第81話 どうやら誤解されたようです

 ランチェスター公爵家の本邸に到着したエイヴリルは、ぽかんと口を開けていた。


(どちらの貴族でも、王都のタウンハウスよりも領地の本邸は造りも規模も豪華なものです。しかしこれは桁違いなのでは……!?)


 王都のランチェスター公爵家の倍はありそうな大きさの白亜の宮殿が目前にそびえ立っている。そこへ、数十人の使用人がメインエントランスに整列し出迎える様は壮観だった。


「旦那様、おかえりなさいませ」

「「「おかえりなさいませ」」」


「!?!?!?」


 見事に揃った声に、エイヴリルはびくっと飛び上がってしまいそうになる。


(ランチェスター公爵領の規模や管理している財産、これまでの歴史から、王族並みのお城にお住まいとは予想していましたが、まさかここまでとは。外出や散策も気軽にとはいかなそうですね……)


 馬車から降りた後、屋敷の中までエスコートしてくれるディランに、こそっと聞いてみた。


「あの、ディラン様。門からここまでかなり時間がかかりましたね……?」

「敷地が広いからな。敷地内を散策する時は馬車を頼むといい」

「敷地内を馬車で!」

「明日には離れのほうも案内しよう。だが、到着したてですることが多いんだ。悪いが、母屋の案内はグレイスに頼んでもいいか?」

「もちろんですわ」


(……わくわくします……って、いけません)


 好奇心旺盛なのは自他ともに認めるところだ。けれど今回、エイヴリルはローレンスからディランの仕事をサポートすることを頼まれているのだ。


 この訪問は決してお遊びではない、と気合を入れ直したところで、使用人たちからひやりとした視線を感じた。皆、慇懃に振舞っているがどこか値踏みするような空気を感じる。


(悪女・エイヴリルの噂はしっかりここにも届いているようですが……王都のタウンハウスに到着した日にグレイスしか出迎えてくださらなかったことを考えると、状況はそんなに悪くありませんね)


 エイヴリルは彼らに穏やかな視線を送った後、屋敷に足を踏み入れたのだった。




 ということで、到着してすぐ、ディランは家令から不在中の報告を受けるため別行動することになった。


 客間に案内されたエイヴリルはすぐに楽な格好に着替えると、窓の外を覗き込む。


「わあ! このお屋敷のお庭はとっても広いですね。グレイス、一緒に散策しませんか?」

「いいですが……。エイヴリル様、その前にそのドレスはどうされたのですか」

「え? だめでしょうか」


 きょとんと首を傾げれば、グレイスは呆れたように顔を引き攣らせた。


「ご実家からお持ちになったお気に入りのドレスなのはわかりますが、少し年季が入りすぎです。次期公爵夫人としてここでお過ごしになるには向いていないかと」

「すみません……自然がいっぱいのところで過ごすには『動きやすいドレス』がちょうどいいかと思いまして」


 エイヴリルが着ているのは、アリンガム伯爵家時代からよそいき用として大切にしてきたクリーム色のドレスだ。確かにところどころ年季を感じさせるが、デザインとしてはそこまで古くないし気に入っている。


 いつもはエイヴリルを温かく見守ってくれているグレイスだったが、今日はどうしても納得がいかない様子だ。ふるふると震えながら聞いてくる。


「というか、その『動きやすいドレス』鞄からこっそり抜き取ったはずなのですが、どうしてお持ちなのですか……!?」

「あら、気がついたらクローゼットの奥の箱の中にしまわれていたので、詰め直しました」

「……」


 そういうことだった。


(ですが、私は次期公爵夫人としてここにきているのですから、グレイスが言うことはもっともです。また着替え直しましょう……)


 ディランと結婚することに決めたのだから、ふさわしい振る舞いが必要だ。しゅんとしてさっき持ってきたドレスをかけ終えたばかりのクローゼットを開けると、グレイスの呆れたような声がした。


「わかりました。これからお庭を散策に出かけるのですから、その『動きやすいドレス』が一番適しているかもしれません。ですが、今日だけに留めてくださいませ」

「グレイス……!」


 エイヴリルは優しいグレイスが好きだ。初対面の日、箒を持ったまま出迎えてぬるいお茶を淹れた彼女だったが、今ではこんなに仲良くなっている。それを思えば、この本邸で誤解を解くことはそう難しくないような気がしていた。


 ――その、数十分後までは。




(いけません。迷ってしまいました)


 数十分後、エイヴリルは広い敷地内にあるバラの生垣の中を一人でさまよっていた。


 今日はいいお天気だが風が強い。エイヴリルが被っていた帽子が飛ばされてグレイスが拾いに行ってくれたのだが、なかなか戻ってこなかったため探しに行ったところ、迷子になってしまったのだ。


(道なら、一度見れば覚えられるのですが……ここのお庭はお花も木も美しく揃えられていてすべてが同じ景色に見えます)


 しかも、歩いているうちに件の離れの方まで来てしまったのだ。


(離れは後日ディラン様が案内・紹介してくださるとおっしゃっていました。勝手に接触するわけにはまいりません。これ以上、近づかずに母屋の方に戻りましょう)


 そう思って方向転換したところで、声をかけられた。


「ねえ。あなた、新入りよね?」


 声の主はブラウンの髪をひとまとめにし、メイド服を着た使用人だった。シーツの入ったカゴを持ち、不機嫌そうにこちらを見ている。


「……ええ、まあそのようなものです」


 ランチェスター公爵家の一員としても、この本邸の一員としても一応は新入りで間違っていない。


 とりあえずうやむやにしつつにっこりと微笑めば、彼女はシーツの入ったカゴを地面に置くとエイヴリルの手をがっしりと掴んだ。


「――“今日の新入りはクリーム色のドレスを着たいいとこのお嬢さん”よね。遅いわよ!? 洗濯の手が足りなくて困ってたのよ! ほら、そんなところでお上品にボケっと突っ立ってないで行くわよ!?」

「……!?!?」

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