高いプライドは災いの元

ウンジン・ダス

高いプライドは災いの元

「会長、お茶が入りましたよ」

「ありがとう」

 書記の半田伊織が淹れてくれた紅茶を私は一口啜る。

「なかなかじゃない。伊織さんも紅茶を淹れるのが上手になったわね」

「ありがとうございます。ティーバッグでもおいしく淹れる方法を調べてみたんですよ」

「それは結構だわ」

 尊大な態度で私が言うと伊織はにっこり笑って自分の席に戻っていった。

 バカバカバカ! なんで私は結構だなんて言ってるのよ! 一言おいしいわって言えばいいじゃない!

 顔には出さず、内心で自分を罵る。

 けれど、伊織はそんな私の態度を気にした様子もなく、書類に向き合ってペンを走らせている。

 紅茶を飲みながらそれをちらりと見やると、小柄な身体つきに小さな顔、可愛らしい容姿が目に飛び込んできてドギマギする。

 あぁ、今日も可愛いなぁ、伊織さん……。

 見惚れていると隣の席にいる副会長の有働明日葉に肘でつつかれた。

「手が止まってるわよ」

「うっさいわね、飲んだら動かすわよ!」

「どうかされましたか?」

「な、何でもないわ!」

「……?」

 伊織はどうしたんだろうとでも言うように可愛らしく小首を傾げたけれど、何でもないと言う私の言葉を信じたのか、それ以上何も言わずに再び書類に向き直った。

 あぁ、その仕草ひとつひとつがいちいち可愛い……。

 また見惚れてしまいそうになるところを明日葉に肘でつつかれて再び我に返る。

 いけないいけない。今は生徒会の仕事の真っ最中だ。ここは生徒会長としてビシッといいところを見せないといけないときだ。

 と思ってはみるものの、生徒会役員選挙が終わり、私が生徒会長に選ばれてから1ヶ月。6月のこの時期は基本暇だった。美化委員会や図書委員会などの委員会の活動報告に目を通したり、そうした委員会に出された要望が学生として適切なものであるかどうかを確認して、通してもよさそうなものならば決裁をし、ダメなものは突き返すなり再考を促すなどをするくらいなのだ。

 生徒会役員が選ばれてから最初の一大イベントである体育祭が終わってからは毎日こんな調子だったから私が伊織にたびたび目を奪われるのは仕方がないことなのだ。

 5時前には今日の生徒会の仕事も終わり、伊織を始めとする新役員の1年生は私や明日葉を残して先に帰っていく。

「今日もお疲れさまでした」

「おつかれっしたー」

「お疲れさまでした」

 1年生で書記の伊織、私や明日葉と同じ2年生で会計の大島和馬、伊織と同じ1年生で庶務の中条静が生徒会室から退出していくのを明日葉とともに見送る。

「今日、何度手が止まった?」

 他の生徒会役員が出ていったのを見てから明日葉がにやにやしながら尋ねてきた。

「覚えてないわよ、そんなこと!」

「わたしが見た限りじゃ5回は止まってたわね。そんなに好きなら告っちゃえば?」

「それができれば苦労しないわよ……」

「普段は尊大で傲慢なクセに、どうして告白のひとつやふたつに躊躇するかねぇ」

「す、するわよ! は、初恋…なんだもん……」

「これがあの篠原グループの娘だなんて誰が思うかしらね」

「うっさいわね! 私たちも鍵返したら帰るわよ!」

「はいはい」

 投げやりに返事をすると明日葉は席を立って椅子の脇に置いてあったスクールバッグを肩に引っかけた。

 私もスクールバッグを手にして生徒会室に鍵をかけると、明日葉とふたりで職員室に向かった。


 篠原涼音、私立誠陵女子高校2年生で総合商社を始めとして、銀行や製造業、サービス業などを幅広く手掛ける大企業篠原グループの娘である。3人兄妹の末っ子として生まれた私は待望の女の子と言うことでそれはもう溺愛された育った。欲しいものは何でも買ってもらえたし、容姿だって女優だった美人の母親に似て可愛かった。篠原グループの娘として恥ずかしくないように勉強だって頑張って常にトップをキープしていた。

 そんな私はそれを当然のように誇り、性格は常に尊大、傲慢になったけれど、それが許される身分にあったから私の性格はますます尊大になっていった。

 それでもお金持ちの私の周りには人が集まってきたし、そのことは大いに私を喜ばせたけれどこの性格のせいで高校2年生になるまで初恋を知らずにいた。

 そんな私の前に現れたのが伊織だった。

 入学式のときに新入生代表として挨拶を読み上げた伊織に、私は一目惚れした。

 新入生代表はその年の入試で最高得点を取った生徒が担う役目で、当然私も1年生で入学するときに挨拶をした。

 初めて壇上に立った伊織はとても小さく、身長は140センチ台でマイクをかなり曲げなければならないくらいだったけれど、はきはきと挨拶を読み上げる伊織の姿に私は釘付けになった。

 小さな身体に可愛らしい容姿、そして頭脳明晰。

 何とか伊織とお近付きになりたい。

 そう思っていた私はもともと立候補するつもりでいた生徒会長選挙で生徒会長になったら、伊織を生徒会に誘おうと心に決めた。

 そうして私は5月の生徒会選挙で生徒会長に選ばれ、1年生の教室まで出向いて伊織を勧誘した。

 『僕でも役員が勤まるんでしょうか?』

 そう言った伊織を私はとにかく言葉を尽くして説得して、生徒会に入ることを承諾してもらった。

 そうして1ヶ月が過ぎたわけだけど、私と伊織の関係は生徒会長とその役員と言う立場以上のものにはならず、そのことを腐れ縁の幼馴染みである明日葉にからかわれることが多々あった。

 でもしょうがないじゃない?

 だって初恋なんだもの。

 普段は家柄や成績を鼻にかけてはいても、好きな相手の前では緊張を隠すのが精一杯。しかもその緊張を隠す方法がいつもの態度なのだから明日葉にからかわれるのもある意味仕方がない。

 それでも、同じ生徒会を構成するメンバーだ。

 これから1年間、次の生徒会選挙が行われるまでほぼ毎日生徒会の仕事で顔を合わせることができる。

 そして私はこの初恋を実らせてみせる!

 よく初恋は実らないとは言うけれど、幸い私には地位もお金も何でも持っている。

 そうしたものを最大限使って伊織といい仲になるのだ!

 そうした決意をほぼ毎日新たにして、生徒会室に向かう私だったけれどその決意は伊織を見ると早くも挫けてしまう。

 ボブカットの可愛い伊織の顔を見て、今日もよろしくお願いしますとちょっと鼻にかかった可愛らしい声音で言われるともうそれだけで舞い上がってしまう。

 それを必死で隠しながら生徒会長としての職務を全うしようとしてその日が終わる。

 そんなことを繰り返していて、自分の情けなさがイヤになるくらいだった。

 もっと伊織と仲良くなりたいのに、口をついて出てくるのは尊大な上から目線の言葉ばかりで、ちっとも可愛くない。それでも伊織はそんな私の言葉遣いや態度を気にする様子もなく、会長と言って慕ってくれる。それが唯一と言っていいくらいの救いだった。

 けれど我に秘策あり!

 今日はそれを実行に移すときだった。


「うわー、広いですねぇ」

「あたしの部屋の何倍あるのかしら、これ」

 伊織と静が私の部屋に入るなり感嘆の声を上げた。私の部屋に来たことがある明日葉と和馬はもう慣れているのでいちいち驚いたりしない。

 そう、今日の生徒会活動は私の家でやることにしたのだ。

 生徒会室は狭いプレハブの小屋で夏は暑いし、冬は隙間風で寒い。委員会の会議やクラス委員長会議などは教室を使ってやるからまだいい。でもプレハブ小屋だと季節によっては暑さ寒さが厳しい時期がある。今はまだ6月で過ごしやすいほうだけど、これから夏にかけて文化祭に忙しくなる前に一度は来てもらって慣れてもらおうと言う算段だった。

「これくらい広ければ気兼ねなくできるでしょう?」

 ふふんと得意げに語ると伊織は眉尻を下げた。

「でもこんなに立派だと気後れしちゃいますね。汚したりしたらどうしようとか思っちゃいます」

「べ、別にそんなこと気にしなくていいのよ! どうせ片付けるのはお手伝いさんなんだから!」

「お手伝いさんですか。つくづく会長とは住む世界が違うんだなぁって気がします」

 あぁ、何言ってるの、私! 伊織を委縮させてしまってどうするのよ!

 そうは思っても後の祭り。意気消沈しながら部屋で食事を摂るときのための大きなテーブルに案内し、そこで生徒会の仕事をやっつけることにする。

 しばらくは黙って生徒会活動に精を出す。ペンの音だけが響く中、ちらちら伊織を見てはいたけれどもう萎縮した感じは見受けられなくて、生徒会の仕事をこなしているように見える。

 そのことにホッとしているとドアがノックされた。

「どうぞ」

「お嬢さま、お茶をお持ちしました」

「お茶が入ったからちょっと休憩にしましょうか。うちの専属パティシエのお菓子よ」

「パティシエなんかがいるんですか!?」

「お茶を零したりしたらどうしよう……」

 静と伊織がまた不安そうにしてしまった。

 どうしてこう下級生を、さらには伊織を委縮させてしまうようなことを言ってしまうのかと壁に頭をぶつけたい気分だった。

「まぁまぁ、ここじゃこれが普通だから気兼ねなく、ね。涼香んちはお金は腐るほどあるから、少々粗相をしたところで誰も何も言わないわ」

「ですけど……」

「い、いいのよ! ここが使えなければ別の部屋で寝ればいいだけだし!」

「いったいいくつ部屋があるんでしょう……」

 いけない。また伊織に余計なことを吹き込んでしまった。

「んー? 部屋なら全部よぉ。伊織も静も知らないだろうから教えてあげるけど、ここは涼香だけの家なの。ほら、正門から車でここまで来たでしょう? そのときに別の邸宅は見えなかったかしら?」

「そう言われてみれば……」

「そういうこと。家族分の家がこの敷地にはあって、ここは涼香だけの家なの。だからここでどうしようと、どうなろうと涼香は別の部屋に行けばいいし、この家がなくなっても別の邸宅に行けばいいだけだからそんなに心配しなくても平気よ」

「そうは言っても人様の部屋を汚すなんて……」

「気にしない気にしない。わたしなんて幼いころからここに通ってるけど、粗相なんてレベルじゃないくらい盛大に汚したことがあるわ。でも涼香のお父さんは何も言わなかった。だからそんなに気負わなくても大丈夫よ」

「なら……」

「少し安心かも。ね、静ちゃん」

「うん」

 明日葉、フォローありがとう!

 少し緊張が解れた様子の下級生ふたりに安堵しつつ、お手伝いさんが淹れてくれた紅茶とシフォンケーキを食べる。食べながらも会話は生徒会に関わるもので、1年生のふたりはほぼ使いっ走りにしかなっていなかった体育祭のこともあってか、文化祭での活躍をお互い誓っていて、見ていると微笑ましかった。

 伊織と静は生徒会に入ってからとても仲がよくなったようで、クラスは違えどこうしてお茶の時間になっているときにはふたりでよく会話をしている。伊織は身長が140センチ台で小柄だけど、静は逆に170センチ近くあって、身長が高い。髪形も伊織がボブなのに対して、静は腰まであるロングヘアだ。20センチくらい身長差があるとハグするのにちょうどいいと聞いたことがあるけれど、あいにくと私の身長は154センチだからハグするのにはちょうどよくない。

 発育だって静はプロポーションがよくてモデルのようだけど、私はごくごく平均的な身体つきで、仲よさそうにしている静に秘かに嫉妬の火を燃やすことは多々あった。

 表面上は澄まして紅茶とケーキを食べてはいるものの、お茶を飲みながらこれからの生徒会活動に意欲を燃やすふたりが仲よさそうに話しているのを見ると私だって混ざりたいと思う。

「なぁに、羨ましそうに見てるのよ」

 そんな私の内心を読んだかのごとく明日葉が小声で話しかけてくる。

「べ、別に羨ましくなんか……」

「そう? でもこうして並んでると身長の高い静ちゃんに小柄な伊織ちゃんって絵になるわよねぇ」

「わ、私だって可愛さには自信があるわ」

「でも1年生にしては静ちゃんのあの大人っぽさと、可愛らしく小柄な伊織ちゃんっておんなじ生徒会で仲がいいし、そのうち付き合ったりなんかして……」

「そんなの私が許さないわっ!」

「わっ!」

「な、なんですか、会長」

 思わず大きな声を上げてしまって和馬や伊織がびっくりしている。

「な、何でもないわ。そ、それよりもどう? 我が家のパティシエの作ったケーキは」

「はい、とてもおいしいです」

「ですね。会長はこんなのを毎日食べてるんですか?」

「ま、まぁね」

「すごいです。なんだか夕飯のことを考えるとどんなのが出てくるんだろうって今から気後れしちゃいそうです」

 静がそんなふうに言ってきたので、ここは大丈夫だと言うところを見せないとと思って口を開く。

「ナイフとフォークの扱いさえ知っていれば大した食事じゃないわ」

「僕、ファミレスくらいでしか使ったことないです」

「あたしもだわ」

 不安そうに伊織と静が顔を見合わせる。

 あぁっ! もうっ! なんでまたこんなふうにしか言えないのよ! 私!

 地味に凹む。

「あぁ、大丈夫よ。どうせ大層な晩ご飯出てきたって箸を頼めば持ってきてもらえるわ。わたしなんかこの家でナイフとフォークなんか使ったことないわよ」

 けらけらと笑いながら明日葉がフォローを入れてくれる。

 ぐっじょぶ! 明日葉!

 確かに腐れ縁の幼馴染みの明日葉はよく遊びに来ては夕飯を食べて帰っていく。そのときにフランス料理だろうとイタリア料理だろうと明日葉は慣れているからの一言でいつも箸を使って食べていたなと思い出す。

「でもパティシエなんてのがいるんだったら、シェフもいるんじゃないですか?」

「それはそうね」

「じゃぁやっぱり作法に則ってナイフとフォークを使ったほうがいいんじゃないかなぁって思ったりもします」

「そんなの誰も気にしやしないわよ。どうしてもナイフとフォークを使いたいって言うんなら止めないけど、作法なんて気にする必要はないわ。ここは衆目のある格式高いレストランじゃないんだから。たかだか生徒会の先輩の家で晩ご飯をご馳走になるってだけなのに、そんなに肩肘張ってたらせっかくのおいしいご飯が台無しだわ」

「そ、そうよ! 我が家の自慢のシェフの料理をおいしくいただくのが一番なのよ!」

「会長と副会長はああ言ってるけど、どうする? 静ちゃん」

「副会長の言うとおりかも。せっかくなんだし、作ってくれた人にもおいしく食べたほうがいいんじゃないかな?」

「静ちゃんがそういうなら僕もそうしようかな」

「うん」

 にっこりと笑顔を交わす伊織と静にホッとする。

 それにしても静! 近付きすぎだ! 伊織も伊織で私には見せないようなそんな笑顔で話して!

 内心でむきーっとなりながらもお茶の時間は過ぎ、食べ終わってからお手伝いさんが食器を下げてくれたのを機に、生徒会の仕事を再開した。


 どこか伊織の態度がよそよそしくなった気がした。

 生徒会の仕事は真面目にやるし、頭もいいから飲み込みも早い。生徒会役員としては申し分のない働きをしてくれるし、私の指示にもちゃんと応えてくれる。

 でもどこか受け答えが素っ気ない感じがして、地味に凹んでいた。

「あー、あれじゃないの? この前涼香んち行ったじゃない? あれで住む世界が違うんだって思ったとか」

「去年和馬がうちに初めて来たときにはぜんぜん変わらなかったわよ」

「そりゃぁ和馬は図太いもん。でなきゃ予算でわいわい言われる会計なんて務まらないっての」

「そりゃそうかもしれないけど、もっとこうフレンドリーに接してほしいのになぁ」

「じゃぁその高いプライドをまず何とかしなさいな」

 ぐうの音も出ない。

 初めて伊織や静が私の家に来てからと言うもの、私の家がすごかっただの、夕食がおいしかっただのと褒めそやされるたびにどうだとばかりに威張り散らしていたのだから明日葉の言うこともむべなるかなと言うところだ。

 けれど明日葉の言うようにできるならもうとっくにしている。

 伊織ともっと仲良くなりたい。あわよくば恋人同士になりたいと願っているのだから、簡単に捨てられるプライドならもうとっくのとうに捨てている。

 それができないからこうして明日葉に相談しているわけであって……。

「はぁ……、涼香にもようやく春が来たと思ってみれば言うこと成すこと全部裏目に出てどうしようもないわね」

 ぐさっ!

「いいこと、伊織は頭はいいかもしれないけど、普通の女子高生なのよ? 住む世界が違うって思われて敬遠されたら近付くことはおろか、このまま生徒会長とただの役員で終わってしまうわ。その高いプライドをどうにかして、伊織ともっと接近するか、それともこのまま初恋のまま終わらせるかは涼香次第なのよ?」

「わかってるわよ……」

 口を尖らせて抗議するものの、長年培ってきたこの性格を簡単に直せれば苦労はしない。

「わかってるなら少しは努力したらどう?」

「しようとしてるわよ。でも思わず口をついて出ちゃうんだもん……」

「難儀ねぇ」

「そこでさ、明日葉に頼みがあるんだけど」

「何よ」

「私が何か言いそうになったら背中でもひっぱたいてよ。一度落ち着けば少しはフレンドリーな言葉のひとつも出ると思うし」

「はぁ? 何か言いそうになるたびにわたしがひっぱたくの? それじゃわたし、とんだ暴力女じゃない」

「他の方法でもいいから! お願い!」

 パイプ椅子をギシギシ言わせて明日葉は考える仕草をする。

 ごくりと生唾を飲んでその答えを待つことしばし……。

「涼香から頼まれごとをするなんて初めてだし、いいわ、何とかわたしなりに考えてみようじゃないの」

「ホント!?」

「でも何が起きても文句は言わないでよね。涼香が頼んだことなんだから」

「わかった。絶対言わない」

「じゃぁ頼まれてあげるわ」

「恩に着るわぁ」

「まぁ付き合いも長いしね。腐れ縁とは言え、幼馴染みの頼みだし、せっかく涼香にも春が来たんだから一肌脱いでもいいかと思うしね」

「じゃぁ今度何か欲しいものがあったら言ってね」

 満面の笑みでそういうと頭を叩かれた。

「そういうとこから改めなさい。物で釣られてるみたいで心外だわ」

「ごめん……」

「そういう素直なところがもっと見せられれば伊織の態度も変わると思うんだけどねぇ。なんでできないかなぁ」

「面目ない……」

「まぁいいわ。とにかく明日からビシビシ行くからそのつもりでいてよね」

「うん」

 やはり持つべきものは腐れ縁の幼馴染みだと思いつつ、明日葉とともに誰もいなくなっていた生徒会室を後にした。


 確かに翌日から何か言いそうになったときには明日葉がやらかしてくれた。

 それはお尻をつねったり、肘で脇腹を突っついたり、果ては本当に背中はおろか頭まで叩かれる始末だった。

 その私たちの様子に伊織も静も、そして和馬も不思議そうに見ていたけれど、それがずっと続いていくと慣れてきたのか気にしなくなって、私も不用意に高飛車な態度を取らずにすんでいた。

 けれど……。

「ホント、会長と副会長って仲がいいですよね」

 そんなことを伊織に言われてしまった。

「べ、別にふふ、普通よ!」

「動揺しすぎ」

 明日葉に小声で注意されて萎れる。

「まぁでも仲がいいのは当然と言えば当然ね。幼稚園のころからの幼馴染みだもの。それこそ幼稚園のお昼寝で涼香がおねしょしたことまで……」

「わーわーわー! なんてことをばらすのよ!」

「事実じゃない。泣きながら先生にママには言わないでって言ってたの、未だに覚えてるわよ」

「いますぐ記憶から消去しなさい」

 明日葉の胸倉を掴んで凄んでみせるけれど、明日葉は涼しい顔で受け流している。

 そんなときに伊織のくすくす笑いが聞こえた。

「ホント、仲がいいですよね。まるで夫婦みたい」

「夫婦!?」

「涼香とぉ? それはよしてよ。こんな傲慢高飛車なのと夫婦なんて死んでもごめんだわ」

「こっちこそ明日葉みたいな性悪となんてお断りよ!」

「そんなふうに言い合えるから夫婦って言われるんだと思うぜー」

「和馬は黙ってろ!」

「和馬、お口チャックね」

「ほら、やっぱり息ぴったり。ねぇ、静ちゃん」

「そうだね。付き合ってますって言われても信じちゃいそう」

「た、ただの腐れ縁よ!」

 確かに明日葉は数少ない私の友達だし、理解者だ。けれどそれだけであって付き合ってるとか濡れ衣も甚だしい。私が付き合いたいのは伊織のほうだ。

 けれど、それからと言うもの、何かにつけて私の高飛車発言を窘めるために明日葉がツッコミを入れてくれるせいもあって、生徒会室には笑顔が増えた。伊織もほとんど漫才と化した私と明日葉のやりとりと笑いながら見ていて、これはこれでフレンドリーな私を演出すると言う意図は図らずも達成できたのではないかと思えた。

 でもそれはとある日に打ち砕かれた。

 7月に入り、文化祭の準備がそろそろ本格化しそうなころ、生徒会室にペンケースを忘れて取りに戻ったときだった。

 生徒会室に人の気配があって、まだ誰か残っていただろうかと思って窓から覗いてみるとそこには伊織と静の姿があった。どちらかが私と同じように忘れ物でもしたのだろうかと思って入ろうとしたときにふと聞こえてしまったのだ。

「静ちゃん、動かないで」

「伊織ちゃん、こんなところでやるのは……」

「ダメよ。今じゃないと」

「でも……」

 そんな声が聞こえてきて、慌てて身を隠して窓から生徒会室を覗くと、パイプ椅子に座った静に伊織がのしかかるような体勢でいた。しかも顔が近い。伊織の右手は静の頬に当てられていて、どう考えてもキスをしようとしているようにしか見えなかった。

「怖いよ、伊織ちゃん……」

「大丈夫、僕に任せて」

 あの可愛らしい伊織のほうが攻めだったのか!

 と思う間もなく、私はその場から走り去っていた。

 確かに伊織と静は仲がよかった。でもその仲のよさは付き合っているから仲がよかったのだ。

 そのことを厳然とした事実として突き付けられて私は知らず泣いていた。

 家に帰っても涙が止まらなくて、でも誰かにこの気持ちをぶつけたくて明日葉に電話をして今日見た一部始終を話した。

「あちゃぁ……、とんでもないとこに居合わせちゃったわね」

「ぐす……、もう私の恋は終わったんだわ……。伊織と静が付き合ってたなんて……」

 きっと酷い顔をしているだろう。明日葉にだってこんな顔は見せたくない。電話でよかったとホントに思った。

「やっぱり初恋は実らないかぁ。でもいいこと、涼香、学校では知らぬ存ぜぬで通すのよ。明日すぐにできろなんて言わないけど、涼香は生徒会長なんだし、これから文化祭の準備で忙しくなる時期なんだから、生徒会長の涼香が仕事ができなくてどうするの」

「でも……でもぉ……」

「こういうときこそいつもの高飛車な態度を復活させるときでしょ。空元気でもいいから、そういうふうに振る舞いなさい」

「努力する……」

「学校以外だったらこうして愚痴でも泣き言でも聞いてあげるから。学校にいるときくらいはいつもの涼香でいなさいよね」

「うん……」

 でも立ち直れるか自信はなかった。

 それでも明日葉の言うとおり、普段通りに振る舞わないといけない。

 そのことだけはわかった。


 神さまはなんて意地悪なんだろうと思った。

 何とか空元気を発揮して生徒会長としての責務を全うして迎えた文化祭の日、生徒会としての見回りになんとくじ引きで私と伊織がペアになってしまったのだ。別のペアは明日葉と和馬、静は何かあったときの連絡係として生徒会室に残っていた。

「盛況ですね」

 賑やかな校内を見回っていると伊織がそんなふうに言ってきた。

「そうね……」

 私の気持ちなんて知らない伊織は文化祭の盛況ぶりを見てにこにこと笑顔でいる。自分たちが頑張ってここまでの文化祭を作り上げたのだと言う気持ちがあるのだろう。以前なら眩しい笑顔も今は憂鬱なだけだった。

「あ、会長、お化け屋敷ですって」

「そうね」

「入ってみませんか?」

「私たちは見回りに来てるのよ。そんな暇は……」

「いいじゃないですか。中を見てちゃんと企画通りにやっているかを見るのも見回りのひとつですよ」

 暗がりに伊織とふたりっきり。心躍るシチュエーションと言えなくもないけれど、それは伊織と静が付き合っていると言うことを知らなければの話だ。

 けれど伊織は渋っている私を引っ張ってお化け屋敷をしているクラスの受付に向かう。あまり人気がないのか、受付の生徒も暇そうにしていて、中からも悲鳴とかは聞こえてこない。

 伊織が生徒会である旨を告げてから私を引っ張って中に入る。暗幕で覆われた教室は段ボールで仕切られた簡単な迷路になっていて、おそらくそこにお化け役の生徒たちが待ち構えているのだろう。

 入り口で懐中電灯を渡されて、それを伊織が持って中に進んでいく。

 その段になって俄かに怖くなった。

 ぶっちゃけて言えば、私はこの手のお化けの類が苦手だったのだ。安っぽい作り物とわかってはいても、暗がりの中、懐中電灯だけの明かりで通路を進んでいく伊織の手を握ってびくびくしていた。

「ひゃぁっ!」

「ひぃっ!」

「うわぁっ!」

 お化け役の生徒が出てくるたびに悲鳴を上げてしまって、伊織に情けないところを見せていると言う自覚はあるものの、今さらこんなところを見せたところで伊織と付き合う目はないとわかっていたので、この際だから憂鬱さを発散させる意味でも悲鳴を上げ続けていた。

 ようやく出口に到達するころになって懐中電灯の明かりを消した伊織は、不意に私の前に回った。

「ねぇ、会長」

「何?」

「会長って僕のこと、好きですよね?」

「そりゃ同じ生徒会の仲間だもの」

「そう言う意味じゃなくて、恋愛感情としての好きです」

「……!」

 気付かれていた!?

 どうして? 告白なんてしてないし、伊織は私のことを明日葉と夫婦だとさんざん言ってきたくらいなのに、いつから気付いてたの!?

 言葉を失っていると、普段の可愛らしい伊織からは想像ができないくらい小悪魔ちっくな笑みを伊織は浮かべた。

「僕だってそんなに鈍くないですよ。ことあるごとに会長がぼくのほうを見ては副会長にからかわれてたことくらい知ってます。乙女の眼力を舐めてはいけませんよ。――それで、本当に僕のこと好きなんですよね?」

「……そうよ、私は伊織さんが好き。でもあなたは静さんと付き合ってるんじゃないの?」

「僕が静ちゃんと? それはないですよ」

「え? でも7月ごろに生徒会室で……」

「やっぱり見てたんですね。あれは静ちゃんが目にゴミが入ったから目薬を差してあげてただけですよ」

「キス…してたんじゃなかったの……?」

「僕と静ちゃんは仲のいい友達です。付き合ってるなんてことはありませんよ」

 早とちりだったのか!

 あの光景を見てからの自分の情けない態度や言動が恥ずかしくなって顔が赤くなる。

「会長って可愛いですよね。恋愛には臆病なクセに自分を大きく見せたいからいつも威張ってばかりで。それにお化けが怖いから今だって手を握ったまま離さないし」

 指摘されて慌てて手を離す。

 すると伊織は小柄な身体で精一杯背伸びをして、私の耳元で囁いた。

「会長、私と付き合いたいですか?」

「そりゃ…、付き合いたいわ。初恋だし、今は誤解だってわかったけど、それを知らなかったときだって伊織さんが好きだったわ」

「付き合ってもいいですよ――なんてね。僕は会長は好きですけど、それは恋愛感情としての好きじゃありません。でも、会長が僕のことをずっと好きでいてくれて、アタックしてくれれば僕もいつか会長のこと、もっと好きになるかもしれませんよ?」

 そう言われて目をぱちくりさせる。

「それはどういう意味……?」

「諦めないでいいってことです。人の心なんてどうなるかわからないんですから、会長は好きな気持ちをそのまま持ち続けて、僕の心を捕まえるように努力すればいいってことです」

「私、伊織さんに恋をしたままでいいの……?」

「はい。僕も誰かに好きでいてもらえることは嬉しいですし」

 そう言って背伸びをやめた伊織はくるりと反転して私に背中を向けた。

「でも、僕を落とすのは至難の業だと思いますよ。ノンケですから。それでもいいですか?」

 笑みを含んだ声で言われても私の気持ちは変わらなかった。

「もちろんよ。見てなさい! 絶対に伊織さんを私に振り向かせてみせるんだから!」

 好きなままでいいんだと言う安心感が私をいつもの尊大な私にさせていた。

 それに伊織はくすくす笑って振り返ると私の手を取った。

「じゃぁ見回りを再開しましょう。今日くらいはずっと手を握っててあげますから」

「こ、こんなことくらいじゃ満足しないんだから!」

「それでもいいですよ。僕を振り向かせるために頑張ってください、会長」

「もちろんよ!」

 失恋したと思っていたことがひっくり返されていつもの調子を取り戻した私は伊織に向けて宣戦布告をした。

「じゃぁ行きましょう」

「えぇ!」

 伊織と手を繋いでお化け屋敷の出口から出る。

 賑やかな喧騒に満ちた校内を私は笑みを浮かべて眺めた。

 これからだ。

 伊織は誰のものでもない。

 私の気持ち次第で伊織を私に振り向かせることができるかもしれないと言う希望が見えた私は、伊織の手の温もりを感じながら絶対に伊織と深い仲になってみせると決意を新たにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

高いプライドは災いの元 ウンジン・ダス @unfug

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ