第64話 仮面舞踏会への誘い

「エイヴリル、私と一緒に仮面舞踏会へ出席してほしい」

「…………」


 ディランからの、まったく予想外すぎる場所への誘いにエイヴリルの思考は停止した。


 仮面舞踏会。それはエイヴリルの義妹コリンナが好んで遊びに行き、ついには身を破滅へと追い込んだ、大人の社交の場である。


(私が仮面舞踏会について知っていることといえば、コリンナがあられもない……いえ、セクシーなドレスで参加し、大体が朝まで戻らなかったということだけです)


 エイヴリルに話があるのは王太子ローレンスのはずだったが、いざ席に着くとディランが「自分で伝える」と言い出した。


 ローレンスから子ども扱いを受けるディランを見るのはちょっと好きだ。そんなほんわかした気持ちで会話を見守っていたところ、告げられたのがこの言葉である。


(ディラン様がローレンス様から直々にお仕事を頼まれることがあるというのは知っています。つまり、今度、ローレンス様は仮面舞踏会でのお仕事をお望みなのでしょう)


 仮面舞踏会は一人では行けないと聞いたことがある。コリンナが夜更けに窓や裏口から出ていくところを見たことがあるが、その先には大体エスコート役の男性が迎えに来ていた。


(きっと、お一人では参加できないから私を選ばれたのですね)


 ディランが心配そうな顔をしていたのも納得である。しかし、自分に仮面舞踏会で期待されているような振る舞いはできるのだろうか。


(いえ、私はついこの前まで王都でも有名な悪女でした。まずは快諾しましょう。狼狽えているところをお見せするわけにはいきません……!)


 一秒に満たない間にいろいろなことを考え少し不安になったものの、エイヴリルは決意して顔を上げた。


「かしこまりました。今回は私が仮面舞踏会をご案内差し上げますわ。悪女ですので」

「いや、今回はそういうことではなくてまずは話を」


 エイヴリルが前のめりに答えすぎたのか、ディランは明らかに困惑顔である。そこへ、二人の会話をくつくつと笑いながら見守っていたローレンスが割って入った。


「ディラン……ランチェスター公爵に探ってきてほしい情報があるんだ。エイヴリル嬢には同行を頼みたい。なに、君にとってはそんなに難しいことではないさ」

「問題ありませんわ。完璧なご案内を」


(つまり、悪女慣れした私を同行させることでディラン様を会場になじませる狙いがあるのでしょうか。それならば納得です)


 真剣に頷くと、背後でクリスが噴き出す気配がした。エイヴリルがちらりとそちらを見ると、クリスはにっこりと笑ってくれた。


 馬鹿にされているわけではないのはわかるが、まさに子どもを見るような目である。彼とエイヴリルは年齢が三歳ほどしか変わらないのではなかったか。微妙な気持ちになったところで、そのやりとりを隣で見ていたディランが首を振った。


「……やはり心配だ。私一人で行く」

「大丈夫ですわ! 私はまもなく正式にランチェスター公爵夫人になります。それに、契約書にも『二、妻はランチェスター公爵家の品位を保つための活動に協力する』、とありましたもの。ぜひご一緒させてください」

「…………」


『公爵夫人』『妻』を強調し、つんとすまして答えれば、ディランは瞬き多めになり黙ってしまった。クリスからは「エイヴリル様はよくわかっていらっしゃる。さすが悪女ですね」という褒め言葉が聞こえたが、ちょっと意味がわからない。


 何となく強引に話がまとまったところで、ずっと妖艶に微笑んでいたアレクサンドラが手にしていた扇子をぱちりと閉じた。


「ふふっ。王都の仮面舞踏会は、少し格式が高く毛色が違いましてよ。エイヴリル様ならきっと楽しめるはずですわ。ご一緒できないのが残念ですわ」


(毛色が違う、とは何でしょうか……?)


 そもそも、仮面舞踏会へ行ったことがないエイヴリルには普通の仮面舞踏会のことがわからない。コリンナが夜な夜な出かけていき、翌日には見知らぬ殿方に送られて帰ってくる場所だ。その、真ん中あたりの重要なところが抜けている。


 けれど、ぱちぱちと目を瞬いているうちに、話題は別のことへと移ってしまったのだった。


 ◇


 それからの数週間、エイヴリルは仮面舞踏会への参加に備えることとなった。一番大変だったのは、ダンスの練習である。


 エイヴリルは令嬢としてのマナーは一通り教わり、教養も身につけていた。けれど、ダンスだけはそういうわけにいかなかった。


「いいですか。ダンスがほぼ初めてということですが、手加減はいたしません。遊び呆けて身分にふさわしい教養を身につけてこなかったあなたの自業自得なのですから」

「はい……!」


 ディランに言いつけられ、クリスの手配でやってきたダンスの先生は上品な女性だった。聞けば、エイヴリルと同じ年頃の子息がいるのだという。神経質そうに見える形ばかりの笑みの向こうには、少しの侮蔑がのぞいている。


 どうやら世間の評判を信じエイヴリルを悪女だと勘違いしているらしかったが、別に問題はないのでそのままにしておくことにした。


(こんなふうにきちんとダンスを教えていただけるのは初めてだもの。仮面舞踏会でディラン様をエスコートできるよう、がんばります……!)

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