第183話 母親たち(最強)がやってきた

 暗い赤の輸送艇から、人々が歩いてくる。先頭の暗い赤のドレスの女性の後ろにいるのは、ヨスコさんだ。

 連絡を受けたのか、避難していた人々も戻ってきたようだ。モスグリーンと金の騎士が先に立ち、黄土色やカーキの人々、町の人々の姿も見え始めた。


 サリーさんが少しだけあとずさり、俺に近づいた。

「みんな、私を許してくれるかしら。町を守れなかった」

 サリーさんがうつむいて呟く。

「許してもらえるまで謝って、直すのを手伝おう」

 俺も小さく答えた。サリーさんが涙のたまった目で俺を見て、うなずく。


 お兄さんとお妃様、そしてヴィオさんまで笑い出した。

「あなたたち、まだそんなこと言ってるの?見なさい」

 お妃様が促す。俺とサリーさんは恐る恐るそちらを見た。


「姫殿下!」

「姫魔女様!」

 声が明るい。メガネがないので少し遠くが見づらいが、間違いない。


 避難していた人々は、笑顔だった。


「町の方々は、わかってくださっているようよ。怒っているのは」

 お妃様が振り返る。向けてもらえたたくさんの笑顔に、泣き出したいような気持ちになっていた俺とサリーさんは、すっと現実に引き戻された。

「うちの身内だけだな」

 お兄さんの肩の向こうに見える、もうすぐそこまで来ている暗い赤のドレスの女性は、美しい顔に静かに怒りをたたえていた。


 サリーさんがひたすら頭を下げている。

「セーラレインさん。ずいぶん、勝手なことをしたわね」

「すみません」

 第二王妃のニコル様だ、とヨスコさんが小声で教えてくれた。確かに夜会で見たことがある。

「町が大変なことになり、皆さんに迷惑をかけたわ。あなた自身も危ない目に遭って、従者にもケガをさせた。全部、あなたの勝手から起こったことですよ」

「すみません」

 サリーさんがぎゅっと手を握りしめた。


 俺はたまらず口を挟んだ。

「お、お妃様、本当にすみません。あの、でも、殿下はみんなに心配をかけたくなくて」

「控えなさい」

 きっぱり言われ、俺は引き下がらざるを得なかった。


「セーラレインさん、もっと自覚しなさい。あなたが自分で何でもできる訳ではないのよ。でも、あなたが動けば必ず人を巻き込んで、誰かがそのために力を尽くすわ。それが王族というものなの」

「はい」

 サリーさんが震える声で答える。


「よく考えたつもりでも、たくさんの人が動けば様々な人の思いが動くの。人の思いは計り知れないものよ。思わぬことになってしまって、自分がひどい目に遭うだけならいい。まわりの方々、時には全く無関係の方々まで危ない目に遭ったり、平和な暮らしや財産を失ったりするのよ」

「はい。すみません」

 サリーさんが声を詰まらせる。


 大切なことを教えてくれているのはわかるけれど、サリーさんだけが責められるのが忍びなくて、俺はやっぱり口を挟んでしまった。

「お、お妃様。すみません、俺が悪いんです。殿下は止めてくださったんですが、俺が」

「クロ君も全く。こんな跳ねっ返り娘に付き合ってたら、命がいくつあっても足りないわよ」

「俺は、いいんです。この命は殿下にいただいたものです。だから、あんまり、殿下を叱らないで……」


「あっはっは」

 俺は目をしばたいた。お妃様が腹を抱えている。

「聞きしに勝る過保護っぷりだわ。陛下といい勝負ね」

「ね、ニッキー、私もそう思ったのよ」

「ロティも?あはは、大した侍従だわ」

 お妃様たちが笑っている。俺は何かやらかしたのだろうか。


「仕方ない、お説教の続きは帰ってからにしましょう。人の目もあるし、私たちよりもっと怒っている人も来たようだしね」

 お妃様たちの目の先には、落ち着いた金色のドレスの女性がいた。あの服はもしかして、ゴーベイ王子のお母さんか。


「でも、これだけは言っておくわ」

 ニコル様がサリーさんの肩に強く両手をかけた。

「この、大バカ娘!困ったことがあれば私たちに相談しなさい。シズだけじゃない、私たちはみんな、あなたの母親なのよ。あなたは、あなたの本当のお母様から預かった、大切な大切な私たちの娘なのよ」


「お、かあ、さま」

 驚いたように丸くなっていたサリーさんの目に、みるみる涙が浮かぶ。

「ごめんなさい」

「シズを旅行に行かせたいなら、私にそう言えば良かったのよ。叔父様のことは城でリーナが対応してくれているわ。ね、私たちみんなで力を合わせれば、陛下に内緒でもこんなに色々できるのよ。もっと信じて、頼って。あなたは可愛い私たちの娘なのよ」


「ごめんなさい」

 泣き出すサリーさんをニコル様が抱きしめた。すぐにシャーロット様も加わり、サリーさんは2人のお妃様に抱きしめられて泣いた。

「セーラレインさん、あなた、ちゃんと落とし前はつけたの」

「ゴーベイ王子にきっちり言ってやったか、ってことよ」

 シャーロット様が荒っぽい言葉を使い、ニコル様が翻訳する。


 サリーさんは涙がいっぱいの笑顔で答えた。

「はい。婚約は、破棄しました」

「いいぞ、我が娘」

「それでこそ私の娘よ」

 お妃様たちにもみくちゃにされて、サリーさんは嬉しそうに笑った。


 金色のドレスの女性、ゴーベイ王子があれだけ恐れていた王妃様が到着した。見事な金髪をきつく結い上げている。いつの間に合流したのか、アユさんが付き従っていた。

「この度は息子が大変なことをしでかし、申し訳ありません」

 着くなり金の王妃様は膝をついて謝った。暗赤のお妃様たちが慌ててそれを立ち上がらせる。

「いいのよ、うちの娘も同じようなものよ」

「お互い子供には苦労するわね」

 俺は同じではないと思うが、王族の親にはそれなりに事情や建前があるのだろうと思うことにした。

 

 王妃様は促されて立ち上がったが、控えめな態度は変えなかった。

「セーラレイン様、アユから話は聞きました」

「薬を取りに行こうとした輸送艇が爆発したので、それからは状況を確認しながら妃殿下にご報告を差し上げておりました。クロノ様の治療が滞り、申し訳ありません」

 アユさんが補足し、俺は急に名前が出て驚いた。慌てていいえ、そんな、とか言い訳する。


 王妃様はうなずき、サリーさんを見た。

「セーラレイン様、町を、民を守るために、そんなになってまで危険な役目を負ってくださってありがとう。あなたが守ってくださらなかったら、きっとみなさんのあの笑顔は見られなかったわ」

 青い空を見上げている従者や町の人々の方を見て、王妃様がやっと少しだけ、表情を和らげた。

 サリーさんが小さくなる。褒められていても、あまり面識がない人は苦手なのだ。


「あなたとご縁が結べなかったのがますます残念です。あなたを我が一族に迎えることができたなら私も、さぞ心強く、先が楽しみでいられたでしょう。けれど、息子があれではね」

 王妃様がまた表情を険しくする。


「それで、うちのバカ息子はまだシェルターで震えているの?引っ張り出してきなさい」

 金の王妃様は金の騎士を呼び、厳しく命じた。金の騎士が戸惑っている。

「あの、妃殿下、おそれながら、その、それが」

「泣いても喚いても構いません。早くなさい」

 静かな声だが、王妃様の声には迫力があった。これはひどく怒られるな。人ごとながら身が縮む。


「妃殿下、どうかもうしばらくお待ちください」

 その時、走って戻ってきたらしいシーラさんが声をかけた。連絡を受けたらしい。

「シーラ、私を待たせるとは何ごとですか。ゴーベイをかばっての申し出なら、許しませんよ」

「それは、もちろん。お叱りは受けます。しかしその前に、どうかご覧になっていただきたいものがあります」

 膝をついて控えたシーラさんが、緊張した面持ちにふと嬉しそうな笑顔をにじませた。王妃様がなお目付きを鋭くする。


「私に足を運べと?」

「どうか、私と娘から、心からお願い申し上げます」

 シーラさんとアユさんが平伏した。

「アユ、あなたも私にそうするように求めるのですね。これほどあなたを大切に思って用いてきた私の信頼を裏切ることは、ありませんね」

「はい、妃殿下。必ず妃殿下のお心にかなうものを、お目にかけることができると存じます」

 アユさんがはっきりと言い、王妃様はようやくうなずいた。


「では、参りましょう。今更何を見ても、ゴーベイの王位継承権を剥奪して城から出すことに変わりはないでしょうから」

 穏やかなままの声で王妃様が、誰に聞かせるともなく言った。既に王妃様の中では王子の処分は決まっているらしい。俺はどうしようもなくて、ただ手を握りしめた。


「妃殿下、こちらでございます」

 シーラさんに促され、厳しい表情を崩すことなく王妃様が歩き出す。

 シーラさんがちらりとこちらを見た。俺は思わず足を踏み出した。サリーさんがさっとそれを制して言う。

「妃殿下、おそれながら、私もご一緒してよろしいですか」

 王妃様は無言でうなずいた。

「クロノ、行きましょう」

 俺とサリーさんも王妃様について歩き出した。

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