第90話 フィリップからの届け物

 その日の18時―


部屋で縫い物をしていると、扉がノックされる音が聞こえた。


コンコン


「はい」


返事をすると、扉の奥から声が聞こえた。


『エルザ、僕だよ。入ってもいいかな?』


それはフィリップの声だった。


「ええ、どうぞ。入って」


声を掛けるとすぐに扉が開き、フィリップが部屋の中に入ってきた。その手には数冊の本が握られている。


「エルザ、具合はどう?」


部屋に入ってきたフィリップは私の側に来ると髪をそっと撫でてきた。


「ええ、今のところは大丈夫。何も問題は無いわ」


「そうか…それは良かった」


安堵の笑みを浮かべる彼。


「そういうフィリップは身体の具合はどうなの?痛みは?」


「うん。2時間ほど前に痛み止めの薬を飲んだから今は楽になれたよ。セシルに病気のことを告げておいてよかったよ。体調が悪くなっても隠すことなく薬を飲んだり身体を休めることが出来るからね」


確かに今のフィリップは体調はさほど悪くないように見える。


「ところで、一体何を縫っていたいんだい?」


フィリップがテーブルの上に置いてある布地を見て尋ねてきた。


「ええ…少し気が早いかもしれないけれど、赤ちゃんの為の産着を縫っていたの…」


少しだけ頬が赤らむのが自分でも分かった。


「エルザ…」


フィリップは驚いたように目を見開くと、そっと片腕で私を抱き寄せた。


「そう言えばエルザは昔から手仕事が得意だったね?編み物も縫物もとても上手だった。ブライトン家は手先が器用なんだね。ローズは絵を描くのが上手だったし」


久々にフィリップの口から姉の話を聞き、ふと思った。


「フィリップ。姉の連絡先は知っている?」


「…うん。知ってるよ」


少しの間の後、フィリップは返事をした。


「連絡は取りあってる?」


「エルザと結婚してから1度だけ手紙が届いたよ。でもそれきりだけどね」


フィリップは私を抱き寄せる腕に力を込めた。


「そうなの…。あのね、出産間近になったら姉に赤ちゃんが出来た事教えたいの。その時は…連絡先の住所を教えてくれる?」


「…?連絡先の住所ならすぐに教えてあげるけど…?」


不思議そうな顔で私を見るフィリップ。


「いいえ、出産間近に…貴方から直接姉の連絡先を教えて貰いたいの。約束よ?」


だから、それまでは絶対に死なないで欲しい…。


「約束…?」


フィリップが小さく呟く。


そう。

この約束と言う言葉は…彼には直接言わないけれども、その裏には赤ちゃんを産むまでは絶対に死なないで欲しいという意味合いを込めたものだった。


「分かった、約束するよ。エルザが出産間近になったら…必ず僕からローズの連絡先を教えるよ」


私の言葉の意味を理解してくれたのか、フィリップはニコリと笑った。


「ありがとう、フィリップ。…ところで、何の本を持っているの?」


先ほどからフィリップが手にしている本が気になっていた。


「あ…これはね、アンバー家の図書室から持ってきた本だよ。出産や育児のことについて書かれた本なんだ。エルザは読書も好きだよね?これを読んで役立てて貰えたらと思って探して借りてきたんだ。でも…産着を縫っているなら忙しいかな?」


「いいえ、そんなこと無いわ。ありがとう、嬉しいわ…私の為にわざわざ本を探して借りて来てもらえるなんて」


「それは良かった…それじゃテーブルの上に置いておくよ」


フィリップは私から離れるとテーブルに歩み寄り、手にしていた本をテーブルの上に置いた。


「エルザ…」


本を置いたフィリップが私に向き直った。


「何?」


「エルザが安定期に入ったら、両親に君の妊娠と…僕の病気のことを…告げようと思うんだ」


「!」


フィリプの顔は…真剣で、どこか思いつめたように見えた―。

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