春雨
牛丼一筋46億年
春雨
雨の音だけ聞いていたい。車を降りる時まで流していたミスチルの曲はエンジンかけると同時に律儀に切ったところから再生し始めたので慌てて消す。今は音楽を聴くようなテンションでもない。大学の下宿先から帰る途中、前々から行ってみたかった四月に潰れるらしい銭湯に先ほどまで入っていたから頭は少し潤っていて、更に傘なんて差さなかったら、頭はしけにしけってた。風呂の湯は結構熱くて、更に楽しみにしていたサウナは故障中のため中止だったし、もう、全部嫌になって30分もしないうちに出てしまった。もう、なにもしたくない。俺はみんなを放っておくから、みんなも俺のことを放っておいて欲しい。とは言え、帰らないと父さんも母さんも心配するので仕方なくエンジンを始動させる。ノロノロと車を走らせる。視界で揺れるミラーにつけたキーホルダーはアニメのキャラクター。可愛い女の子で、この子のアニメにだいぶハマっていたけれど、今ではこの子の名前すら思い出せない。小さな街道を走っていると変な名前の喫茶店を発見。『ガーフィー』。例えばグーフィとかならまだ分かるし、ガーファなら最近できたのかな?とか思うけど。ガーフィーってなんだろう。気になったけど、次の瞬間にはほとんど何もかも忘れている。喫茶店の名前ってなんだったっけ?とにかく雨が車を叩く音だけが世界を支配している。ひたすら道を走る。一車線しかない小さな小道で、住宅地と畑が点在している。空はどんよりと曇っていて、もうなんだか全てがだるい。運転するのが早々に億劫になったので、コンビニにビバークする。椅子を倒して思い切りため息をする。以前雨音は継続中。なぜここまでだるいのか、自分が昼からなにも食べていないことが原因なのではないかと思った。食べないことが多い。そう言う時空腹感はないが、途方もなく疲れやすくなる。コンビニで眠り込むわけにもいかないし、なんとか外に出て店内へ向かう。扉を開けた瞬間、横殴りの雨に打たれ更に全ての物事に億劫になって行く。何もしたくないが、だからと言ってまた車内に戻るのも憚られるので、全身を雨に打たれながらさっさと店内に入る。パンかおにぎりでも買おうかと思ったけれど、既に時刻は夕方だったし、家ではご飯の準備をしていてくれているので、小腹を満たすに留めようとお菓子コーナーを物色した。しかし、いかんせん空腹感はないので、どれも食べたいとは思わない。どうすべきか。菓子コーナーの前で行動停止、おまけにどんどん思考まで停止していく始末。そもそも、貯金と言えるような蓄えもないので、何かを買うのも憚られる。10円のベビースターラーメンを購入し店を出る。雨足がはほんの少しだけ弱まっていたのがせめてもの救いだった。でも、依然として寒い。小走りで車の中に戻り、ベビースターラーメンを一息に食べてしまうとまた椅子にもたれて身動きが取れなくなった。雨の音が心地よい。下宿先にも実家にも戻りたくない。宙ぶらりんな俺には車内だけが心地よい場所だった。車内は胎内に似ていると散文的な事を考えていると、眠気が襲ってきた。しかし、まだ理性が残っており、早く家に帰らなくてはと思う。死ぬまでコンビニの駐車場にはいられない。思考能力がどんどん落ちて行く。何も考えられない。でも、帰らなきゃ。エンジンキーを回し、車を起こす。次は本来ならばドライブにシフトレバーを入れなきゃだめなのに、何も考えていなかったものだから、無意識にエンジンキーをまた回して車を眠らせてしまった。あ、俺、疲れてるな。とそこで気がつく。少しだけ自分の間抜けさに一人で笑って、改めて車を動かす。車はノロノロと駐車場から離れる。
気がついた時、高速に乗っていた。ナビはあと1時間で家に着くと告げる。1時間。あっという間の時間である。真っ直ぐ走る。風景は一切変わらない。右の追い抜き車線を車がビュンビュン走って行き、左は白い縁石が永遠に続いている。いつの間にか夜になっていた。依然として雨音が車内を支配する。不意に思い切りハンドルを切り縁石にぶつかってみたくなる。乗っている車は軽自動車だし、そこそこスピードも出ているから間違いなく死ねるだろう。死に対して特に恐怖心がないと言うのは気取り過ぎだろうか。死にたくないと思っている人なんているのだろうか。人は須くデストルデーに惹かれるものではないか。そんな哲学的な思考をするのも疲れる。どうせそんなこと考えても首にロープを巻くほどの気力はないのだから。だから、俺はぼんやりと過ぎて行く車と前方の車のナンバーを見てそれを暗唱しようと努力する。前方のフロントガラス越しにナンバーを見つめていると、ナンバープレートを暗唱しようと言う気力は消滅していき、フロントガラスを見つめると言う動作だけが残った。フロントガラスに雨が当たる。ワイパーが一定間隔でそれを弾く。雨、ワイパー、雨、ワイパー、ワイパーのウィーという気だるい音。雨のパパパパパパと言う音、パパパパパパ、ウィー、パパパパ、ウィー。フロントガラスを見つめていると、俺が俺を見つめている。フロントガラス越しに見える俺は喫茶店でコーヒーを飲んでいた。
窓際の席でコーヒーを片手にガラスを見つめている。街道を車が流れて行く。雨ガッパを着た少年が自転車で走って行く。真向かいのホンダの車販売店。赤い車のフロントガラスには150万円の文字。車に興味がないからそれがどんな型でどんな価値があってどれだけ人気なのか全く知らない。ねえ、聞いてる。と声がして正面を見ると京子が真顔で俺を見つめている。そんな目で見るなよ。なんだか、すごくイライラする。なんで、そう言われてもな。もう、無理だろ。とため息と同時に吐き出した。俺は大学を辞めて取り敢えず実家に帰るし、京子は実験が忙しくなるから、もう前みたいに会えなくなるし、なによりも前までは確かに二人の間にあったものが既に失われている。それに気がついていない訳ではないだろう彼女はそれでも壊れた城を守ろうとしているのは滑稽でしかなかった。それに、これは確実に言える事だが、きっと京子は1ヶ月間悲しむが1ヶ月経ったらまた違う男と楽しい青春を送っているだろう。こいつはそう言う女なのだ。それを知っているからこそ、俺は彼女をぞんざいに扱うし、彼女はぞんざいに扱われることに苛立ちを感じる。
なんで大学辞めちゃったの?なんでって前話さなかったっけ?もう一度聴きたいの。時間の無駄だろ。無駄じゃない、ねえ、どうしてそんなに冷たいの、勘弁してよ、壊れそう。大学を辞めた理由は行く必要性を感じなくなったからだよ、俺が冷たくなったと思っているだろうけど、今俺もいっぱいいっぱいなんだよ。それは違う、愛を感じなくなった。愛ってなんだよ。そんな馬鹿にするような笑い方やめてよ。京子の言う愛ってさ、俺がデートプラン考えて、俺が車出して、なんでもいいって言う割には選り好みする京子の機嫌取りすることだろ、そう言うのマジで疲れるんだよ。それが嫌だったのなら言ってよ、言ってくれなきゃ分かんないよ、私だってレポートとかさ、実験の合間縫って時間作ってたんだよ。なら、お互い無理してたんだよ、ね、もう、無理はやめよ。
そこまで言うと、溝がもう修復不可能なことをようやく悟った京子は静かに泣いた。バツが悪くなり、京子を見ていられなくなった俺は眼球だけを少し動かして辺りを見るでもなく見た。木目調の店内。小さな店。二人で初めて行った喫茶店。テーブル席が二つ、カウンターが四つ、店内には俺たち二人だけ。本棚には毒にも薬にもならないエッセイが何冊かある。マスターは何も聞こえていないようにひたすらマグを磨いている。おそらく気まずいのだろう。分かる。ひたすら眠い、朝から名古屋まで車を走らせ、部屋の鍵を返し、その足で京子に会っている。なかなかなハードスケジュール。京子は初めての彼女で大学入学とほぼ同時に付き合い出したから、丸2年付き合ったことになる。同じクラスで新入生ハイキングと言う馬鹿みたいなイベントで同じ班になったのが出会だった。可愛い女の子だったが、可愛い女の子だったと言う意外に感想が出てこない。彼女と別れることが悲しくないのが何より悲しかった。2年間いい思い出もいろいろあるにはある。でも、それらは全て過ぎ去ってしまったのだ。時間は不可逆なのだ。これが我々の終点なのだ。
あなたは泣かないのね。そうだな。学校辞めてからやること決まってるの?何も決めてない。仕事はしないの?しなきゃダメだけど、すぐにはしないかな。ねえ、前から思ってたんだけど、病気じゃない?あまりにも投げやりでちょっと心配よ。心配される筋合いはない。そんなら言い方はあまりにも失礼だわ。失礼な男なのは知ってるだろ?もう、無理、ねえ、最後に聞いて、本当にこれが最後。
あなたはきっと、何も見ていないし、何も聞こえていないし、何も感じていない。最初はあなたのこととっても優しい人だと思っといた。ねえ、覚えている?ハイキングの時、靴擦れした私と一緒に歩いてくれたこと。みんなが私たちをどんどん追い越して行くのに、そんなの気にせず一緒に歩いてくれたこととっても嬉しかった。もう、そんなことあなたにとってはどうでもいいことなんだろうけど。でも、2年間一緒にいて気がついたわ。あなたは優しいんじゃなくて、本当はどんなことにも興味がないのよ。あなたは優しい人だから優しいんじゃなくて、冷たいから誰にでも優しく出来るの。なんであなたみたいな冷血漢が生まれてしまったのか知らないけれど、もう、一緒にいるのは無理。一人で生きて一人で死んで。もう、二度と会わないと思うけど、せいぜい元気でね。
それだけ言うと、彼女はコーヒー代金をテーブルに叩きつけて店を出ていった。ガラス越しに彼女が傘もささずに歩いて行くのが見えた。俺は彼女が置いた金を取り、レジで自分の分と併せて料金を支払った。その時のマスターのなんとも言えない無表情は彼女のどんな言葉よりも堪え、またそう言った感性の自分に嫌気がさした。恐らくこの町に来るのもこれで最後になるだろう、前々から行ってみたかった銭湯に行ってみたい。店を出て駐車場に向かう前に、もう一度だけ喫茶店のガラスを見つめた。先ほどまで俺と京子が座っていた席は当たり前のことだが誰も座っていなかった。カップが2つだけ置いてある。全ては過ぎ去って行くのだ。ガラス越しに俺が俺を見つめていた。ガラスの俺はパジャマ姿で外を眺めていた。
起きた瞬間から憂鬱だった。世界から取り残された気分だった。起きた瞬間から眠りたかった。でも、今日は部屋の鍵を返さなきゃダメだし、京子と最後に話し合わなければならなかった。最悪だった。全部最悪だ。もう、全部無くなってしまえばいいのに。外は雨で雲は今にも落ちてきそうなくらい厚みがあるように見えた。俺の家の窓からは堤防しか見えない。川岸の小さな家が俺の実家だった。実家には先週帰ってきた。もう大学には行っていないし、大学の近くにいる必要性を感じられなかったからだ。両親が何も言わないのはとてもありがたかった。なんで大学を辞めようと思ったのか理路整然と説明できたら俺はきっと大学を辞めなかっただろう。でも、とにかく何か理由をつけるとしたら、合わなかった。と言うのが一番それらしい理由だろう。そもそも集団に馴染めた経験がない。いつだって違和感を感じていた。ある段階からその中でも擬態出来るようになったけれど、それでも嫌なものは嫌なのだ。死ぬほど。まるで醜いアヒルの子だ。醜いアヒルの子は最後白鳥だったからいいものの、殆どの醜いアヒルはただの醜いアヒルなのだ。醜いアヒルはもしかしたら死ぬしかないのかも知れない。みんなが好きだと言うものが好きになれず、みんなが嫌いなものを嫌いになれなかった。みんなと言うあやふやな価値観に振り回される自分が嫌になる。雨雨雨、全部洗い流してよ。なんて、一昔前のJポップみたいな言葉が頭によぎる。この目の前の堤防が決壊して、家も村も町も全部洗い流してくれればいいのに。でも、絶対にそんなことは起きない。そんなことを言うと不謹慎だと言われそうだけど、はっきり言って、この世界には世界の滅亡を待ち望んでいる人間もいるのだ。でも、きっといざ世界が終わるとなったら無様なほど慌てふためくんだろうなと予想して自嘲。時間はまだ6時半だったけれど、もう、二度寝する気にはなれなくなっていた。空気が湿気っている気がした。自分が着ているパジャマも布団も枕も部屋も全部湿気っていて気持ち悪い。まるで空気が俺のことを拒んでいるみたいだった。やめてくれ。お願いだから。頼むから。俺の部屋。この部屋を割り当てられて20年。部屋中本だらけ。と言っても学術書とか、自己啓発本はなくて小説だらけ。ドフトエフスキーの地下室の手記とか、ヘッセのデミアンとか、こんなのに高校時代被れたのが良くなかったのかしら?なんて思うけれど、結局、自分は自分にしかなれないので考えるだけ無駄なのだ。でも、もしも未来、科学が進んで脳みそをいじくって趣味趣向性格まで自分でデザインできるようなったら、俺は本を嫌いになりたい。本を嫌いになった俺はこの雨の中に本を投げ捨て、捨てられた本は鶏が投げ捨てられた時に無様に羽ばたきながら落ちていくように、ページを捲り上げながらドロドロの土に落ちていく。そして、本はグズグズになって、本だった紙の塊になるのだ。そして、俺は人付き合いが大好きな社交的な人間に生まれ変わり、友達も多く、京子とは結婚して、子供を作ろう。子供達の為に仕事も頑張ろう。定時で帰って子供達と遊んで、休日にはバーベキューしたりしよう。なんて、本当に馬鹿みたいなことを考えていると、気分がより一層落ち込むも、落ち込んだところで誰も俺を浮かび上がらせてはくれないので、なんとか自分で立つしかないのだ。決意と共に、俺はレースのカーテンを全て開けてガラス越しの風景を見た。ガラスには車を運転する俺である。
俺は俺を見ていた。俺、どこまで行っても俺である。ただ、ひたすら高速道路を突き進むも、家になるべく辿り着きたくない俺はサービスエリアに入った。平日にも関わらず、車は多かった。でも、この人たちはきっと、仕事や学校に行っていて、辛くともその環境に耐えれるだけの適応能力があるであろうと考えると、嫉妬している自分に気がつく、と同時に果てしない孤独に襲われた。彼らには居場所があるのだ。俺にはそれがない。居場所がない。居場所がなければ生きていけない。涙が出そうだ。京子と別れた時にすら出なかったのに。もしかすると、俺は京子にすら嫉妬していたのかも知れない。京子に別れを切り出したのも、いずれ自分が捨てられると悟っていたからかも知れない。京子は俺と違う。彼女は要領がいい。彼女はどこでだってそれなりに生きていけるだろう。そう言う能力を持っている。例えば、バイトも研究室も卒なくこなしている。電気屋でバイトしている彼女はバイト達の間では古株で新人に指導する立場にあるらしい。俺はバイトなんて3ヶ月と続いたことがなかった。いつも誰かに目をつけられるのだ。要領が悪く、愛想笑いも歪な俺は格好の標的だ。それだけじゃない研究室でも彼女は先輩達と交流しながら、上手く研究を進めている。俺は誰とも話さないからいても居なくてもおんなじだった。なるほど、俺は彼女に嫉妬していたのだ。だから、明らかに残酷な仕打ちを彼女にしたのだ。俺は俺のことしか考えていない。今日、傘を差したくないのは自罰的な精神からなのかも知れない。俺は誰かに罰せられたいのだ。不必要ならば責めて殺してくれ。ぐちゃぐちゃに壊してくれ、頼むから俺を見てくれ。俺は俺のことしか考えていないのに、他人に見られたくて、認められたくて仕方がないのだ。ふふふと笑う。でも、笑い声も雨音が消していく。ほとんど半狂乱の思いを必死に堪えて、すまし顔で、さも、私はあなた達とおんなじ人間で、帰る場所もあり、社会にも居場所はあり、明日も行くべき場所がありますよと言う顔で雨の中歩くのだ。サービスエリアのフードコートに座って外を見つめる。ガラス張りの壁を雨が叩く。スマホで時間を見る。もう、既に両親に帰ると告げていた時間を過ぎている。母から、いつ帰ってくる?と連絡があったので、渋滞に巻き込まれているので遅くなると嘘をつく。時間が一秒進むたびに心がキリキリと締め付けられる。フードコートは無駄に明るく、周りではスーツ姿の男や家族連れ、カップルがご飯を食べている。その臭いが入り混じり吐きそうだった。食べ物の匂いが混ざり合わさると吐瀉物の臭いを思い出すのは俺だけだろうか。フードコート、ラーメン屋、牛丼屋、蕎麦屋、ステーキ屋。ベビースターラーメンで十分だ。食欲はない。希望もない。何もない。ふと、中原中也の秋日狂乱を思い出す。中学生の頃読んだ中也の詩で一番好きだった。今でも実家の引き出しの中にはそれを写経したノートが残っている。秋日狂乱は何にも、何にも、求めまい、で締められる。倦怠感。俺も濃いシロップでも飲むべきなのだろうか。は、飲んだところでどうなる。あの詩を書いた2年後に中也は死ねて救われただろう。シロップ、濃いシロップ。もしも、そんなものを飲んだら、俺の頭は犯されてしまうだろう。トロトロになってしまう。叫んでみたかった。あ、って。エリエリレマサバクタニ。こんな時まで俺は誰かの言葉を引用し続けるのか。もう、嫌だ。俺は外に出て雨に打たれたかった。でも、やめた。そんなことしたところでなんの解決にもならないからだ。それでも、それでも、俺は外に出ざるを得なかったのだ。
中に入った時、自分の亡霊に会った気がした。無人の7畳半。2年間住んだ部屋は空白だったが、確かにそこには住んでいた俺の残り香がまだ残っているような気がして、失った全ての時に対してお別れを言いたくなる。本当に何もない。よく止まる洗濯機も、全然中が冷たくならない冷蔵庫も、小さすぎるテレビも、クッション剤のはみ出た座椅子も、何もかもない。ここで京子と初めて一晩過ごした夜も、入学式の後一ヶ月間だけ仲の良かった学友を招いての気まずい飲み会も、一人で映画を見た夜も、授業を休みがちになり布団に寝転んでいた昼間も、全ては去っていったのだ。その事実に震え上がった。なんとなく、俺はフローリングの上に寝転がった。マジで何にもねえな。雨のせいで外は曇空。何もない部屋は本当に静かで、ポツポツと降る雨音すら壁に吸い込まれていきそうだった。鍵を今日は返しにきたのだ。感慨深くないと言えば嘘になるし、こうして大学を辞めることは両親に対して申し訳ない気持ちもある。でも、もう限界なのだ。俺は俺なりに適応しようとしたがダメだった。それが全てだ。このまま消えてしまいたい。部屋の埃となって宙に舞ってパッと消えてしまいたい。でも、そんなことは出来ない。早く行かないと、京子と今日は話し合わなければならないのだから。最後にもう一度だけ、この部屋から外を見た。平日の昼の駐車場には車が停まっておらず、住宅街が塀の向こうで広がっているだけだった。俺はベランダに出て少しだけ手を伸ばして雨に触ろうとした。
外に出た俺は雨に打たれながら車まで歩く、寒い、辛い、悲しい、涙が出てきた。助けて欲しい。自分の気持ちが言語化出来ない。帰る場所、留まるべき場所があやふやなのだ。日本に生まれながら俺は異邦人だ。分かるかな?分からないよな。俺の気持ちなんて。卑屈になりかける。卑屈になるな。歩け、とりあえず、車まで歩け。軽自動車に乗り込む。車内は恐ろしいほど寒い。寒いのは俺が孤立してしまったからか。親は、まだ若いんだから大丈夫と言う。まだまだどうにでもなる。果たしてそれは正しいのか、そもそも正しい生き方ってなんなんだ。大学出て、そこそこの会社に入って、そこで勤め上げるのが正しい生き方なのか。俺にはどうにもそうは思えない。俺はみにくいアヒルの子だ。白鳥ではないみにくいアヒルの子は死ぬしか、もしくはボロボロにされながら群れにしがみつくしかないのだ。本当にそうなのか、自問自答の坩堝。自意識の暴走。何が俺を苦しめている。社会か、他人か、はたまた全てか。死ぬしかないのか。どうにも無理なのだ。社会で生きていくのが苦痛でしかない。甘えるな、お前は甘えているんだ。もっと世の中には辛い思いをしている人がいっぱいいるんだ。それがどうした。天国を憎む人もいるのだ。停止せよ。すぐさま思考を停止せよ。考えるな。それ以上。答えは出ない。とにかく、今は家に帰ろう。親がいる。優しい親が。家には暖かい飯もある。柔らかい布団もある。しばらく実家でゆっくりしてから次に進もう。それでいいではないか。それで、落ち着いたら京子ともまた話したくなるかも知れない。そうなったら謝ろう。あの時はひどいことを言って済まなかったと。
エンジンをかける。そして、そんなことは絶対にしないと誓う。車は唸りを上げる。雨の音を消し去る叫び声だ。車を走らせる前にスマホがひかる。誰かから連絡が入っていた。
どこにいる?
俺はここにいるよ。だから早く見つけて。
ガラスの町に戻ろうとしている。
ガラスの中は安全だ。でも、本当にそうなのか。安全だけど、そこは不自由だ。いつも誰かに見られている。誰に?俺自身に。俺は俺を監視して、俺は俺を縛り付けている。俺は俺を普通と言う枠に縛り付けている。
俺はここを出なくてはならない。
ふと心にそっと小さな火が灯る。
俺はガラスの町から出なくてはならない。春雨が叩くガラスの町から出て、本当の雨を身体に受けなくてはならない。本当の冷たさを感じなくてはならない。本当の痛みを知らなくてはならない。眠っている感情を起こさなくてはならない。
返事はしない。ガラスの町を出ていかなければ。俺は春雨をこじ開け、ガラスの町を出るためにひたすらアクセルを踏んで走った。
春雨 牛丼一筋46億年 @gyudon46
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