第20話 君の愛なんていらない
ダイニングルームには、やはりまだフィリップの姿は無かった。テーブルの上には新聞が乗っている。
良かった…今朝は彼よりも早く来ることが出来て…。
「おはよう、ロビン。今朝は貴方が給仕を務めてくれるのね?」
給仕を務めてくれるフットマンのロビンが朝食の準備を始めていた。
「おはようございます、エルザ様。はい、今朝は私が給仕を務めさせて頂きます。どうぞ、お掛け下さい」
ロビンが椅子を引いてくれた。
「ありがとう」
お礼を述べて着席するとすぐにロビンが声を掛けて来た。
「それでは早速朝食の準備を始めさせて頂きますね」
「いいのよ、フィリップが来るまで待つからこのままで」
私は料理を運んで来ようとするロビンを止めた。
「え…ですが…」
ロビンの顔が何故か曇る。
何か彼を困らせるような言動を取ってしまったのだろうか?
「どうかしたの?ロビン」
「いえ、何でもありません」
「ではフィリップ様がいらっしゃるまでお待ちになられるのですね?」
「ええ」
そして私はフィリップが来るその時を静かに待った―。
やがて―
「ふ~ん…今朝はもう来ていたんだね?」
背後からフィリップの声が聞こえて来た。
「あ、おはよう。フィリップ。今朝も良い天気ね?」
私は精一杯の笑みを浮かべてフィリップを見る。
「…そうだね」
相変わらずフィリップは私とろくに視線を合わすことなく、ロビンに声を掛けた。
「僕の食事の用意をしてくれるかな?」
「「!」」
その言葉に私だけでなく、何故かロビンの肩も跳ねる。ひょっとするとフィリップの言葉の意味をロビンも気付いたのかもしれない。
フィリップがわざと、自分だけの食事の用意をロビンにするようにと…。
「はい、かしこまりました。それでエルザ様の分のお食事は…?」
ロビンは私の事をチラリと見た。
「私も用意して貰えるかしら?」
平静を装いながらロビンに頼んだ。けれど…自分で声が震えていることに気付いていた。
「…」
しかし、フィリップはそんな私を気に掛ける事も無く、こちらを見もせずに、すぐに新聞に手を伸ばすと広げて読み始めてしまった。まるで私とは会話などしたくないのだと言わんばかりの態度に心がくじけそうになる。
…けれど、今は耐えよう。
会話なら…食事の時にすればいいのだから…。
私はキリキリと痛む胃の痛みに耐えながら、ロビンの手によって食事の用意が進められるのを静かに待った。
「…お待たせ致しました」
ロビンがフィリップに声を掛けた。
「うん」
一言頷き、フィリップは新聞を畳むとテーブルの上に置き…自分の分の食事と、私の分の食事を見比べた。
フィリップの前にはプレーンオムレツ、ボイルウィンナーに温野菜、オニオンスープにスコーン、ヨーグルトに紅茶が添えられていたが、私のテーブルの上にはミルク粥と温野菜だけが置かれている。…これは私が頼んで用意して貰ったメニューだった。
結婚式を挙げた日から、ずっと私は胃の痛みに悩まされていた。なので身体に優しく、食事の量をグッと減らしたメニューに変更して貰う事にしたのだ。
「…君はそんなにこの屋敷の料理が気に入らないんだね。そんな物しか食べないのだから
フィリップは溜息をついた。
「いえ、そうではないの。あまり食欲が無いから、厨房にお願いして食事内容を変更して貰っただけなのよ?本当は食べたいのだけど…」
「ふ~ん。そう」
フィリップはつまらなそうに返事をすると、料理を口に運び始めた。冷や水を浴びせられるような会話ではあったけれども…それでも彼から話しかけて来てくれた。
そこで私は思い切ってフィリップに声を掛ける事にした。
「あ、あのね…フィリップ」
「何?」
彼は私の顔を見るでもなく、返事をした。
「これ、私が昨日刺繍をしたハンカチなのだけど…フィリップにどうしても渡したく
て。受け取ってもらえるかしら?この家の家紋と貴方のイニシャルを刺繍したの」
ハンカチをフィリップにも見えるようにテーブルの上に置いた。
「…」
フィリップは少しの間ハンカチを見ていたけれどもそっけなく言った。
「折角だけど、受け取れないよ」
「え?」
そんな言葉は想像もしていなかった。
「フィ、フィリップ…?」
「贈る相手のイニシャル入り刺しゅうのハンカチをプレゼントなんて…受け取れるはずないじゃないか。僕は…君の愛なんていらないないのだから」
「!」
その言葉に…私の肩が大きく跳ねる―。
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