15.いつもと違うエスコート

 エイヴリルは船内の案内図をトンと指差した。


「この船内図には三等船室がないのです。普通、甲板より下は二等船室と三等船室がたくさんあるはずです。それなのに、三等がなくて二等が不自然に広いのです」


「そういうことか。このヴィクトリア号は一般客にとっては移動手段でもあるが、それ以上に富裕層の遊び目的というところが大きいと聞いている。前公爵が繋がりを持っていたようにな」


「なるほど、そうでしたら三等船室がなく、二等船室が普通よりも広いのもおかしくありませんね」

「ああ……だが、念のために調べたほうがいいな。万一ということがある。地下一階の二等船室エリアは別の人間に行かせる」


 特別に人が隠れられるようなスペースがあるのではと推測するエイヴリルの意見を、ディランはすぐに理解し受け入れてくれたようだった。それから不思議そうに聞いてくる。


「しかし一般的な船室の広さをどうやって知ったんだ?」

「昨日、楽しみすぎて豪華客船の構造について書いてある本を一気に読んでしまいました! 船のつくりからエンジンの動かし方まで、とっても興味深かったです!」


 目を輝かせて答えたエイヴリルに、ディランは気の抜けたような顔をした。そしてグレイスに早口で命じる。


「グレイス、今度はクルーズ旅行をテーマにした恋愛小説をエイヴリルに渡してやってくれ。できるなら悪女が出ていないものを頼む」

「???」


 エイヴリルは、グレイスが「かしこまりました、旦那様」と応じるのを見つめながら首を傾げる。すると、ディランの顔が斜め上からずいと近づいた。


 息がかかりそうな距離に心臓が跳ねるが、ディランの表情は、ほんの少し拗ねているように見える。


「……せっかくの新婚旅行なのに、船の構造ばかり考えて楽しそうにしているからだ」

「あっ! も、申し訳ありません……!」


 慌ててあやまるエイヴリルに、ディランは拗ねたような表情を引っ込めていつもの公爵様らしい顔に戻った。


「ウェルカムパーティーでは私のそばに。今日は新婚旅行中のブロウ子爵夫妻になりきる。今ので、予定変更だ。エイヴリルには頑張ってもらうことに決めた」

「……?」


 ついさっきまでは「きみの身の安全の方が大事だ」とか「船旅を楽しんでくれていい」とか言っていたのに一体どういうことなのだろうか。


(もちろん、私もローレンス殿下に頼まれたお仕事を頑張るつもりではいるのですが!)


 ――その答えは、すぐにわかることになる。





 メインダイニングへと続く大きな階段を降りたエイヴリルは目を瞬く。


「ディラン様。私、こんなに広くて華やかな船をはじめて見ました……! いいえ、船に乗るのがはじめてなのでこの表現は正しくないかもしれません。ですが、とにかくわくわくします!」


 ヴィクトリア号のメインダイニングは五階分の吹き抜けのなかに造られているようだった。天井がとんでもなく高く、船の中とは思えないほどに開放感がある。


 メインダイニングでは立食形式のパーティが行われていた。吹き抜けに響き渡る管弦楽の演奏と、会場を照らすいくつもの明かり、たくさんの人々の話し声。とても賑やかだった。


 あちこちに目移りをし、ついキョロキョロと落ち着かなくなってしまったエイヴリルを見て、ディランは穏やかに目を細めたようだった。


「エイヴリル。手をこちらに」

「? はい?」


 エイヴリルはディランの肘を掴んでいたはずなのだが、なぜか急にその肘がなくなってしまった。代わりにディランが反対側の手を差し出してきたので、その手を取る。


 瞬間、腰のあたりに手を添えられたのがわかった。


「……ひゃっ!?」


 思わず声をあげてしまったエイヴリルに、ディランがおかしそうに笑う。


「エイヴリルは初々しい妻役としてぴったりだな」

「……!?」


 いつのまにか、いつもの肘に掴まる正式なエスコートの姿勢ではなく、ディランがエイヴリルの腰に手を回す、特に親しい仲で選ばれるカジュアルなエスコートの姿勢になっていた。もちろん、エイヴリルにとってはじめてのことだ。


(ディラン様はからかっていらっしゃいますね……!? 私がこういうことに慣れていないとお思いで!)


 それは確かにそうなのだが、新婚旅行中の仲睦まじいカップルを演じろというのなら受けて立ちたいと思う。


 しかも、乗船したときに新婚旅行中の夫婦に見えるのかと心配したエイヴリルに向けてディランは「自分に合わせて振る舞えば自然とそう見える」と言っていた。


 まさかこの歩き方もそのひとつなのだろうか。ならば、応じなくてはいけない。


(私は一時でも悪女を演じていたのですから大丈夫です。ここでその経験を活かすべきです!)


 いつもより近くてドキドキするなんて言っていられないのだ。しかし覚悟を決めた瞬間に、力が入りすぎてディランが進もうとするのとは別の方向にぐいと一歩踏み出してしまった。


 反射的に抱き寄せられることになってしまい、エイヴリルは心の中でまた悲鳴を上げる。


(ひゃあ!?)

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