第19話 お茶会③
詩の暗唱は、この国の淑女にとって重要な嗜みだ。教養の深さをあらわすために、お茶会などではよく詩の暗唱が行われる。イコール育ちの良さや個人の評価にも直結するため、どこの家でも競うようにして教えるものだ。
(詩の暗唱でしょうか……コリンナは間違いなく苦手だったわ)
コリンナは詩の暗唱などできなかった。暗唱どころか、スラスラ読み上げることも苦手なレベルである。となると、ここにいるエイヴリルもそれに倣うしかない。
(何とか、罵倒していただいてこの場を切り抜けましょう)
そうと決まれば話は早かった。
「何でもいいわ。お好きな詩を聞かせてくださる?」
「無理ですわ。何にも思い出せませんので」
罵倒で切り抜けるため、にべもなく断ったエイヴリルだったが、意外なことにアレクサンドラには引き下がる様子がない。
「あらそう。それならいいわ。――陽が落ちる夕べに」
「満ちるは木の葉の輝き茜色の斜陽想うは幼き日の懸想かの人は言った決して帰らぬことを囚われるは望郷の念闇が埋め尽くす夜半の月涙他人の声待ち人は近づく星は落ちずただそこにある記憶の彼方は金木犀の香りそして朝を待つ」
「知っているわね。しかも、これは有名な方のものだけれどあまり知られていないニッチな詩だわ。それを丸暗記のレベルで。すごいわ」
「……あぁっ」
気がついたら、アレクサンドラが口にした詩の続きをきりのいいところまで暗唱してしまっていた。
(……!? どうしてこんなことに!)
たまに考えたことがそのまま口に出てしまうのは、エイヴリルの悪い癖だった。
(だって、ちょうど好きな詩の一節だったんだもの)
エイヴリルに詩の暗唱を披露する機会はなかったが、読む機会はあったし自分でも好きだった。内容を暗記するのも、物覚えのいいエイヴリルにとっては造作もないことである。
がっくりとうなだれるエイヴリルに、アレクサンドラがなぜか勝ち誇ったように告げてきた。
「しかもね。私が今口にしたのは、古典語のほうだったのよ。気がついたかしら? あなた、きちんと古典語で続けたわね。発音まで素晴らしかったわ」
「!?」
(……アレクサンドラ様って策士だわ。 さすが才媛! と感動している場合ではなかった……)
引っかけ方から見て、アレクサンドラがエイヴリルを悪女と思っていないのは明白だった。
(罵倒してほしい……)
けれど無理なようである。エイヴリルの切実な願いもむなしく、アレクサンドラは本題に入った。
「私の元婚約者は、少し頭の足りない人だったの。仮面舞踏会なんていうおかしな場に参加して、遊び相手を探していたらしいわ」
「……」
「その世界では評判の悪女に引っかかったらしくて婚約を解消することになったのだけれど……そのせいで、子どもの頃から存在自体がうるさかった王太子殿下と婚約することになって散々だわ。……ってこれは今お話しすることではなかったわね」
コホン、と咳払いをしてアレクサンドラは続ける。
「それで。どうしてあなたが悪女だなんて言われているのかしら。どう考えてもおかしすぎるのだけれど」
「いえ、私は至らないところもありますが、本当に悪女で、」
何とかアピールをしたいところだったが、手持ちの札が少なすぎる。今日はクリスが選んだ公爵夫人にふさわしいドレスを着ているし、口紅の色も薄い。
せめて男性でも周囲に侍っていればと思ったが、つい先ほどまでエイヴリルと一緒にいたディランとクリスは、夫となる人とその側近である。
(さようなら……素敵な契約に基づく、私の自由な人生……)
エイヴリルが本当のことを話す覚悟を決めているところで。アレクサンドラは、テーブルの上のお皿に載ったリンゴを片手で持ったようだった。そして。
――そのままぐしゃりと握りつぶした。
「――!?!?」
(才媛が……リンゴを片手でお潰しになる)
目を瞬いたエイヴリルだったが、アレクサンドラは花のように可憐な微笑みを湛えて言い放った。
「私ね。幼少の頃から持て囃されてきたの。そのような中で知った、私よりも賢い女の子ってどんな子なのかなってずっと思っていたのよ」
「……はい?」
「いわば、あなたは私の原動力みたいなものだったの。お父様の反対を押し切ってアカデミーに通ったのも、きっとあなたもやってくると思っていたからよ」
「あの……アレクサンドラ様?」
話の向きが見えない。ぽかんと首を傾げたエイヴリルの前で、アレクサンドラは続ける。
「それなのに、そのご令嬢にやっと会えたと思ったら、評判が最悪の悪女ですって? 一体どういうことなのかしら。あなたにきちんとした教育を与えず、悪女だなんておかしなレッテルを貼ったのは誰なの? 私が、その
(……あの。悪女になりたいのは……私の意志なのだけれど。そして)
(アレクサンドラ様って……少しイメージが違うのね……)
穏やかで優しい淑女の手本は一体どこに行ってしまったのか。
呆気に取られているエイヴリルの前で、アレクサンドラは手をハンカチで拭くと、リンゴの惨状に似つかわしくない微笑みを向けてくれたのだった。
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