『メトロ2033』(ドミトリー・グルホフスキー)の場合

日が暮れるよりも、少し前の時刻のことだった。


大統領が執務室で一人、

机に向かって、

溜まっていた書類に目を通していたとき、


物凄い爆発音が響き渡り、

執務室の壁のひとつが、

大統領の目の前で崩れ落ちた。


その衝撃波で、大統領は椅子ごと、

後ろに吹っ飛ばされる。


無意識のうちに、

大統領のアタマに浮かんだのは、

かつて習得した、日本の「柔道」なる武術のコトバ、

「ウケミ!」

であった。


大統領は床にひっくり返る瞬間に、

見事な受け身をとって、

全身、埃まみれとなりつつも、

ケガひとつなく済んだ。


床にひっくり返ったまま、

なんとか顔を起こして様子を見ると。


崩れた壁の穴から、

なんと!

トロッコが突進してきた!


トロッコの上には、

数名の、顔が黒く汚れ、

ボロボロの服を着た若者が、

カラシニコフ銃を抱えて乗っていた。


「停まれ!停車だ!停車しろ!」

トロッコの隊長が叫んだものの、

線路のない執務室の床を滑ってくるトロッコに、

ブレーキもくそもない。


トロッコは、大統領の見ている前で、

執務室の別の壁にぶつかって、轟音を立て、

それで、ようやく、停まった。


「なにごとだ!」

あまりの突然の事態に、

大統領は悲鳴に近い声を上げる。


トロッコに乗っていた若者たちは、

ひらりと乗物から飛び降り、

カラシニコフ銃を一斉に、大統領に向けてきた。


隊長「待て!撃つな!どうやら相手は人間のようだ!」


若者「なんだって!」


若者の一人がすっとんきょうな声をあげる。


若者「隊長、ここは地上でしょう?クレムリンの中でしょう?

クレムリンに人類が生き残っているわけがない!」


隊長「落ち着くんだ。まずはこの男の名前を聞いてみよう!」


隊長と呼ばれた、彼らの中では年上となる男は、

埃まみれになっている大統領の方に歩み寄った。


隊長「いや、失礼した。

てっきり、クレムリンもミュータントたちの

巣窟になっていると思い、掃討に来たのだが。

君、名前は何というのかな?」


大統領「名前をなんというのか、だと?

2022年のこの現代に、

私のことを知らないロシア人がいるのか??」


立腹した大統領がそう叫ぶと、

それを聞いた若者たちに、動揺が走った。


若者「2022年だって?」


隊長「信じられん!だが、おかげで、

なんとなく、事態が呑み込めて来たぞ!

我々はどうやら、2033年から

タイムスリップをしてしまったようだ。

ここは11年前のモスクワだ!

つまり諸君、、、核戦争の起こる前の時代だよ!」


大統領「なんだと?核戦争だって?」


ぽかんとしている大統領を尻目に、

隊長は若者の一人に、声をかけた。


隊長「おいアンチョム!

この男の手当てをしてやれ。

他の者は休憩だ!」


アンチョムと呼ばれた若者が、

大統領の側に歩み寄り、

足や腕が折れていないかを確認した上で、

ゆっくりと、椅子に腰かけなおしてくれた。


アンチョム「よかった。ケガはなさそうですね、君」


大統領「『君』って、、、」


アンチョム「僕の名前はアンチョム。

博覧会駅からやってきました。

地上のミュータントたちを掃討するために

クレムリンに突撃に来たんだけど、

驚いたなぁ、人間に会うなんて!」


大統領「ちょっと待て、

話が呑み込めん、、、。

お前たちは、タイムスリップしてきただと?」


アンチョム「隊長はそう言っていましたね」


大統領「2033年から来ただと?

お前らは2033年に生きているのか?」


アンチョム「ええ。2033年に」


大統領「ふむう。。。

未来はどんな様子なのかね?

いや、、、その、、、

お前が生きている世界はどんな感じだね?」


アンチョム「そりゃあもう、ひどいもんです」


アンチョムは、悲しげに、首を振った。


アンチョム「あの核戦争で、

地球のすべてが、放射能に汚染されてしまいました。

それ以来、地上にいるのは、

ミュータントたちばかり。

特にモスクワでは、空を飛び交う怪鳥たちと、

精神攻撃をしてくるチョルヌィたちが

圧倒的に手ごわい!」


大統領「チョ、、、チョルヌィ??」


アンチョム「モスクワには、地下鉄が縦横に

張り巡らされているので、僕らはそこを

拠点に、チョルヌィ達の攻撃から隠れていました。

でも、くそ、、、僕の育った博覧会駅も、

このままではもう防御しきれない」


アンチョムは、持っているカラシニコフ銃を両手に掲げた。


アンチョム「メトロでの生活では、これだけが支えです。

メトロでの通貨は、カラシニコフの銃弾が流通しています。

食糧を得るのも、衣服を手に入れるのも、

カラシニコフの実弾何発、で取引されています。

でも、義父のスホイはよく行っていましたよ。

この銃を発明したカラシニコフという奴は、

こんな絶望的な地下生活の支えに

この武器が使われていると知ったら、

気が狂うほど悲しんだろうなあって」


大統領「そうか、、、核戦争が起きるのか」

さすがの大統領も、しんみりした。


(でも、待てよ!)


大統領のアタマの中に、

ある閃きが走った。


モスクワの若い世代の間で、

まさに、核戦争後のモスクワ世界を

シミュレーションした、

『メトロ2033』なるSF小説が大流行した、とか。


そして、その小説世界は、

コンピューターゲームになって、

世界のゲーマーたちを狂喜させたとか。


もっとも、、、

その小説のコンピューターゲーム版を開発したのは

ウクライナの会社であり、

そのウクライナは彼自身の命令で

ゲーム開発どころではない悲惨な状況だが。


(しかし、とすれば、だ)

大統領は考えた。

(こいつらはタイムスリップしてきたと言っているが、

実際には、物語の世界、

フィクションの世界から現実に

飛び出してきた奴ら、ということになる。

まだ未来は核戦争になると決まったわけではないのだ!

しかし、、、しかし、、、

今の2022年に起きていることを考えると、

「核戦争後の2033年から来た若者」というのが、

やけにリアルに見えるのは、なんなのだ、、、!)


隊長「休憩終わり!

オレたちは、イヤでも、2033年に

帰らねばならん!

チョルヌィとの戦いの勝利を願っている、

たくさんの人々が、地下鉄内に隠れて

俺たちの勝利の報告を待っているのだからな」


隊長の声で、

アンチョムという若者を含めた、

彼ら未来の子たちは、

ぞろぞろと、トロッコが開けた

壁の穴から、来た道を戻っていった。


隊長「君、邪魔をしてすまなかったな。

ここはどうやら、可能世界のひとつ、

あり得る2022年のひとつらしい。


そして君から見れば、我々のほうが、

可能世界のひとつ、

あり得る2033年のひとつから

来たということになる。


くれぐれも、核戦争など起こらないように。

我々が、あくまで、

パラレルワールドの住民で済むように、

君のいる2022年を、御してくれたまえよ。

では、な!」


そして隊長もまた、壁の穴の向こうへ歩み入り、

暗がりの中に、姿を消していった。


大統領「・・・いなくなった。

って、あいつら、このトロッコは

誰が片付けるんだ!

くそ、仕事の邪魔をしおって」


大統領がそう、一人で悪態をついた途端、


部屋の隅、トロッコの残骸の陰から、

ぬぼうっと、真っ黒い、気味の悪い影が

立ち上がった。


大統領「まさか・・・これがチョルヌィ!?」


どうやら、未来のパラレルワールドから

トロッコと一緒にやってきたのは、

隊長と若者たちだけでは、なかったようだ。


黒い影が、ゆっくりと、

大統領のほうに歩み寄った。

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