠くも無く、それでいて近くも無く。

 俺は足元に転がっている手頃な石を拾った。手のひらに収まるくらいの、丸みを帯びた石。

 錫杖に掴まりながら、ゆっくりと立ち上がる。

 何とか、体の震えは収まっている。

 仕掛けるなら一瞬。

 奴もきっとこっちを警戒しながらリードを取っている。いざとなったらすぐにベース――安全な箇所に戻れるように。

 そこだっ!

 俺は振り返ると背後の小高い岩に目掛けて石を投げた。

 石はあびぬぎ達の間隙をぬい、岩の頂上部に吸い込まれていく。

 頂上部辺りの岩肌に不自然な歪が生じた。

 それは、まるで傷の瘡蓋を剥ぐかのように、ゆっくり岩から剥がれ落ちた。

 重低音の衝撃が大地を揺るがせる。

「何? 」

 訝し気な表情で振り向く里依紗。

 俺は息を呑んだ。

 これは、岩じゃない。色は岩そっくりだが、明らかに違う。

 あびぬぎだ。あびぬぎが俯せにぶっ倒れている。それも巨大な。通常のサイズが人間の大人位だから、その三倍はあると言えばイメージ出来るだろう。額に生える角は通常の奴より数倍でかく、しかも三本生えている。

 これが幻のレア獣なのか。

 でも石が当たった位で岩から落ちて来るか? それに見るからに絶命しているようだし・・・あっ!

 あびぬぎの額が割れていた。弾創の様な形状だが、直径五センチ以上にも及び、後頭部にも同様のそれがあった。

 俺の投げた石が、奴の額をぶち抜いたのか? 

 のようだ。

 信じ難い光景に呆気に取られているのは俺だけじゃなかった。里依紗や紫音、そして他のあびぬぎ達も戦闘を忘れ、地に横たわる巨大あびぬぎ(レア獣)を呆然と見つめていた。

 特にあびぬぎ達の動揺は凄まじく、突然の事態に一瞬隙だらけになった里依紗達にも目もくれず、悲壮感に満ちた低い唸り声を上げながら挙動不審な動きを取り始めた。

 不意に、奴らはそろりそろりと後退し始めた。もはや統制はとれておらず、悲鳴を上げながらそれぞれ好き勝手な方向へと四散していった。

 その光景を目の当たりにしてお役御免と判断したのか俺を取り巻いていた風の精霊達はすううっと音も無く消え失せた。

 紫音の言った通りだ。

 本来なら、召喚されし者は役目を終えたらこのように元の場所へ帰っていくのだ。

「・・・何が起きたの? 」

 里依紗が紫音に尋ねた。

「私には分からない」

 紫音は答えると、俺に目線を投げ掛けた。

「まさか・・・はるか? 」

 里依紗が驚きの声を上げる。「ちゃん」が抜けているけど、まあいいや。許そう。

「うん、石投げたら当たった」

 俺は情けない程言葉短に答えた。ボキャブラリー貧困な故、許せ。

「石投げたらって・・・まじ? 」

 里依紗が訝し気に呟く。

「まじのようね。ほら」

 紫音が錫杖でレア獣のそばに転がっている石を示した。

 間違いなく、俺が投げた石だ。石にはレア獣のものであろう粉砕した脳漿やら骨片が貼り付き、グロテスクなデコレーションを施している。

「はるかちゃん、凄い! 」

 里依紗が頬を上気させながら興奮気味に声を上げた。

「ハルでいいよ」

 俺ははにかみながらぼそっと答えると、ちらっと紫音に目配せをした。紫音は「ん? 」的な表情を浮かべると、にやっと笑う。戦いの最中、紫音が俺にそう呼び掛けて来たのが、何だかこそばゆいようで、それでいて妙に気にいってしまったのだ。

「でもどうしてこいつの居場所が分かったの? 」

 里依紗が不思議そうに俺を見た。

「奴らの動きを見てたら、何だかすごく統制が取れているみたいに思えたんだよね。飛び交う叫び声を聞いているうちに、何となく後ろの方から時々声が聞こえる事に気付いたんだ。それも、戦列の後方から。それで、これは指示を出している軍師みたいなやつがいるなと思ってさ。指揮をするなら、少し高い所――目に留まったのが後ろの岩の上って訳」

「確かに、統制の取れた動きだったな。まるで軍隊みたいに」

 紫音が感慨深げに呟く。

「凄いよ、ハル! でもまた派手にやらかしちゃったね」

 里依紗は苦笑を浮かべながら目線を下に落とした。

 何気に彼女の目線を追う。

 やらかしていた。

 それも、思いっきり派手に。

 スエットパンツはびしょびしょ。勿論その下のトランクスは言うまでも無く。そればかりかだぼだぼになっちまったパーカーも腰回りは完璧にアウト。

 やっちまったのだ。擬態化したあびぬぎ御一同を目の当たりにした時、恐怖に全身の筋肉が弛緩してしまったのだが、その時に決壊してしまったらしい。。極度の戦慄におののく余りに事態をずっと把握できずにいたのだ。

 俺は泣いた。声を押し殺すように泣いた。

 しっこをちびらしたまま、それに気付かず、どや顔で大威張りのポーズを決め込んでいた自分が、情けなくて涙が止まらなかった。

「ハル、安心しろ。りぃもこの世界に来た時、派手にやらかしたから。それも、私の姿を見てな――痛っ! 」

 しみじみと語る紫音の頭を、顔を真っ赤にした里依紗が無言でひっぱたいた。

 深々と被っていたフードが捲れ、艶やかな水色の髪が零れ落ちる。

 切れ長の眼に通った鼻筋と薄い唇。髪の毛の色よりも更に深く青い瞳。そして、透き通る様な白い肌。均等の取れた整った顔立ちは、まるでこの世の美の条件を全て注ぎ込んだかのような造形だった。

 俺は愕然とした。彼女の美しさにではない。

 彼女の頭に生えたもの――角だ。ほんの数センチほどだが、正確には頭頂部の辺りから両サイド一本ずつ、計二本の白い角が、水色の髪の間から、顔を覗かせている。

「しーちゃんって、あびぬぎ? 」

 俺は表情を強張らせながら、恐る恐る彼女に尋ねた。

「ちがー――うっ! 私を喰う・寝る・やるしか考えていない奴らと一緒にしないでくれっ! 私は夜叉。この世界では神に次ぐ崇高な存在と言われているのだぞ」

 紫音は腕組みをすると不満気にぶつぶつ宣った。

「人間じゃないんだ」

「そうよ。しーちゃんの言う通り。それこそ神の現身とも呼ばれている一族よ。人並外れた攻撃力と精神力を持つ超人族って言ったらいいかな。彼ら一族はこの世界の平和を守護役みたいな存在なの。主権を握ろうと思えば簡単に出来ちゃうのに、あえてそれをせず、政には一切口出ししないで郊外で謙虚に暮らしている種族よ」

 里依紗の説明に、紫音は満足げに頷いた。

「でも、あれだけすげー戦闘能力してんなら、召喚術なんて使わなくてもいいんでねえの? 」

 俺は率直に疑問をぶつけた。

「力づくで相手を攻め落とすのは美しくないだろ? 召喚術の方が品があるとは思わんか? 」

 紫音が笑みひとつ浮かべずにパーフェクト真顔で俺を見つめた。

 俺は紫音の有無を言わさぬ説得力に圧倒されて、ただただ頷いた。

 納得出来る様な出来ない様な、特異的なこだわりに裏打ちされた思考だ。

 そのこだわりのせいで里依紗や俺を巻き込んだことを自覚してないんだろうな、きっと。やっぱどっか変だ、この人。容姿は端麗だけど。あ、人じゃなくて夜叉だっけ。

「さ、着替えよっ」

 里依紗は俺を優しく抱きしめると、耳元でそっと囁いた。

「着替え、持ってない」

「大丈夫、私の貸してあげる」

 里依紗はリュックを持って来ると、中をガサゴソあさり始めた。

「脱いで」

「え? 」

 戸惑う俺をよそに、里依紗は俺の衣服を容赦無く剥ぎ取った。

 まだふくらみの無いまな板の様なツルペタの上半身と、何にもない下半身が露になる。

「服着る前に体を拭いておこうね。しっこの匂いであびぬぎ達に襲われたら困るから」

 里依紗は水筒をリュックのポケットから取り出すと、白いタオルにじゃぼじゃぼ水を掛け、俺の身体を拭き始めた。

「冷たい! 」

「我慢して! しっこの匂いで寄って来るの、あびぬぎだけじゃないから。他のにも妖魔や妖獣の類も来ちゃうから」

「まじか」

「まじ」

 不安げな俺に里依紗は真面目な顔つきで返す。と、タオルを持つ彼女の手が俺がまだ触れていない箇所に触れた。

「あん♡」

「んもう! 変な声ださないでよ」

 里依紗は苦笑いを浮かべながらしゃがむと、俺の太ももやら足やらを拭き始めた。

 俺は恥ずかしさの余りに目線を落とした。

 刹那、俺の視線はある方向にロックオン。

 無造作に開かれた里依紗の膝と膝のそのまた奥に、秘密の白いデルタゾーンが覗いていたのだ。

 ここまで至近距離で拝見できるパンチラってそうそうないぞ。妹達のだってここんとこ見たことない。

 クロッチの部分から微妙な皺まではっきり見えてるし。スマホがあったら撮影したいところだが、こっちの世界に来た途端、それは俺の手を離れ、行方不明になっていた。

 俺がガン見をしている事に、里依紗は全く気付いていない。それとも気付いていても気にしていないのか。俺の見掛けが女だからって、油断しているのか。

 ヤバい、ヤバいぞこれは。

 本能がぞわぞわする。

 このままだとマジやべえ。俺の小坊主が覚醒し、大魔神になってしまうではないか。

 いやまて。冷静になれよ。

 心配いらない。今の俺に、それは無いんだから。

 静かに吐息をつく。

 外観が女の子でも魂は男だから、里依紗のパンチラを見ても普通に興奮する訳だ。

「はい、これ穿いて」

 里依紗はコロンと丸まった白い布を俺に手渡した。俺はそれをほぐすように広げた。パンティーだ。いくら何でも大人用をお子様体型の俺にはかせようってのは無理があるだろう。

 歩いているうちにさがってくんじゃね?

 そう思いながら足を通してみる。

 意外とフィット。何とかなりそう。

「あとこのTシャツ来てみ?」

 里依紗は俺にベージュのの長袖Tシャツを手渡してきた。胸に黒字で幾何学的な紋様が入っている。

「あのお・・・ブラは? 」

「いらないよね?」

 俺の問い掛けに即答する里依紗。彼女が俺の胸をちらっと見たのを見過ごすわけにはいかない。

 失礼なっ! って思ったけど、いらないのは事実。どうせ性転生するなら、実年齢相応がよかったのに。

 仕方なくそのまま直にTシャツを着てみる。と、それこそ俺にはロンTみたいに膝まで隠れてしまった。

「かわいい♡ これならスカートいらないよね」

 俺の姿を見て、里依紗がきゃはきゃはと騒ぐ。

 俺に鏡で見せてくれたけど。うん、かわいいかも。

 まんざらでもない感じ。でもお股がすーすーして落ち着かない。こりゃ慣れるまで大変だぞ。何だか油断するとパンツ見えそうだし。人のを見るのは良いけど、人に見られるのは絶対に嫌だ。

 サンダルは流石に変わりがないので、水をぶっかけてそのまま履くことにした。ただでか過ぎて歩き辛いので、里依紗がタオルを二つに裂いて――縦方向な――俺の足首に巻き付けて縛って固定してくれた。

 俺が脱いだ衣服を、里依紗が薄い半透明の袋に入れた。

 ビニール袋とはちょっと感じが違う。こちらの方がしなやかな気がする。

「服はこれに入れて持って帰るから」

「いいの? しっこの匂いをまき散らしながら歩く様なもんだよ? 」

「大丈夫よ。この袋は權藤って木の葉で出来ていて、抗菌消臭作用があるの。表面は防水加工してあるし」

「へえええ」

 献身的な里依紗の対応に、俺は少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた。俺を召喚しやがった紫音への怒り・恨み・苛立ちの三重奏も、とりあえずは収まりつつあった。

「覚悟決めた。俺、ここで暮らす」

「え! 」

 唐突に宣言した俺に、里依紗は驚きの声を上げつつも、何処かほっとした表情を浮かべた。俺が元に戻せと、とことんごねると思っていたんだろうか。まあ、最初の俺の態度じゃあそうとられてもおかしくは無い。

「ただし、条件がある」

「何? 」

「俺を養ってくれ。子供に戻っちまったから、自立は出来ん。その代わり、出来る範囲のお手伝いはする」

 俺は勝ち誇ったように胸を張って里依紗を見据えた。

 俺をこの世界に引っ張り込んだ責任は里依紗にはない。でも仲間の紫音がやらかしたんだ。共同責任って事でよろしく頼む。

 それに思惑があった。

 容姿が少女化したものの、魂は男だ。別に将来男と結婚しなきゃならんこたあない。

 俺は百合の世界で生きる。

「いいよ。こんな事態になったのもしーちゃんのせいだし」

 里依紗は拒む素振りを一ミリも見せずに笑顔で頷いた。紫音は一瞬戸惑う素振を見せたが、里依紗の一睨みで渋々頷く。

「じゃあ、早速お手伝いをしてくれると助かるんだけど」

「うん、分かった」

「まずは、こいつらの角を集めるぞ」

 紫音は俺にポイっと黒っぽい袋を投げてよこした。

「角って・・・これ全部持ってくの? それに切り落とすの大変――あつ! 」

 俺は周囲に転がる百匹近いおびぬぎ達の躯を呆然と見渡した。

 そのほとんどが既に白骨化しており、残った数体には、何やらふわふわしたものが群がっていた。

「あれは、風の精霊・・・」

 間違いない、さっきまで俺の周りを漂っていた奴だ。

 俺は愕然としたまま、精霊達を凝視した。

 風の精霊達は体いっぱいにまで大口を開くと、あびぬぎ達を貪るように捕食していた。

「何してんだ!? 」

「喰っている」

 俺の唸るような呟きに、紫音は言葉身近に即答で明解回答する。

「なんで、また・・・」

「奴らとは、私が獲物を倒したら、肉は存分に喰ってよしと言う契約を結んでいるからな」

 紫音がしみじみと呟く。

 風の精霊達が、骨だけきれいに残して次々にあびぬぎを平らげていく。

「もしさ・・・獲物が取れなかったら、奴らはどうなるの」

「契約不履行で召喚士はぼこぼこにされ、守りの対象は喰われる」

 抑揚の無い声で、さらっと宣う紫音。

 精霊達はまだ満足しないのか、只管横たわる人mあだ外を無表情で捕食し続けている。

 もし、奴らが戦わずして撤退していたのなら、俺はあの精霊達に喰われてたかもしれなのかよ・・・・・・。


 少しちびった。




 





 



 


 

 

 

 




 

 

 


 

  

 



 

 

 


 

 

 


 

 

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