第3話 「もしも、高校生になれたら」
「えっ、と……?」
言葉を遮られた少女が、怪訝そうな顔をしてアオイを見る。
「これ以上、俺の目の前で“魔女”を貶めるな。『“魔女”は人を不幸にする』……俺にとっては、到底聞き捨てならない言い草だ。」
「……それって……」
この子の方にも、アオイの含みのある言い方に引っかかるものがあったのだろう。物問いたげな視線を頬に感じながら、アオイは遠くの空を見てひとりごちる。
“魔女”という言葉は、アオイにとって何よりも大切なものだ。アオイにとって誰よりも大切な人が教えてくれた秘密。
そんな“魔女”を自ら名乗りながら、それを卑下するこの少女の在り方に、アオイは憤りを覚えずにはいられなかった。
「君は、自分のことを“魔女”だと言ったな。別にそれを嘘だと言うつもりはないし、妄想だ、馬鹿げたことだなんて言う気は更々ない。ただ、“魔女”を貶めるようなことを言っているのだけは、我慢できないんだ。」
この怒りのような感情を、語気や態度でこの子にぶつけてしまわないように努めながら言った。見ず知らずの相手から急に怒られるなんて、怖いはず。これはアオイが勝手に引っかかって、勝手に怒りを覚えているだけなのだから。
「“魔女”は人を不幸にする……か。君が言う“魔女”というものは、一体どんなものなんだい?」
「それは……その。そういうものだってことしか……」
少女は赤くなって俯く。いざ冷静に問い質されると恥ずかしくなるようだ。
しかしアオイにとっては、それは決して馬鹿げた言葉ではない。
「不思議なもんだね。俺の大事な人も、自分を“魔女”だって言ってたから。」
「え……」
「もう亡くなったけどね。亡くなる一年前くらいかな、『実はわたしは“魔女”なんだよ』って。」
それを聞いて、少女の方も息を呑むのが分かった。
「ひとつ年上の女の人でね。仲良くしてくれてた……俺にとっては、誰よりも。」
「それって、恋人……?」
「まあ……うん、そうだね。」
その想いを確かめ合ったのは、彼女が亡くなる直前だったが。出会った時はアオイもまだ中1、恋だの愛だの、そういうことをちゃんと理解していたとは言い難い。
とはいえ、ハッキリとそう口にしたことはなかったが、お互いそのつもりではあったのだと思う。なにより、大切な存在として互いに想い合っていた……少なくとも、そのことだけは間違いなかった。
「あの子は自分を“魔女”だと言った。それは決して単なる思い込みじゃなかったし、かといって信じられないような不思議な力があるというわけでもなかった。手品とかは上手かったけどね。」
目を剥くような
「あの子は言っていた───“魔女”とは『生き方』なんだって。たくさんの知識と、昔からの知恵と……みんなを幸せにする心の
あくまでアオイが自分で勝手に気に障り、一方的に怒りをぶつけてしまったことだ。決してこの子に非があったわけじゃない。
申し訳ない気持ちで少女の方を見ると、視線が合ったとたん彼女はあわてて目を逸らし、また再び顔を俯けた。
「ごめんなさい……わたしも、そんなつもりはなかった。わたしの考えていることが、あなたの大切な人を傷つけることになるなんて思わなかったから。」
「それは、もちろんそうだろう。“魔女”なんて言葉、そうそう日常的に出てくるものじゃない。とんだ偶然もあったもんだよね。」
偶然というよりかは、運命とでも言うべきなのだろうか。きっと、この子にとっても“魔女”と言う言葉は重いものなのだろう。ただアオイとは違って、この子にとってそれは、呪いのように自らを縛る言葉であるらしい。
「……あの子は言っていた。『“魔女”はみんなを幸せにするんだよ。だからアオイくんも。これからもずっと、幸せでいて。』って。病気のせいで、自分の命が長くないことを知っていたのにね。いやそれとも、だからこそみんなを幸せにしたいと思っていたのか。あの言葉があったから、俺は───」
彼女が亡くなってからの二年間、アオイは空虚なまま過ごしてきた。
空っぽの状態でただ日々を暮らし、中学を卒業したらこの街を離れた。
忘れたかったわけじゃない。どこにいたって彼女を忘れるなんてことは、これから先の未来、微塵の可能性もない。
ただ、ここにいたら思い出に押し潰されてしまうと思った。哀しくても幸せだった、何物にも代えがたいあの頃が、生きていくことすら諦めさせる呪縛になってしまうと思った。
だからアオイは街を出て、一年間、ただ生きるために生きた。あの子にもらった思い出を、幻にしてしまわないために。
「たしかに彼女は重い病気だったし、亡くなってしまったけれど、決して不幸だったとは思わない。俺だってそう。悲しかったし、あれからずっと沈んだまま生きてきたけど、確かに俺は幸せだった。」
そうだ。
彼女を喪ったときの胸を裂くような痛みも、ただただ立ち止まっていたこの二年も、全て彼女の遺したもの。幸せだったあの日々が、確かに存在した証なのだ。アオイは、間違いなく幸せだったのだろう。あの子の言った通り、自分は彼女に幸せにしてもらったのだと、心からそう思ったのだから。
「だから俺は前に進むことにしたんだ。今までずっと、過去のことにばかり目を向けて、立ち止まってばかりだったから。」
過去への回想から意識を戻し、目の前の少女へと視線を向けてから、アオイはちょっと恥ずかしくなって、彼女と反対側へと顔を背けて頭を掻いた。
「あれから二年間、足踏みしっぱなしでさ。この一年は、特に。だから一度、ここに戻ってきたんだ。あの子と回ったいろんな場所を巡って、思い出と向き合って……ちゃんと一旦整理をつけて、ここから先に、きちんと前に進むために。」
彼女は常々言っていた───「もしも高校生になれたら、やりたいことがたくさんある」と。
結局、彼女は高校生になることはできなかった。なら、
君が夢見た未来は、決して在り得ないものではなかったのだと。君が生きたかったこの世界は、本当に価値のあるものだったのだと。今も君と過ごせていたら、どんなに幸せだっただろうか、と。そのことを証明するために。
そのために、俺はひとりでもこの未来を生きていこう。
そう思った。
その想いを胸に、今日この街に帰ってきたのだ。
「俺はちゃんと幸せに生きていける。なにより、あの子がそう望んでくれているから。ふたりで一緒にとはいかなかったけど、そうであったならどれだけ楽しかったか分からないけれど。それでも俺は、ひとりでもちゃんと幸せだ。幸せであり続けられるんだ。」
アオイはそう言って頷いた。
強がりといえば強がりだ。あの子と一緒の未来と比べたら、ほんとにちっぽけなように感じてしまう。
それでも、今が幸せじゃないなんて、誰にだって言わせはしない。
これは、あの子が遺してくれた未来なんだから。
あの子が、そう思わせてくれたのだから。
「君の事情は分からない。君が“魔女”を名乗る理由も知らない。でも君が“魔女”を名乗り、自分が誰かを不幸にするなんて思いこんでるのなら、それは間違いだ。“魔女”は人を幸せにする。そのことは、あの子がきちんと証明してくれた。なぜなら、俺は確かに幸せになれたんだから。だから君は、大丈夫。」
アオイは静かに目をつぶり、力強く頷いてみせた。
「“魔女”はみんなを幸せにするんだよ。自分も、他人も。だから君も、幸せになる。幸せに……なってほしい。」
少女は俯いたまま動かない。この言葉が届いているかどうかは分からないけれど、声を殺して鼻をすする音が聞こえるのを聞くかぎり、きっと大丈夫なのだろう。
「ニャア……」
今までのやり取りを聞き届けていた先ほどのネコが、「これで充分だろう」とでも言いたげに、ベンチの下からのそのそと歩いて去っていった。
気がつくと、ぽつぽつと雨が降り始めていた。遠くから漂ってくるアスファルトの濡れた匂いが、大雨になりそうな気配を感じさせる。
「やっぱり来たな……。電車の時間もあるし、俺はそろそろ行くけど、君はどうする?」
声を掛けるが、少女はやはり動かない。
いよいよ本格的に降り始める雨の中で放置するわけにもいかず、アオイは鞄の中に入れていた折り畳み傘を広げ、少女の肩に立てかけて、そのまま立ち去ることにした。
「あ……」
「このまま置いていって、濡れネズミにさせたら後ろめたいからな。風邪ひくなよ。」
本当はもっと色々と話を聞くべきなのかもしれないが、同時に、自分なんかで力になれることはないのかもしれない、とも思う。
それに、自分自身のことばかり話し過ぎてしまったことへの恥ずかしさもある。見ず知らずの相手にこんな話を包み隠さず話してしまうとは。我ながら呆れてしまう気持ちも大いにあるが、悪い気分ではなかった。
それになんとなくだが、アオイにはこの子はもう大丈夫だという予感がしていた。
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