私と花火

 私は今年も花火を見に行く。

 毎年、夏の花火大会にひとりで行く。

 

 そして、人で賑わう通りから少し離れた公園のベンチに座り、遠くの小さな花火を見るのだ。


 家族が、友人が、恋人が、笑ったり、怒ったり、泣いたりしながら空に打ち上げられる美しい花火に心奪われる時、ひとりでいて寂しくはないのか?

 

 答えは『NO』だ。私は寂しさなど微塵も感じない。



 ・・・というと、ほんの少し語弊がある。時折、やっぱり誰かと来ようかな・・・なんて考える時もある。

 断っておくが、誘えば花火を一緒に見てくれる家族や友人はいるし、そのうちの何人かは実際に一緒に行こうと誘ってくれもする。


 ただ、それでも私はひとりで花火を毎年見に行くのだ。

 

 なぜならば、私は花火を見る時、確かにひとりだが、同時にひとりではないからだ。


 そんなことをいうと、おかしな人だなんて思われるかもしれないけど、これは紛れもない事実なのだ。


 その一瞬だけ夜空を照らす炎色反応は、咲き誇る時間があまりにも短いがために、見る人に儚さや切なさを感じさせるだろうが、本当のところは違う。


 花火は私たちが産まれるずっと前から夏になれば毎年打ち上げられてきた(不幸なことに中断された年も何年かあるが)。


 もちろん、私が子供の頃も、中学生の頃も、大人になってからも、花火は毎年打ち上げられている。


 そして、きっと、私が死んだ後も夏になれば花火は空を照らすことだろう。


 もちろん、私が死んだ後も、私のような『誰か』が花火を見上げることだろう。


 つまり、一瞬だけ存在する花火で、過去と未来はつながり、私たちは永遠の片鱗を垣間見るのだ。




 私は、長い間、愛する女性と毎年花火を見てきた。

 時に花火は彼女の涙を隠し、私と彼女を引き合わせ、そして彼女にさよならを告げる用意をさせてくれた。

 

 彼女と離れ離れになって長い月日が経った。

 

 しかし、私は彼女と離れ離れになったと同時に、私は彼女が確かにそばにいることに気がついた。


 これは霊的な話や、精神世界のスピリチュアルな話ではない。


 

 私が花火を見上げた瞬間、過去と未来は確かに繋がる。

 

 私はその瞬間、少年に戻り彼女の肩を抱きしめ、


 私はその瞬間、若き日に戻り彼女を人混みの中で探し求め、


 私はその瞬間、ホテルの一室で彼女と涙を流すのだ。


 そして、私は花火が彼女の頬を染める瞬間に見惚れる。それは一瞬の出来事だったが、一瞬の中に永遠を見つける。


 私はその瞬間、彼女に愛を伝える。

 何度言っても足りない、そんな気分になる。


 そして、その瞬間、今の私の肩を誰かが抱いてくれている気がする。


 それは、彼女なのかも知れない、

 過去の私なのかも知れない、

 もしかすると未来の『誰か』なのかも知れない。


 私は花火を見る時、確かにひとりだが、同時にひとりではない。


 そんなことをいうと、おかしな人だなんて思われるかもしれないけど、これは紛れもない事実なのだ。

 

 そして、もちろん、私以外の人たちも決してひとりではない。


 ひとりでいようが、誰かといようが、私たちの過去と未来は繋がり、大切な人は確かに肩を優しく抱いて微笑んでくれる。


 花火の下で


 

 

 

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