第39話 想像とは違う類の手伝いを頼まれました
お手伝い、と称してエイヴリルが連れてこられたのはディランの書斎だった。
ここはアリンガム伯爵家の父親が使っていた書斎の数倍以上の広さがある。ディランの執務机のほか、クリスや他の側近たちのものと想像できる机に、重厚な応接セット。
調度品も落ち着いたデザインのもので揃えられており、白い大理石の内装が煌びやかな白亜の城の中で少し違う空気が漂う部屋である。
(この書斎、私はとても好きです……!)
昨夜に引き続きエイヴリルが深く深呼吸をしていると、ディランが微笑みを向けてくる。
「ここは気に入ったか」
「はい、とても」
「ではそこに座って好きに過ごすといい。部屋は出入り自由だが、私室に戻るときや屋敷内を移動するときはクリスに伝えるように」
(そこ、って……)
指されたのは、座り心地のよさそうなふかふかソファの応接セットだった。すっかり手伝いをする気だったエイヴリルは首を傾げる。
(これでは……お手伝いにはなりませんね……)
「ただいまお茶をお持ちいたしますね」
「えっ……あの」
エイヴリルが止めるのも聞かずメイドがにっこりと笑って出ていく。ちなみに、エイヴリルがこの屋敷に来た初日に冷めたお茶を注いでいたメイドだった。
どういうこと、と頭を捻ると、応接セットのテーブルには貴族女性に人気の物語や詩集が並んでいた。
(ここはお仕事のお部屋のはずですが……。どうして私をここに)
あまりの状況にますます意味がわからないでいると、近くで様子を見守っていたらしいクリスが小声で教えてくれる。
「エイヴリル様がいらっしゃるとディラン様のお仕事が捗るからでしょうね。確かにわかる気はします」
「!? クリス様、どうして急にそんなことをおっしゃるのですか!?」
「しっかりと声に出してお話しになっていらっしゃいました」
「まあ」
思ったことをそのまま喋ってしまうことがあるのは悪いくせである。エイヴリルは慌てて口を引き結ぶ。
そして、エイヴリルがどんなに遠慮したところでディランはさっきの『エイヴリル専用ライブラリー』に本をたくさん詰め込むつもりらしい。
その証拠に、さっきクリスは恐ろしい数の本を発注していた。エイヴリルは止めに入ったが、『あなたがここに来たばかりの時にブティックでお買い上げになったジュエリーに比べたら些細なお買い物ですよ』と言われて足が竦んでしまった。
(あのネックレスはおいくらだったのかしら……)
プレゼントしてもらえてよかった。いや違った。けれど、この家を出ていくときには結局置いていくことになるのだから問題はないのかもしれない。やはりどう考えても慰謝料の減額だけが心配すぎる。
ぼうっとしていたエイヴリルが意識を取り戻すと、数枚の書類がひらりと飛んできた。
「!」
「エイヴリル、済まない。それは私のだ」
「いえ、問題ありませんわ」
窓が開いていたために風で飛ばされてしまったらしい。ディランが立ち上がって取りに来る前に、エイヴリルはさっと書類を拾い上げる。そして、執務机のところまで歩きながら順番を整え未決裁の箱に戻した。
エイヴリルにとっては自然な動作だったのだが、注意深く見守っていたらしいディランは急に真剣な表情をする。
「……やはり、こういった書類の扱いに随分慣れているようだな」
「はい? 悪女ですけれど」
アリンガム伯爵家ではいつも通りの動きだったので、エイヴリルにはディランの意図が掴めない。目を瞬いているとディランはエイヴリルの『悪女だ』という主張を無視して聞いてくる。
「エイヴリルがここで手伝いをするなら、どんなことができる」
「そうですね……。雑用、でしょうか。お任せいただけるのであれば今すぐに」
慰謝料の減額だけは勘弁してもらいたい。とにかく何か手伝いを。
ニッコリ笑って両手を差し出すと、ディランはその手にエイヴリルがたった今箱に返却したばかりの書類をのせてきた。
「なるほど。秘書のような働きをしてくれるということか」
「!? ええと……少しは得意なこともあるのですが、ここでの私にはその権限がありませんから。……それで、私はこの書類に何をしたら良いのでしょうか?」
明らかに雑用とは毛色の違う書類を渡されてしまった。一体どういうことなのか。
(さっきちらりと見えたのだけれど……これは嘆願書だわ。しかも、普通なら受け入れることが難しい類の)
エイヴリルはランチェスター公爵家とは契約上の関係だ。だから、こういった書類を詳しく見てはいけないと思っている。
『一度見たら大体覚えてしまうし忘れない』は便利そうに思えてそうでないことも多い。だからこそ、アリンガム伯爵家では忌み嫌われたのだろう。
そのことを思い出してなるべく書類を見ないようにするエイヴリルに、ディランはふっと笑った。
「この件に関しては何とかしてやりたいところなのだが、策がなくてな」
その笑顔は、エイヴリルが知る父親の『領主』の表情とはあまりにも違っていて、つい数秒前までの躊躇が消えていく。
(……わかりました。これは、“お手伝い”ですね……!)
「拝見してもよろしいでしょうか」
関わってはいけないとわかっているはずなのに、エイヴリルは頷いて書類に視線を落としていた。
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