第23話 公爵様はさらにお怒りです
◇
――その、一時間ほど前のこと。
身支度を終えたディランの前に、トレーに載った手紙が差し出された。
「ディラン様。アリンガム伯爵家――エイヴリル様のご実家からお手紙です」
「ああ」
ディランはそれをクリスから受け取ると内容に目を通し、驚いた。
「……何だこれは」
「一体、何が書かれておいでで」
「支度金の催促だ。クリスも読んでみろ。一見、丁寧な文章で書かれているように思えるが、言っていることを端的に抜き出すとひどい暴言が続いている」
「本当ですね。『早く支度金を振り込んでほしい』『約束が違う』『それが無理なら娘を返せ』……エイヴリル様が嫁いできてから初めての手紙なのに、娘を心配する言葉は一つもありません」
「一応、エイヴリルに確認してくる。……クリスはついてこなくていい」
「承知いたしました」
クリスを置いて、ディランは離れへと向かう。
(最大限に取り繕うはずの私宛の手紙に、あそこまで娘を物として扱う感覚が透けて見えるとは)
(――半信半疑だったが、エイヴリルが不思議な行動をとっている理由がわかった)
◇
手紙を目にしたエイヴリルは硬いパンを置く。どうやらあまり楽しい内容ではないらしい……と推測したところでハッとした。
(もしかして、アカデミーからの補佐が派遣される前に私がクローゼットの中に残してきた書類が見つかってしまったのかもしれないわ)
エイヴリルはアリンガム伯爵家を出る際に、家の立て直しの鍵になる書類をわかりやすくまとめて隠してきた。その在り処は使用人仲間のキーラにだけ教えてあり、いざとなれば外の人間に提示できるようになっている。
けれど、それが両親もしくはコリンナに見つかってしまったらおしまいである。
(お父様もお継母様もコリンナも、小さな字を読むのがお好きではないから……大丈夫だとは思うのだけれど)
そう思いながら手紙の宛名を確認する。そこにはディランの名が書いてあった。もし書類を見つけていたら、この手紙はエイヴリル宛てのはずだ。
あの三人が細かいことが苦手なタイプで本当によかった、とエイヴリルは微笑んでみせる。
「それで、ディラン様。このお手紙には何と?」
「支度金を早く支払ってほしい、とだけ書いてある。それは別に構わないのだが、エイヴリルの意思を確認しに来た。君は、支度金をこちらで管理してほしいと言っていたからな」
「そういうことでしたら、もし可能ならこの手紙を無視していただいてもよろしいでしょうか」
「ああわかった。それならば読まなかったことにしよう」
(まあ)
あまりにもディランは物わかりがいい。エイヴリルが目を瞬いていると、彼は続けて数枚の書類を取り出した。
「……そういえば、アカデミーからアリンガム伯爵家で雇うのに良さそうな補佐のリストが送られてきている。どの人間も優秀で、出自も確かだ。たとえ金銭に関わることを任せても心配ない人間をピックアップしてもらった」
「……ありがとうございます……」
(ここまでしてくださるなんて)
正直なところ、エイヴリルはディランがここまでしてくれるとは思っていなかった。彼は若くして公爵家の当主になったばかりである。しかも、エイヴリルとは契約上の関係にすぎないのだ。
(ご自分のこともお忙しいでしょうに……私のことまで)
ぽかんとして悪女のふりを忘れてしまったエイヴリルに、ディランは聞いてくる。
「アリンガム伯爵はどのような人だ」
「……そうですね。お父様はよく言えば楽観的で、どんなときでも自分が楽で簡単な方を選んでしまうお方です。ですから、お父様にお仕事をお渡しするときは、ちょっとコツが必要で」
「……仕事を渡す。なるほど」
ディランの眼差しが射るようなものになり、また自分自身の視線も鋭くなっていることにエイヴリルは気づかない。
「例えば、今年の農作物の収穫量は決して望ましいものではないでしょう。昨年の干ばつの影響が響いて、領民は疲弊しています。けれど、お父様は気づいていない。進言しましたが、聞き入れられることはありませんでした。いつも通り、税を取り立てる気でいます」
「その通りだな。アリンガム伯爵領と離れてはいるが、ランチェスター公爵領も似たようなものだ。今年と来年が厳しいものになるのは避けられない」
「……使用人の皆様に関してもそうですわ。私、ディラン様がこちらにお勤めの皆様のお名前をフルネームで暗記していることをとても驚きました。屋敷を任せる相手のことを知り、尊重するのはお互いにとても大切なことです。……代々勤めてくださっている方々の優しさに甘えてはいけません」
「…………。」
ディランは何も言わずにじっと話を聞いてくれている。だから、エイヴリルもつい心情を吐露してしまった。
「今回の縁談に飛びついたことからもわかるように、アリンガム伯爵家は健全な状態ではありません。私は、残してきた使用人の皆だけが心配で、」
「わかった。そういうことなら、考慮しよう。君の部屋は離れまるごとだ。そこで働く使用人は、好きなだけ実家から連れてくるといい」
「……え?」
自分でも間抜けな声が漏れた。間違いなく悪女ではなかった。呆気に取られているエイヴリルに、ディランは事もなげに告げてくる。
「必要なら、別の屋敷で働くための紹介状も書こう」
「え、あの、ディラン様……?」
今、ディランがエイヴリルに提示してくれた条件はこれ以上ないものだった。一体何がどうなってこんな話になったのか。
(ディラン様は……お優しいを通り越して神様なのでは?)
「それよりも」
表情だけなく頭の中まで呆けてしまったエイヴリルに、緊張感の混ざった声が投げかけられる。ディランの手の中で、父親からの手紙がくしゃくしゃになって潰れていた。
改めてディランの顔を見ると、その空色の瞳には怒りすら浮かんでいる。
「――エイヴリル、君を無能の悪女と言ったのは誰だ? 許さない」
「……ええと、あの……?」
一応、完璧に悪女を演じてきたつもりのエイヴリルには、青天の霹靂だった。
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