第79話 この先の不安

翌朝7時―


「フィリップ、具合はどうなの?」


私の部屋で朝の身支度を手伝いながらフィリップに声を掛けた。


「うん…。まだ痛み止めは効いているけど…今日はかかりつけの病院に行ってこようと思っているんだ」


「フィリップ…アンバー家の主治医に病気を診てもらうことは出来ないの?病院に行くのだって、本当は身体の負担になるんじゃないの?」


ネクタイを結び終えると、フィリップの顔を見上げた。


「うん…。本当はそうしてもらうのが一番いいとは思うけど…アンバー家の主治医に診察をしてもらうと、胃癌であることが家族にバレてしまうかもしれないんだ」


「どうしてフィリップの家族に病気の事がバレてはいけないの?いつも具合が悪いのを隠して仕事をしていて…いっそのこと病気を打ち明けたほうがいいと思うの。だって、いつまでも隠し通せるはずないでしょう?遅かれ早かれ…いつかは絶対にバレてしまうわ」


「エルザ…。君の言いたいことは良く分かってる。だけど…事情があって、まだ家族には病気のことを明かすわけにはいかないんだ…でも、時期がくれば家族にも病気のことはきちんと話すつもりだから」


フィリップは悲しげに私を見た。


「ごめんなさい…私は病気の貴方を困らせているわね…」


病気の夫に悲しげな顔をさせてしまうなんて、私は妻失格だ。


「エルザ…」


フィリップは私を抱きしめてきた。


「ごめん、謝るのは僕の方だよ。…こんな身体になってしまった、先が無い僕の元に嫁がせてしまって…。僕は本当に酷い男だよ…」


「そんな事言わないで。私は今幸せなのよ?貴方の妻になれたことがどれほど嬉しいか…言葉では言い表せないくらいよ」


私はフィリップの胸に顔を埋めた。


「ありがとう、エルザ」


その時、扉をノックする音と共に扉越しから声を掛けられた。


『フィリップ様。馬車の準備が出来ました』


「分かった、今行くよ」


フィリップは返事をすると申し訳無さげに私に言った。


「ごめん…今朝は一緒に食事できなくて。色々検査があるから、食事は取らずに病院に行かなければいけないんだ」


「ええ、大丈夫よ」


すると次に意外な台詞がフィリップの口から出てきた。


「その代わりにセシルが食事しに来るから2人で一緒に朝食を食べるといいよ」


「え…?」


「行ってくるね」


戸惑う私にフィリップは軽くキスをしてきた。


「い、行ってらっしゃい…」


思わず頬が赤くなる。


「うん、見送りは大丈夫だよ。それじゃあね」


そしてフィリップは笑顔で部屋を出て行った―。




****


午前8時―


「うん、やっぱりここの離れの食事のほうが俺の好みに合ってるな」


朝食を食べに離れにやってきたセシルが料理を口に運びながら満足気に頷く。


今、私とセシルはダイニングルームで2人向かい合わせに食事を取っていた。


「まさか、フィリップの言葉通り本当にセシルが食事に来るとは思わなかったわ」


スープを一口飲むとセシルに声を掛けた。


「昨日、兄さんに言われたんだよ。明日は朝早くに得意先に行かないとならないから食事を取っている時間が無いって。エルザを1人で食事させるのは気の毒だから付き合ってあげて欲しいって頼まれたのさ。うん。上手いな、この卵料理」


「そうだったの…」


別に私は1人で食事を取っても構わなかったけれどもフィリップの心遣いは嬉しい。思わず顔に笑みが浮かぶ。


「…良かったじゃないか。夫婦仲、うまくいってるようでさ」


そんな私を見ていたセシルがポツリと言った。


「え?」


「いや…結婚したばかりの頃は、何となく2人の様子がぎこちない雰囲気を感じたけど気の所為だったみたいで良かったよ。今は幸せそうじゃないか」


そしてセシルは笑った。


「ええ、そうね。今は私…とても幸せだわ」



だけど、私のこの幸せはいつまで続くのだろう。

フィリップの身体は病に蝕まれ、余命も1年持つかどうかと告げられている。


彼が病気で亡くなった後…私はその先、どうやって生きていけば良いのだろう?


「どうしたんだ?エルザ。何だか顔色が悪いようだけど」


セシルが声を掛けてきた。


「いいえ、そんなことないわ。それこそ気のせいじゃない?」


「そうか?ならいいけどさ」


「ええ、そうよ」


暗い気持ちを押し隠し、私は無理に笑みを浮かべた―。

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