目から鱗の面談内容

 まず、私にコンタクトを取っていただいた理由としては、受賞作の内容が医療現場の話としてリアルだったからということだった。確かに医療系のような専門的な内容は、通常は取材をしなければ詳細は書けない。聞いた話によると、場合によっては年単位の時間がかかるそうだ。確かに、私は刑事モノや裁判モノは全くわからない。何となく書くと稚拙な内容になってしまう。

 また、仮に取材を一生懸命したとしても、やはり作者が経験者でないため、何となく恋愛やその他をメインにした話に偏ってしまうのだそうだ。その点、医療関係者であれば取材をしなくてすむ、つまり膨大な取材の時間を省け、かつリアルを踏まえた話という比較的新たなジャンルを切り拓けるかもしれない、ということだった。


 このあたりで確認しなければならないことがある。

 今回は「あなたの作品を漫画原作とします」という話ではなく、現時点ではほぼまっさらな状態で、今後話をしていくうえで、何らかの形になりそうだったら、やってみましょうか、という位置付けである。つまり、絵で言えば、画用紙と絵の具はある程度決まっているが、その内容はほぼまっさらな状態。その絵を売りに出すかどうかすら決まっていない、ということは認識しておかなければならない。


 全ては結果次第。ある意味試されているのだと思うと、武者震いがした。

  

 私が気になっていたのは、ターゲットもさることながら、編集者の方はどのような視点を意識されているのか、という点だ。詳細は省くが、H様のターゲットとする読者層をお聞きし、それに伴って必要とされるポイントを教えていただいた。

 これは時代に限らない点もあったが、今だからこそ注目されている点もあった。拙作に興味を持っていただいた理由の一つにマイクラがあったからともおっしゃっていただいた。

 また、ありがたいことに、医療系の話としてはまさに「天使のあいさつ」をすでに私は書いており、その最初の方を読んでくださっていた。その内容についてもご指摘もいただいた。

 これはプロの感想であるので、通常であれば4、5枚で¥6000程度、10枚(4000字)であれば¥12000。いくつかのエピソードだけで数万円を優に超えてしまうのだ。それをタダでご意見をいただけたのは貴重なことだろう。このご指摘がこれまた目から鱗で、非常に参考になった。いくつかを抜粋したい。


<主人公>

 主人公はもっとクセがあったほうがいい。例えば弁護士もの(ピッコマ)「しょせん他人ごとですから」の主人公はそのままのスタンス。クライアントのことを考えてくれると思っていた弁護士がドライな対応をするが、いざ仕事となるとテキパキときっちりと仕事をこなす。このように通常のイメージとは異なるキャラはインパクトがある。

 他に例えば、すごく出来る人なんだけど、弱みを持っている。逆に、できが悪くて、ダメダメなのに、あるところですごい能力を発揮する、など。

 キャラ設定についてはなんとなくわかってはいたが、たしかに裕太は思い入れがあって、甘やかしていた分、キャラの立ち具合は緩かったかもしれない。


 千賀、九条、桐生のイメージはできた(それ以外は、つまりはキャラとしてはぼんやりしているということ)。 それはおそらくその人物の背景などはしっかり出来上がっているからだろう。(むしろあっちが主人公でもいいのかもしれない)。今の主人公(裕太)を使うならとことんダメさ加減を追求した方がいい。


→確かに九条というキャラは、なんでもできちゃうキャラ。コードブルーで言えば(見ていないが)山Pだろうか。ドライで、患者さんにも冷たい。どちらかというと自分(作者)が毛嫌いするタイプだった。だからこそ主人公にはなり得なかった(感情移入ができない)。


 一方で、キャラとしては先程の流れで言うと、なかなか立ったものになるかもしれない。ツンとしたキャラが自分で感情移入できないなら、そのツンに自分なりに意味づけができれば、作者として彼を取り込んで主人公にできるかもしれない。(ドライになった理由が過去にあって、本当はそんな人ではなかった、など?)


<テーマ>

 医療系では、医者同士の人間関係より、患者さんの話を聞きたいだろう。なぜなら、読んでいる人の多くは患者さんだから。

→なるほど、と思わず唸ってしまった。確かに同業者向けの話になっていた気がする。読者のほとんどは非医療従事者なのだ。


 小児科がテーマなら、読者はお母さんか。であれば、お母さんは何を知りたいか、何に興味を持っているか。そこを汲み取ることができれば需要につながるかもしれない。(それが何なのかはまだまったくの白紙状態)


 私の強みは専門知識と経験を持っていること。逆に弱みは一般の方の知っていること、知らないことが分かりにくいこと。おそらくこの辺りをH様と意見をぶつけ合いながら、練っていって、まさに粘土をこねるようにぶつけ合って作っていくのだろう。


 ここまできて、これはまさに年単位の話かもしれない、と思った。よく「編集者様と二人三脚でこの作品を作ってきました」というセリフを聞くが、そのことが良くわかった気がする。


 それと同時に初めからずっと気になっていたことがある。

 私はいつか見捨てられるのか、ということだ。それについても思い切って聞いてみた。


Q:このやりとりはいつかもう終わりにしましょう、と言われることがあるんでしょうか?


 自分としてはひたすら食らい付いていく気満々だが、あるところで、申し訳ありませんが、ここまでにしましょう、と言われるのではないか、ということだ。


 これについてはいくつかのパターンがあるとのことだった。これはまさに人が人と「付き合う」のと似ていると思った。


 次はその「終わり」のパターンについて述べる。

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