『鼻』(ニコライ・ゴーゴリ)の場合

クレムリンの執務室で机に向かったまま、

大統領はとても気難しそうに眉をしかめ、

左手に持ったハンカチを

鼻血をおさえるような形で鼻に当て、

イライラと書類に目を通していた。


そこへ。


執務室のドアが開き、

軍服姿の人影が入ってきた。


男「ご報告に参りました」


大統領「うむ」


顔にハンカチを当てたまま、

書類から目を上げた大統領、

「あ!」

と叫び声を上げた。


軍服に身を包み、

軍帽をつけた、

その人物、


なんと服の中身は透明人間。


軍帽の下、

つまり顔のあるべきところも

透明人間状態で、


ただ、そこにはフワフワと

鼻だけが浮かんでいた。


大統領「お、、、お前は!」


男「どうなされました?」


大統領「おい、お前!」


男「なんでしょう?」


大統領「ここは、

穏便に済ませてやってもいいんだぞ。

ちゃんと、そのう、、、白状すればな」


男「、、、話が飲み込めません」


大統領「あのなあ、お前は、

そのう、、、本来、

いるべきところにおらず、

いてはならんところを、

ほっつき歩いているのではないかな?

そう思わんか?」


男「、、、さっぱりわかりません。

何か、私に不手際があるのなら、

ハッキリと、

おっしゃっていただけませんか?」


大統領「よかろう!」


大統領は、ハンカチをどけた。

その顔!


鼻のあるべきところに、鼻がなく、

ツルツルの、平面になっていた。


大統領「朝起きた時から、

おかしいと思ったんだ!

オレの鼻はどこにいったのかとな!

お、、、お、、、お前だろ!

お前が、オレの鼻だろう!

はやくオレの顔に戻れ!」


男「大統領、、、

なんという

貧相なお顔になってしまわれて」


大統領「お前がオレの顔に

戻ればよいのだ!」


男「しかし、、、私が

大統領閣下の鼻であると、

なにか証拠でも

ございますかな?」


大統領「なんだと!

鼻のクセに生意気な!

もういい!」


大統領は机の上にあった

受話器を手に取った。


大統領「国防相!

執務室へきてくれ!」


すぐにドアが開き、

国防相が入ってきた。


大統領「国防相!

そこにいるオレの鼻を

捕まえてくれ!」


国防相「いや、、、

これは、、、またいったい!」


大統領「なにをしている!

早くしろ!」


国防相「しかし、大統領。

それは難しいかと」


大統領「なぜだ?!」


国防相「このものを捕まえることは

できましょうが、、、

チカラづくで大統領の顔にくっつけようとしても、

スナオにくっついてくれますでしょうか?」


大統領「そんな悠長なことを

言っている場合か!

テレビ演説まであと3時間しか

ないんだぞ!」


国防相「なあ、鼻クン。

そういうことなので、

どうか、穏便に、

大統領の顔に戻ってくれないかな」


男「しかし、

大統領閣下の顔に戻ったら、

せっかく今日手に入れた、

私のアイデンティティは、

そしてこの個性や人格は、

どこへいっちゃうんですかね?」


大統領「アイデンティティだと!

くそ、なにがアイデンティティだ!

なにが個性だ、なにが独立した人格だ!

どいつもこいつも、

西欧自由主義に毒されおって!


お前らは、国家の一部として

くっついていればいいのだ!


そしてこの場合、お前が国家に

尽くす道は、すなわち、

オレの顔にくっつくことだ!」


大統領は、鼻に飛びかかった。


男「チカラづくでねじ伏せられて

たまるかい!ベーッだ!」


鼻は舌を出し

(といっても舌はついてないので

音だけだが)、

執務室から逃げ出してしまった。


大統領「あ!待て!

くそう!誰かあの鼻を捕まえろ!

ああ、、、なんてやつだ!

この私の鼻をあかしおって!」


国防相「大統領、しかし、

あの者が閣下の鼻をあかしたのも

ムリはないかと、、、」


大統領「それはどういう意味だ!」


国防相「だって、、、

あれが閣下の、鼻ですから」

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