第110話 帰り道
目の前の扉に手を翳すと、そびえ立つ巨大な扉はギィっと小さな音をたてて独りでに開いた。
続いているのは長い廊下。
先は真っ黒で何も見えない。
「さぁ、こちらへ。」
呼びかけてくるその声だけを頼りに、瑠衣は足早に進む。
「この場所に帰り道は無い・・・」
暗闇を進む間も、その声は静かに瑠衣に語りかけて来た。
「この場所は魂の粛正の場であり、安寧の場所。何者も干渉することは出来ない絶対的な神域・・・。だったのだがね、ある日小さな風穴が空いた。そんな事は世界が始まって以来初めての出来事でね、私はすぐに調査したんだよ。幸い穴は直ぐに塞がれて、冥府に大きな影響は無かった。・・・ただ一点を除いてね。」
低く唸るような冥府の番人・ヘルの声は、物語を聞かせる老婆の姿を彷彿させる。
降って来る姿なき声に耳を傾けながら、瑠衣は長い廊下を黙々と歩いた。
「風穴を塞いだ後に、私はその異変に気が付いた。この世界が誕生して最初にこの場所に送られた悪神、創造神と同等の力を持ったこの世の最悪。冥府のハジマリからこの場に存在した悪神ユグの御霊が、泉から消えていたんだ。もちろん私はすぐにそれを報告したよ。世界に最悪が解き放たれたのだ、放っておけるわけもない。だが、議会取り合ってはくれなかった。さらに、逃げ出したユグの御霊の行く先を知ってね、私はそれ以上追求を止めてしまった。」
後に続いた長い沈黙。
それとほぼ同時に、長い廊下は行き止まりになった。
「人間関わりを持ちすぎるのはやはり良くないねぇ。母性などという在りもしない幻想に酔い、私は我が子の罪を見逃してしまった。必要だったのは隠蔽ではな粛正であったというのにね。」
深いため息交じりの声。
ユグとは、ガーリェに憑いていた何かの事。
瑠衣自身も憑かれたから分かる。
アレは世界に解き放たれてはいけないものであったのだと。
だけど経緯なんてどうでもいい。
神界と人間界は常に干渉し合っている。
どちらかだけで成り立つものではない。
神の愚行だけが世界を破壊するわけではないし、人間の力だけで世界は救えないのだから、犯人探しなどするだけ無駄な事だ。
「私は・・・人間味ある神様が好きです。神様も悩んで、苦しんで、必死で世界を守ってるんだって知れた事が嬉しいです。力で人間黙らせる神様よりずっと、一緒に世界を作りたいって思えますから。」
共闘しなければ、この戦いには勝てない。
ならば少なくとも、一方的に瑠衣を消そうとして来た議会とやらの偉ぶった神々よりも、史郎やレンの話を聞きたいと思う。
むしろ、史郎やレンが神でよかったとすら思う。
その選択が相いれなかったとしても、彼らが世界の為に動いている事を知っているから。
「本当に。面白い子だねぇ。」
面白い事を言ったつまりはまるでないのだけれど、ヘルはとても穏やかな口調でそう言った。
未だ姿を現す様子の無い、ヘル。
おかげで瑠衣の中では、ほんわかとした可愛らしいおばあちゃんが、くしゃりと顔にしわを寄せて笑っていた。
「落ちて来た時から思っていたよ。強い光を持った歪な魂。残念だが、私には魂を地上へ送る術はない。だが、今再び、この場所に風穴が開いたようだからね。望むのならば、お前さんを呼ぶ声に応えてみると良い。」
ポウッと目の前の道が照らされた。
その先には道が3つ。
真っ暗で先の見えない道、薄暗くぼやけた視界の先に赤い花と波の音が聞こえる道、太陽が煌めき心地よい風が吹き抜けた明るい道。
「お前さんの道を進むが良い。例え逃げおおせたとしても、お前さん達の事は不問ととしよう。お前さんのように強くあれなかった、せめてもの償いじゃ。・・・健闘を祈る。」
結局、ヘルは最後まで姿を見せる事は無かった。
そこに意図があるのか無いのかは知らないけれど、用は済んだとばかりに止んだ声に、静寂だけが残される。
瑠衣は目の前に開かれた3つの選択肢をもう一度一つずつ確認した。
『私を呼ぶ声・・・私の道・・・』
ならばと瑠衣は、迷わず真ん中の、薄暗い道進んだ。
足を踏み入れた瞬間に、道を縁取るように咲いた花、彼岸花がポワンと優しく色づいた。
どうやら正解だったらしい。
いつか出会った祖父思いの優しい少女は、ちゃんと冥府へとたどり着いていた。
それを教えてくれる彼岸花に、どこか感慨深さを感じて感謝を述べる。
「ありがとう。璃子さん。」
照らされた足元の花が、瑠衣の礼に答えるように優しく揺れた。
優しい紅に囲まれた道の先には、再びの分かれ道。
今度は大きな木が3本、瑠衣の行方を阻んでいた。
桜の咲いた、ピンクの木。
赤い実のついた、リンゴの木。
カラフルな可愛い砂糖菓子のビンがぶら下がる、金平糖の木。
「コロボックルさん達が喜びそうな木ですね。」
こんな木があったなら、コロボックル達はキラキラと目を輝かせてよじ登りそうだなと、思わず浮かべた微笑み。
そのまま手を伸ばして、瑠衣はその木にぶら下がった小瓶を一つ手に取った。
――― ギィッ
木の幹に、人ひとりが通れそうな扉が現れて開いた。
残念ながら、「きらきら~」と出迎えてくれるコロボックルの姿は無かったけれど、手に持った小瓶のふたを開けて、扉横の切株の上にそれを置くと、瑠衣は扉の中を進んだ。
扉の中に広がっていたのは、いつぞやの地下ダンジョンの様な風景ではなく、無機質な長いトンネル。
その道に、敷き詰められているのは骨・・・のような物。
歩くたびに、ガザッ・・・バリっ・・・とと何かが砕け、嫌な感覚が足から伝わって、思わず引き返したくなるけれど、「大丈夫・・・これで合ってる」そう自分に言い聞かせ、瑠衣はただただその先を目指した。
『私のお家は・・・兄様のいる場所だから・・・』
覚えていないけれどその思いは今も変わらない。
いつだって、翔の元に帰りたい。
翔のいる場所に、寄り添っていたい。
きっと、幼い頃の自分もそうやって、ただただ翔の姿を追いかけていたのだろうと思う。
翔の話によれば、足元に転がる屍など、気にも留めずに、翔の元へと進んでいたらしいから、この選択は間違っていないはずだ。
『でもそれって、結構サイコパスな光景だよね・・・』
その光景を間近にして、翔は怖くなかったのだろうか。
『私だったら若干引いちゃうかもな・・・』
そんな事を考えて苦笑を浮かべていると、無機質なトンネルも終わりが見えた。
急に足元の感触が、不快感からサラサラと柔らかい物に変わる。
視界が開けて、籠っていた空気が一気に広がった。
日が昇る前の静かな夜。
不規則な波の音。
トンネルを抜けた先は、海岸だった。
暗がりの中、目を凝らして海を眺めた。
空と海が濃い青色に染まり、一つになりながら夜明けを待っている。
広がっているのは、大好きな人が、好きだと言った風景。
瑠璃色に染まる世界。
――― 瑠衣の色だな・・・ ―――
風に乗って聞こえる翔の声。
「はい。私の好きな瑠璃の色です。」
誰に言うでもなく、出た言葉。
――― ちゃんと帰ってこい ―――
「はい。約束しましたから。」
水平線の向こうから、ゆっくりゆっくりと日が昇って辺りを照らしていく。
その眩しいくらいの光に、瑠衣はそっと目を閉じるのだった。
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