先輩。もう一度、魔女に恋してみませんか?

室太刀

プロローグ もう一度、あなたに会いたくて




 「───お久しぶりです、先輩。」


 秋の日の隠れた曇天の下、鈴を鳴らしたような音色の声で少女が言った。

 屈託のない澄んだ色の瞳が、真っ直ぐこちらに向けられている。



 時が止まったかのようなひと刹那。言葉もなく、木々が風にそよぐ音がただ耳を通り抜けていく。




 「……君は?」

 「ふふっ。さて、誰でしょう?」


 イタズラっぽく楽しそうに笑う、覚えのない、しかしどこか懐かしさを感じる顔。

 長い髪をなびかせながら踊るように楽しげに身体を翻すその姿に、アオイは何かの予感を覚えつつ、彼女の言葉を聞いていた。




 「わたしはあの時、先輩に助けられた“魔女”です───」





◇ ◇ ◇




 どうしても、もう一度会いたい人がいる。



 もしも、あの出会いが無かったら、今のわたしはいなかった。そんな風に思えるような縁なんて、そうそうあるものじゃない。

 わたしは、幸運にもそんな出会いに恵まれた。先輩と出会えたあの雨の日は、わたしにとって人生で最大の幸運だったのだと、思う。

 そして、わたしはその幸運をふいにしてしまったのだ、とも。



 わたしの人生を変えてくれたひと。鈍色にびいろに沈んだ世界に、キラキラと輝くものがあると教えてくれた恩人。わたしの大切にしたいものが、確かに価値のあるものだと自信を持って答えてくれた先輩。

 あの日、先輩と交わした言葉は数えるほどで、お互い自分のことについて多くを語ったわけではなかった。名前も名乗らなければ、住んでいる場所も知らない。連絡先すらまともに聞かなかったことに、過去の自分を問い詰めたい思いだ。

 よほどの幸運がふたたび無ければ、二度と会うことも叶わない相手。





 そんな相手がいま、目の前にいる。

 石灰色に煙る曇天の先に、黄金こがね色の夕焼けが透けて見える空をじっと見つめるその背中は、記憶の中のそれよりもさらに大きく、それでいてどこか儚げに見えた。

 誰よりも一番会いたかったその人に、あと数歩、手を伸ばせば届く距離。



 ふと、先輩の後ろ姿が静寂を破り、懐から取り出したスマホに視線が落ちる。

 こちらに気付いたのかと思いドキッとしたが、どうやらまだ杞憂であったよう。なにがしかの可笑しなやり取りがあったのか、仕方なさそうに笑みを漏らす先輩の姿に、胸の鼓動はいや増すばかり。

 落ち着かないと……!

 そう思いながらも、緊張と動揺でつい後ずさってしまう。

 風もぎ、人気ひとけもたえた校舎の裏庭では、小さな足音ひとつであっても大きく鳴り響いてしまう。




 「え……」

 「あ……っ……!」


 ───彼が振り返る。

 まっすぐ見つめるその顔は、2年前のあの日と変わらない。

 ずっと見たかった顔がそこにあった。もう一度会いたかった人の驚いた表情が、ようやくわたしの目の前に現れてくれた。





 時が止まったかのようなひと刹那。言葉もなく、木々が風にそよぐ音がただ耳を通り抜けていく。






 「───お久しぶりです、先輩。」




 奇跡のような出会いに、胸を躍らせながら。

 わたしは大きく息を吸って、大切に言葉を紡いでいく。


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