第2話
授業中に何回も先生と目が合う席で一日が終わり、遅れて登校するはずの佐原さんは最後まで来なかった。病院が混んでいるのかな。僕も昨日行ったばかりだから分かる。
「佐原は掃除当番の班なんだが……」
帰りのHRで木原先生が困ったように頭を搔いた。
「誰か、代わりに掃除を手伝ってく」
「ハイッ!」
木原先生の言葉が終わる前に、隣の席の中島が勢いよく椅子から立ち上がった。
「このクラスになってからボク、許せないんですよ! なんで掃除当番の人は机をまっすぐに並べないんですか! ちゃんとまっすぐ並べて下さい! 今日ボクが見本を見せます!」
中島はそれだけ言うと、勢いよく椅子に座った。
「お、おう、じゃあ頼むわ中島」
さすがの木原先生も引き気味になるくらい、教室がちょっと微妙な雰囲気。
「頼むぜ、掃除番長」
僕がグーに握った手を中島に向けると、中島も自分のげんこつをコツンとぶつけてきた。ちょっと変わっているけどノリはいいヤツなんだよな。
教室にパチパチと遠慮がちな拍手が広がっていく。ちらっと後ろを見てみると、祐介は我関せずで「深海の生物」を読み続けていた。
放課後、僕は部活があるから直ぐに教室を出た。けど。
後ろから同じように急ぎ足の足音が聞こえて、振り返ると祐介だった。
「国語の先生に呼び出された」
帰宅部の活動を妨害されて、祐介は分かりやすく不貞腐れている。
だけど僕はバスケ部の副キャプテンだし、練習の時間に遅れるわけにいかない。
教室と同じ階にある職員室の前に祐介を置き去りにして、僕は体育館に向かった。
久しぶりの部活だったけれど、今週末に試合があるという女子部にコートを譲ったから、男子バスケ部の練習は早めに終わった。
教室に戻ると祐介が一人だけ残っていた。頭を抱えながら課題を解いている。
国語の先生に、帰る前にこの課題を提出しなさい、と言われたらしい。
ほとんどの教科で学年トップの祐介が、総合で一位を取れない理由がこの国語。
「人の気持なんか分かるもんか。一つの選択肢になんて絞れないだろう」
祐介はぶつぶつとひとり言を言っている。
「なんか手伝おうか」
休んでいた間のノートのお礼もあるし、僕がそう言うと、
「シャーペンの芯、貸して」
祐介は顔も上げずに手だけこちらに差し出した。
「このシャーペンごと使ってよ」
芯を一本だけ取り出すのもめんどくさくて、僕は自分のペンケースからシャーペンを取り出し、祐介に渡した。
「それ、かわいいな」
祐介が僕のペンケースを見て、柄にもないそんなことを言った。
去年、遠足で行った水族館。そこで思わず買ってしまったアザラシの形のペンケース。
お菓子とかメモ帳とか、みんなが決められたお小遣いの中であれこれ買っている中、僕のお小遣いはそのアザラシのペンケース一つで終了した。
「コオリウオってさ、南極に住んでるのに血が凍らないんだ」
アザラシのペンケースを見ながら祐介がそんなことを言う。アザラシつながりで海の生き物の話題なんだろう。
話がつながらないけど、でもその話はちょっと面白そうで、続きを聞こうとしたら祐介がいきなり立ち上がった。
「課題終わったから出してそのまま帰る」
「ちょっと待って。僕まだ帰り支度してないんだけど」
僕の言葉を聞かずに祐介はカバンを持ってさっさと教室を出て行った。
僕は慌てて自分の荷物をまとめて下駄箱のある一階の昇降口に下りた。だけど祐介はなかなか下りてこなかった。
国語の先生に何か言われているのかな。
そう思いながら靴を履き替えていると、近くに人の気配を感じた。顔を上げると今日は休んでいた佐原さんだった。手には小さめの長い封筒。お医者さんからもらった診断書かな。持ち物はそれだけ。
「佐原さんも風邪だったんだね。もう大丈夫?」
「あう、あ、あの、田中くん、その」
「席替えがあったの、知ってる? 僕、佐原さんの後ろの席になったよ」
え、え、え、と佐原さんが慌てる。
大人しい佐原さんが顔を赤くして慌てているのは、なんか、かわいい。せっかく席が近くなったことだし、これからもっと話しかけてみようかな。
そんなことを思っていると、佐原さんが急に真顔になった。
「私、木原先生にこれを提出しなきゃいけないの。田中君、また明日ね」
手を小さく振って佐原さんは階段を上っていった。その後、今度は祐介が同じ階段を下りてきた。
「翔真、シャーペン貸して。ここだけ直せって言われた」
当然のように要求してくる祐介。僕はリュックを下してペンケースを探した。
「あれ」
ペンケースがない。教室に忘れたかな。
「祐介、悪い。ペンケースを教室に置いてきたみたい。戻って取ってくる」
教室に戻って自分の机を見れば一目瞭然、机の上には何もなかった。覗き込んだ机の中にも、ない。
もしかして祐介の机? そう思って覗いてみたけど、ない。
ロッカーの中にも、ない。
どこに置いたんだろう。
教室の前扉から、さっき別れたばかりの佐原さんが顔を出した。手には何も持っていないから、あの封筒は無事、木原先生に渡せたんだろう。
「どうしたの?」
「僕のペンケースが見当たらないんだ。机に入れておいたと思ったんだけど。ごめん、佐原さん、シャーペンあったら貸してもらえないかな」
「え、ペンケース? え、え、シャーペン?」
いきなり関係のない話題を振られて佐原さんがまた慌てる。慌てたまま、それでも佐原さんは制服の胸ポケットに一本入れていたシャーペンを貸してくれた。
借りたシャーペンを持って急いで昇降口に戻ると、祐介に文句を言われた。
「遅くね?」
「ペンケースが見つからなかったんだ」
「じゃあこれ、誰の」
「佐原さんに借りたんだ」
ふん、と鼻息を出した祐介がプリントに何かを書き込み終えると、佐原さんが階段を下りてきた。
「佐原さん、これありがとう」
シャーペンを返すと佐原さんが小さく笑った。
「どういたしまして。じゃあ私、これで帰るね」
足早に下校する佐原さんを見送り、僕は祐介に話しかけた。
「もう一回、教室を探してくる。祐介、先に帰ってていいよ」
さっきから何かを考えているようだった祐介が首を横に振った。
「俺も翔真と一緒に教室に戻る」
二人して教室に戻ると、僕はまずゴミ箱の中を覗いてみた。もしゴミ箱に捨てられていたら、嫌がらせだ、イジメだ。
……まさかなあ。
嫌な予感は外れて、掃除当番が今日のごみを捨てたばかりのゴミ箱は空っぽだった。祐介は、と見てみると首をかしげて僕の机を見ている。そして、
「つうか、これ何。翔真の机の中にあるんだけど」
ちょっと大きめの声を上げながら祐介が僕の机の中から引っ張り出したもの。
それを見て僕は思わず叫んだ。
「なんであるんだよ! さっき僕が探したときは絶対になかったのに!」
それは僕のアザラシのペンケースだった。
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